カインとアベルのお話は19世紀ロマン派が光を当てて精力的に取り組んだテーマ(※)とのことなので、その周辺の年代を探れば出てくると思います。ここでは近代~現代の作品で目立ったヤツをまとめました。
(※)…竹下節子著「ユダ – 烙印された負の符号の心性史」p.91

「怖ろしい沼に足をつっこんでしまったと反省しています…。」と筆者は言っています。

毛細血管を取り出すような作業になるので見切りが大事
目次
聖書の『カインとアベル』の描写
このコラムに入ってこられる方は『カインとアベル』の文脈をご存知ないってことはないと思うのですが、「そういや忘れたわ」とかの場合はこちらのコラムの前半に掲載してますので、読んでからお戻りください。
聖書の『カインとアベル』が直のテーマだったりモチーフだったりする小説・文学
デミアン(ヘルマン・ヘッセ)

デミアン(新潮文庫)
小さな町のラテン語学校に通う10歳の主人公シンクレールは、些細な理由で、悪童クローマーに脅されてしまう。深く苦しんでいたシンクレールは、ある日、町にやって来たデミアンに救われる。デミアンは、シンクレールにカインとアベルの逸話について、そして明と暗の両者が存在している二つの世界について語った。そして、それは、シンクレールに大きな影響を残し、シンクレールの葛藤の日々が始まる。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』デミアン項日本時間2020年12月1日14:46時点)
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…絶対的な宗教観のある西洋社会において、個人の考えを獲得することの困難さが垣間見えて興味深い。
また、一方で大戦直前のドイツにおいて、ニーチェやユングの影響を強く感じる【ある意味あやうい】本書が同時代の若者に与えた影響を考えたりもしてしまう。
変人に憧れる中二病的な人、あるいは自分の考えを獲得する孤独さを抱える誰かにオススメ。
福永武彦の『草の花』とか『ブライズヘッド』みたいなBLっぽい回顧録ってこれなんですね。こういうと怒られそうだけれど、自意識過多観念100%の文体で孤独感云々書かれているからこそ、思春期の少女たちに熱狂的に支持されて萩尾望都が『ポーの一族』書いたりゲーテを読んだりユングが流行ったりしたのだなぁと感慨深くなった。でも海外文学最初の一冊にこれ読むのは今の中高生的にはどーなのよみたいなことを思わなくもない。今年1番キツかった。
この本としての評価ではなく、著者としてのヘルマンヘッセにはがっかりしました。
個人的見解で、他の方に伝えたいわけではありませんが、これは小説ではないと思います。「御託」の吐露だと思う。
来るべき潮流の「跫音」が「戦争」とは、、、情けない、あまりにも視野が狭いというか思考が浅すぎると感じます。
19世紀の作品はこういうのが結構ありますね。人間の「理性」への自信が溢れていた時節だったのでしょうか?
カイン(バイロン)
『創世記』にあるカインの弟殺しの話を五幕に書いた劇詩。カインに託して作者の悪魔主義を高揚したもので、発表当時非常な攻撃を受けた。

カイン (岩波文庫)
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バイロンが詩人として評価されているのは当たり前だが、彼の思想面にも注目すべきだろう。神が万物を創ったなら、なぜ《悪》がこの世に満ち溢れているのか?なぜアダムとイブの罪のせいで全ての子孫が罰されるのか?など、『創世記』と一神教の欠点を作品内で鋭く突いている。また、19世紀に宗教に代わって現れた楽天主義思想も否定する。『カイン』は天才・ゲーテが絶賛した名作で、現代人にとっても意義のあるものだ。
カインと、弟のアベルや妻であり妹であるアダ、ルシファーとが神について語る劇詩。堅苦しい神学論争とまではいかないが場面の転換は少なく神についてや知恵を得るということの罪について、あるいはカインたちが生まれる前に存在していた世界についてをひたすらに語る。全知全能・善なるものとしての神が産み出す悪についての描写が特に鋭く、発表された当時激しい攻撃に晒されたというのも分かる。発表された当時に出会ってみたかったと思わせる作品。兄弟殺しがテーマの一つではあれど、それがメインというほどではなかったかな
本書の内容には「作者の悪魔主義を高揚したもの」とあるのだが、最後の場面や訳者の解説を見る限り「神の意志」という外的なものではなく、むしろ悪の誘惑に一度は負けても再び生きようとする良心に目覚める「人間の意志」の賛美に思えてならない。(中略)
ぜひ同著者の『マンフレッド』が好きな方は『カイン』も読んでほしい。
ケインとアベル(ジェフリー・アーチャー)

ケインとアベル (上) (新潮文庫)
20世紀の現代史を背景に、生い立ちの異なる2人の主人公を、双方の視点から交互に描き、やがて2人の運命が交錯するストーリー。アーチャーはサクセス・ストーリーを描く長編、国際的な陰謀を描くサスペンス劇、短編集といった順で著作を発表しているが、以後も長編作品においてはこのスタイルが取られている。本書の続編として、主人公アベル・ロスノフスキの娘フロレンティナを主人公に、彼女がアメリカ大統領の座を目指す長編『ロスノフスキ家の娘』(1982年)があり、フロレンティナの幼少時から描かれる前半部は、『ケインとアベル』の物語を別視点からなぞる構成になっている。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ケインとアベル項,2020/11/19時点)
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カインの末裔(有島武郎)

カインの末裔
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…カインの末裔のタイトルに反して、悲劇的ではあるが神話的訴求力を持つという話ではない。中盤からは主人公の遭う目は散々である。しかし作者有島武郎の描写力が素晴らしく、引き込まれた。
かしなぜ「カインの末裔」なんじゃろ?ネットではカインの末裔は主人公ではなく主人公の周囲にいる人々だ、というブログがあったが。。
セリフが訛りに訛っているもので、すこし読みにくい。獰猛で野生的、規則にも従わない主人公。暴力や恫喝で物事を解決し、周囲を従わせるいわば「勝者」。印象的なのは、それでも函館(都会)の地主の邸宅を訪れたときに、ただ地主に対面しただけで「敗北」したこと。その暮らしのあまりの違いに圧倒されたのである。主人公が小作人などの田舎者を制圧しようと、地主から見れば痛くもかゆくも無い。何がどう転ぼうと所詮主人公は搾取されるだけの存在なのである。「カインの末裔」とは旧約聖書に出てくるテーマらしいが、いまいちピンと来なかった。
キリスト教や聖書の知識がない状態で読み、あまりの読後感の悪さにややげんなりしました。
ただ、読了後に「カインの末裔」(カインとアベル)について調べたら「ああ、そういうことか」と腑に落ちました。
予備知識がないと、道徳観と協調性に欠ける男の暴挙をひたすら読まされるだけで不快になるかもしれません。
▼「有島武郎」はこちらでも言及
キリスト教・聖書に影響を受けたとされる日本文学(小説)【35選】
蠅の王(ウィリアム・ゴールディング)

蠅の王〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)
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『蠅の王』(はえのおう、原題:Lord of the Flies)は、1954年出版のウィリアム・ゴールディングの小説。題名の「蠅の王」とは、聖書に登場する悪魔であるベルゼブブを指しており、作品中では蠅が群がる豚の生首を「蠅の王」と形容している。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2022年6月28日日本時間13:31時点
…ジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』やロバート・バランタイン(英語版)の『珊瑚礁の島(英語版)』など19世紀以前に流行した「孤島漂着もの」の派生形であるが、本作はこれらの作品とは正反対の悲劇的な展開となっている。
S・キングの「アトランティスのこころ」に登場する少年の愛読書。キングがこの小説を重要な小道具として使っていることに興味を惹かれ、早速アマゾンさんで購入しました。久しぶりにすばらしい小説に出会えたというのが読後の感想です。まず1954年にこれほどショッキングな内容の小説が執筆されていたことに驚きました。原始そのままの姿の孤島で、集団を形成していく少年たちの姿。
そのほかにも、ほら貝、隊長、集会、共同生活、闇、焚火、狩猟、儀式、酋長、フェイスペインティング、宴会、肉食など、さまざまなキーワードによって、想像力を掻き立てられる作品です。
草迷宮(泉鏡花)
→草迷宮
こちらは、「聖書のカイン」というより、バイロンの『奇蹟劇カイン』とよく似たイメージが頻出しているという論があったのでピックアップしてきました。
一般には、西洋文学との関ゎりの稀薄な作家と見なされているが、その鏡花も『 湯島詣』( 明治三二.一一)で「 寄宿舎の卓子にバイロンの詩集を繙いて肅然とする」主人公神月梓を登場させ、鏡花のバイロンへの関心を窺わせる。
(鏡花とバイロン-『 草迷 宮 』への『 カ イ ン 』の 影 響 の 可 能 性
菊 池 有 希)
屍鬼(小野不由美)
人口1300人の小さな村、外場村。外部からは1本の国道しか繋がっておらず、周囲から隔離され、土葬の習慣も未だ残っている。そんなある日、山入地区で3人の村人の死体が発見された。村で唯一の医者・尾崎敏夫は、このことに不信感を持つが、村人達の判断で事件性は無いとされ、通常の死として扱われた。しかし、その後も村人が次々と死んでいき、異変は加速していった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%8D%E9%AC%BC
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根本は旧約聖書に登場する「カインとアベル」が軸になっています。…
(深夜図書)
ジェラール・ド・ネルヴァルの作品
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ちょっと調べてみたのですが、「どの作品」にというのがパッとつかめなくて…論文があるので気になる方は調べて読んでいただけるといいのかなと思います。
火の娘
本書には、書簡、宗教論、さらには自分の不調を世に広めたデュマへの涙ぐましい反論までもが収められている。
ひとことでいえば、不揃いの作品が詰まった宝箱のような一冊である。
私にとってネルヴァルはつかみどころのない作家の一人だったが、創作と現実の記録を読むことで、ネルヴァルの人間臭い一面と出会うことができて面白かった。大作家の作品というより、生きることに器用でない青年の記録として味わうと、これほど興味深い本はない。
カインは言わなかった(芦沢央)
公演直前に姿を消したダンサー。
美しき画家の弟。
代役として主役「カイン」に選ばれたルームメイト。
嫉妬、野心、罠──誰も予想できない衝撃の結末。
芦沢央が放つ、脳天を直撃する傑作長編ミステリー!男の名はカイン。
旧約聖書において、弟のアベルを殺害し、「人類最初の殺人者」として描かれる男──。「世界の誉田(ホンダ)」と崇められるカリスマ芸術監督が率いるダンスカンパニー。
文春Books
その新作公演「カイン」の初日直前に、主役の藤谷誠が突然失踪した。
すべてを舞台に捧げ、壮絶な指導に耐えてきた男にいったい何が起こったのか?
誠には、美しい容姿を持つ画家の弟・豪がいた。
そして、誠のルームメイト、和馬は代役として主役カインに抜擢されるが……。
(一定期間ツイートがないと表示されません)
そもそもこの物語はあるダンサーが失踪したことから始まり、途中、重要な人物が死にもする。
いわゆるミステリーではあるのだが、その「真相」については直接は描写されない。
前述したような切迫した心情描写の積み重ねの最後にあるはずの「真相」は、我々読み手に委ねられているといっていい。
そういった意味ではものすごく爽快なラスト(私はそう感じた)ですら、著者の新たな挑戦であり、また読者への問いかけでもあると感じた。
自らが「持たざる者」であることを自覚する人であるならば(世の大半はそうだと思うのであえて)、是非読んでみてほしい。
今までに感じたことのない読書体験となること間違いなしの傑作だと思う。
バレエに興味がないのでつまんなかったです。
いちおう最後までいやいや読みました。
ああそういうことねという箇所もありましたが、だから何?です。
死体もひとつ出てきますが、犯人の動機も何言ってんだこいつ?でした。
(アマゾン レビューより)
カインとアベルをなぞるように兄が弟を殺したってなミステリーだろうとばかり思っていたが、物語はそんな単純なモノじゃなかった。謎解き物とは一線を画した、藤谷誠を含む五人の人物の視点が入り乱れながら展開する群像劇。読み応えあり!
(読書メーターより)
最初は緊張感があってドキドキして読んだけど後半は結構テンポが落ちた? 個人的にバレエ団に娘を犠牲にされた夫妻の場面が特に退屈だったし話に横やりが入るみたいで、あのキャラとエピソードをもっと主要キャラのやりとりとかに割り振ってほしかったと思っ
(読書メーターより)
カインとアベルの物語の解釈史がつかめる資料たち
個人的な興味で色々調べていたのですが、「イスカリオテのユダ」が今まで解釈の変遷がけっこうあったということを知り(またまとめられたらうれしいですね)「聖書に登場する、不遇な登場人物」に焦点をあてるという動きは歴史の折々で起きてきたのだなと得心いたしました。
その過程で、カインへの共感は19世紀のロマン主義が先導したということを聞きました(それも一種の「文学史観」であり歴史解釈ですが…)。
以下、図書館員さんから紹介してもらった「カインとアベルの受容史や解釈が深められる本」です。自分も順番に読んでいっています。
【カインとアベル】神がカインの捧げものを受けなかった理由など創世記4章で抱かれがちな「3大なぜ」について膨大な解釈/考察の一部を紹介する
『カインのポリティック』(ルネ・ジラール他/著、法政大学出版局、2008年)

カインのポリティック―ルネ・ジラールとの対話 (叢書・ウニベルシタス)
カインとアベルの神話を題材に、フランス系文芸批評の重鎮、ルネ・ジラールと8名の研究者が、互いの仮説をぶつけあうという内容の一冊です。文芸批評、歴史学、政治学、人類学、哲学、心理学、精神分析といった様々なアプローチから、カイン神話を分析しています。
(杉並区立図書館レファレンス/2020年11月に質問と回答)
とくにこの内の一人、クラウディオ・ボンヴェッキオは、ヘッセの『デーミアン』、バイロンの『カイン』などの文学をカインとアベルの物語に照らしながら検討しています。
『大いなる体系 聖書と文学』ノースロップ・フライ/[著]、法政大学出版局、1995年)

大いなる体系―聖書と文学 (叢書・ウニベルシタス)
上と同じ著者による著作ですが、こちらのp.338以降でも、カインに対するロマン主義の共感について取り上げています。他にもカインに言及した箇所が散見されますが、巻末の索引に「カイン」という項目が立っていますので、そちらを手掛かりに検索できます。
(杉並区立図書館レファレンス/2020年11月に質問と回答)
▽「大いなる体系」はこちらでも紹介
ノースロップ・フライの本,絶対創作に役立つでしょ【批評の解剖/大いなる体系/力に満ちた言葉】
『力に満ちた言葉』(ノースロップ・フライ/[著]、法政大学出版局、2001年、

力に満ちた言葉―隠喩としての文学と聖書 (叢書・ウニベルシタス)
上と同じ著者による著作ですが、こちらのp.338以降でも、カインに対するロマン主義の共感について取り上げています。他にもカインに言及した箇所が散見されますが、巻末の索引に「カイン」という項目が立っていますので、そちらを手掛かりに検索できます。
(杉並区立図書館レファレンス/2020年11月に質問と回答)
『聖書入門』(フィリップ・セリエ/著、講談社、2016年、

聖書入門 (講談社選書メチエ)
こちらは聖書の入門書になりますが、「この2000年間、神学者、詩人、画家、小説家たちは、それら(注:人類初の殺人事件の謎)の隙間を埋めようとしてきた」として、 カインを題材とした複数の文学作品(アウグスティヌス『神の国』、バイロン、ネルヴァルなどのロマン主義作品、スタインベック『エデンの東』など)を紹介しています(P.49-51)。
(杉並区立図書館レファレンス/2020年11月に質問と回答)
『物語解釈で聖書を読む』(ヨルダン社、柳生望/著、1998年)

物語解釈で聖書を読む
?章の3に「アダムとエバの無垢からの堕落、カインの弟殺し」という節があり、p.30-34で、カインとアベルのエピソードを紹介しています。著者は牧師も勤めていた英文学者ですが、カインとアベルの心理状態の違いを、「罪意識の有無」という視点から解釈しています。
(杉並区立図書館レファレンス/2020年11月に質問と回答)
『聖書の中の殺人』(白取春彦/著、飛鳥新社、2004年)

聖書の中の殺人―人間の悪意の研究
著者は、カインによる殺人を「四千年にわたって、その原因について人類が頭を悩ましてきた殺人」と評し、作家・三浦綾子の解釈を引用しながら、この事件の宗教的背景について意見を述べています。
(杉並区立図書館レファレンス/2020年11月に質問と回答)
『旧約聖書〈1〉創世記』(月本昭男/訳、岩波書店、1997年)

旧約聖書〈1〉創世記
「カインとアベル」のエピソードの原典ですが、解説ページ部分(p.194以下)でこのエピソードが持つ意味を、「創世記」全体の構成や展開の中で考察しています。
(杉並区立図書館レファレンス/2020年11月に質問と回答)
『聖書物語 旧約編』(山形孝雄/著、河出書房新社、2017年)
カインとアベルの項目(p.20-21)にて、旧約聖書に先行するメソポタミア神話について触れています。同様のプロットでありながら、2人が和解するという結末の違いを取り上げ、農耕民を悪とみなすヘブライ神話的視点に注目しています。
(杉並区立図書館レファレンス/2020年11月に質問と回答)
そのほか、『カイン』の項目がある辞典
- 『旧約聖書人名事典』ジョアン・コメイ/著、東洋書林、1996年、p.153-154)
- 『新聖書辞典』(泉田 昭/編集、いのちのことば社、2014年、p.315-316)
- 『岩波キリスト教辞典』(大貫 隆/編集、岩波書店、2002年、p.199-200)
- 『図説キリスト教文化事典』(ニコル・ルメートル/[ほか]著、原書房、1998年、R190ル、p.288-289)
- 『聖書事典』(木田 献一/監修、日本キリスト教団出版局、2004年、p.191)
- 『聖書人名辞典』(ピーター・カルヴォコレッシ/著、教文館、1998年、P.56)
上記は聖書の用語や人名が引ける辞典で、いずれも「カイン」の項目が立てられています。カインとアベルの物語の概要や解釈、カインという名前の語源、カインをモチーフにした芸術作品などに関する記述を読むことができます。
(杉並区立図書館レファレンス/2020年11月に質問と回答)
▼詳しくはこちらに
【カインとアベル】神がカインの捧げものを受けなかった理由など創世記4章で抱かれがちな「3大なぜ」について膨大な解釈/考察の一部を紹介する
追記
伝承系~ジプシーの祖先はカイン説
※筆者は文学と伝承の区別は慎重に行うことが誠実だと思う思想の持主です。
キリストを磔刑に処す際に使われた釘はジプシーの先祖が鋳造したものであるという説、アダムの息子であり、弟アベルを殺したカインこそが、ジプシーの祖先であるという説を百科事典に見つけることができる。11前者に関しては、鋳物師がジプシーの代表的な職業である、というイメージが市民の間に深く浸透していらこととの関連を容易に見出すことが可能である。後者もまた、ジプシーの典型的行動様式とされていた「放浪」を説明するために考案されたと考えられる。人類初の殺人者であるカインは、神罰として放浪を課され、それを妨げられないために額に烙印を受けた。カインを殺した者はその七倍の不幸を被るとされ、人々はその烙印を観ると恐れれ彼に触れようとしなかった。それまで農業を生業としていたカインは、農作物が育たないという罰を受け、鋳物や楽器演奏によって生計を立てた。以上のような副次的な物語が、ジプシー像の背景的説明として機能したのである。
(「民族的属性としての呪いと贖罪:エジプト逃避とジプシーの起源」野端聡美 2009年pp.185-186)
カインにおける「不死」のイメージ
2024年のGoogle検索サジェストで「カイン 不死」というのが浮かび上がってきたので検索してみると、検索予測に出てくるくせにまとまった記事はなかった。
素人の戯言ではあるが、カインにおける「不死」のイメージは(ややぼんやりとではあるが)、あるのだと感じる。
それは、上記で紹介したような『ジプシーの起源』的なものや、あるいは『さまよえるユダヤ人』のイメージを挟むことによって解説できると思われる。
いつかもう少しこれについて書けるようになったら書きたい(というか先行研究はあると思うんだよなぁ…。それを紹介とかしたい)が、そんな日が来たらいいかな、くらい。
▽カインやアベルについての伝承はこちらにも