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管理人1:上坂かすが (2017/5/14更新)
「律法のない人には—わたしは神の律法の外にあるのではなく、キリストの律法の中にあるのだが—律法のない人のようになった。律法のない人を得るためである。弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。 福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしも共に福音にあずかるためである。」
(第1コリント9:21〜23)
主イエスの御名をあがめます。
当サイトにお越し頂きありがとうございます。このサイトをご覧になられたクリスチャンの方はきっと「ここの管理者はどういう解釈の信仰なんだろう?」「本当にキリスト教なの?」「何がしたくてこんなことをしているの?」などが気になっていることと思います。少し、このサイトを作るに至った経緯を書かせて頂きたいと思います。
(なお、管理人プロフィールについてはコチラをご覧ください。)
自己紹介でも触れている通り、私はキリスト教と全く関係のない人生を送っていました。田舎で暮らしていたため遊びに行く場所もあまりなく、また持病を持っていたためか外出することも好きではありませんでした。そんな私の心を唯一楽しませくれたのは、漫画やゲームといったポップカルチャーでした。ただ、そのポップカルチャーも私の心の奥底の空虚を埋めることはできませんでした。
心の奥に虚しさを抱えたまま私は大阪の大学に進学しました。大学で初めて『自分はクリスチャンだ』という人とじっくり話しました。その人に連れられて、私は教会に行ったり聖書研究会などに顔を出すようになりました。私は神さまのことを知り、抱えていた心の空虚が埋まっていくのを感じました。
卒業と同時に信仰を口で言い表し、故郷に帰り就職しました。社会人として暮らしながらクリスチャンとして生活を送るつもりでした。が、忙しさ押されて教会に行かなくなりました。
忙しさからくる不調のせいか本を読んだり細かいことを考えたりすることができなくなっていることに気づかないまま、私の心はどんどん主イエスから離れていきました。ただ私の心の奥にわずかに残っている“神さまのことをもっと知りたい”という気持ちが、あるクリスチャンのブログをブックマークさせていました。
そうこうしているうちに体力と精神に限界がきて、勤めていた会社を辞めました。療養しながら教会に通い、ほどなくして私は離れかけていた主イエスの十字架の贖いをはっきり受け入れることができました。そして私は洗礼を受け、ほぼ同時に個人事業主として仕事をはじめます。その流れでブログを書き始めました。そこの一部に、自分がクリスチャンであることなどを書くようになりました。あの日、心も体も限界だった私を支えてくれたブログのような働きが自分にもできたなら。そんな気持ちもありました。
そうすると、少しではありますが「教会に行ってみたい」というお問い合わせなどいただくようになりました。本来ならば会うことも話すこともなかった存在とつながりを持ち、教会に入ってもらうまでを助けることができるーーインターネットの可能性を感じました。ただ発信の方向性についてはずっと悩み、試行錯誤していました。
それまでの方法だとすでにキリスト教に興味を持っている人にしか届かないことに気づいていましたし、日本人の大半は自分の抱えている悩みや苦しみの解決策が『宗教』にあるなどと思いもしない環境に暮らしていることを改めて知ったのです。
そんなときにお会いした、脚本家でありクリスチャンである方のこんなお話が心に残りました。
「この世界は神さまが創ったもので、私たちも神さまが創ったものだ。だから、私たちが感動するものの中には、必ずどこかに神さまの姿が隠れているーー」
この言葉を受けて「『物語』そのものと神さまの関係性」についてなにかしらの共通点を感じました。そして、それと同時に自身の生活のなかから「知らない情報も、既知の情報と絡んでいることでグンと受け入れやすくなる」という実感を思い出しました。実際にPBAの主催する「聖書で読み解く映画カフェ」などに参加させていただき、そういった方向性の試みが人と神さまのつながるきっかけをつくりだしていることを知りました。
また、2017年に発売された「母性のディストピア」のこんな一文も私の心を動かしました。
「この国で、現実について語る価値がどこにあるというのだろうか。いま、この国にアニメ以上に語る価値のあるものがどこにあるのだろうか。」
「母性のディストピア」(宇野常寛著)は、アニメ・マンガから日本の戦後社会を考察したものです。発売数日後にはAmazonトップセラーとなった有名作でありますし、私自身この一文をツイッターで発信したところ、一定数の支持者がいることを肌で感じました。
#母性のディストピア の一文をエモくしてみました。 pic.twitter.com/Tv30WU00me
— いつかみ聖書解説 (@LampMate) 2018年4月18日
このような文言が支持されることに、驚きや嘆きを覚える人もいるかもしれません。けれど私は、この風潮がクリスチャンにとっては必ずしも嘆かわしい事ではないと思いました。なぜならそれは「虚構から真剣に考えた事柄で、自分の目に映る世界を再構築する」人間が一定数いることの証拠であり、日本では往々にして「神」が虚構として捉えられているからです。
そして、その再構築はかなりの確率で「人生への問い」」を生むとも思っています。
当サイトのコンセプトはタイトルに集約されています。ご存知ない方には違和感のあるタイトルかもしれませんが、「いつから〜と錯覚していた?」という言い回しは、人気マンガのセリフをオマージュしたものです。
ウェブサイトという性質を考慮し、コンセプトを絞って制作していることをご理解いただけると幸いです。もし『ウェブサイトは使いたい。でももっと別の方向で作っていきたい』(例:音楽、映画、スポーツ、アートetc…)という方がいらっしゃいましたら、そういった方も応援させていただきたいと思っています。構成の方法などをgithubにてオープンソースにしています。サイトを作りたい方のためのコミュニティも予定しております。
神さまに示されているーーのかどうかは『最終的には主観による判断になってしまう』と考えるタイプの人間が作っておりますので『この働きに神の召しがあったのか?』と問われると『わかりません』と答えるかと思います。『ただ、今の私には平安があります』とは付け足したいと思っています。そして、私たちはいま『私の願いではなく神さまの御心がなりますように』と祈り続けています。聖書を読んでいくと、人間の目によく見えることも悪く見えることも、全ては神さまの計画に編み込まれていくのだということを知り、その深さに心震えます。
管理人1:上坂かすが
▼お心の叶う方は応援をお願いいたします。基本的に低コスト・低資本でやっておりますので、サポート方法は5秒でできるものから30分程度でできるものばかりです。

「わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である。」
(ピリピ人への手紙1:12)
管理人2:上坂栄太 (2018/5/14更新)
こんにちは!
上坂栄太と申します。
クリスチャンの方に向けて、【いつかみ / LampMate】を始めた理由を3つ、お伝えしたいと思います。
信仰を持つにいたった経緯(証し)は別に掲載予定です。
(なお、管理人プロフィールについてはコチラをご覧ください。)
理由① ネットの情報が少ない…という不満があるから
私が【いつかみ / LampMate】を始めた理由の1つは「オンラインの、キリスト教ではない人向けのキリスト教の情報はまだまだ少ない」と思うからです。
以前、私はクリスチャンになる前にいろいろな教会に行きました。お勧めできることではありませんが……今の教会に落ち着くまでに、数十の教会を訪問してきました。
もちろん行く前にネットで検索しました。「ここはどういう教会だろう…何人くらいいるんだろう…」ということはもちろんですが、本当に知りたいのは「ここは大丈夫な教会だろうか…自分に合うところだろうか…」ということでした。
また、教会に行く前にキリスト教について少しは知っておこうと思い、ネットで勉強できないかとサイトを探したりもしました。
しかし、教会のこともキリスト教のことも、私の疑問に答えてくれるサイトは見つかりませんでした。
「欲しい情報が見つからない!文章が固くて専門用語が多いし面白くない!スマホ対応してない!総じて見づらい!」と思っていました。
(面白さが必要かは別として、読ませる気がない…と思わざるを得ないサイトもよく見かけます。)
疑問や質問があっても、教会へ毎週行っているわけではないので聞けるような信頼できる存在を持つこともできず、次第に教会から離れていきました…。
そんな体験から、「オンラインのキリスト教ではない人向けのキリスト教の情報を少しでも充実させたい」と思うようになりました。
理由② 伝えたいクリスチャンを応援したいから
【いつかみ / LampMate】を始めた理由の2つ目は「ネットを通してクリスチャンの応援をしたい」と思ったからです。
私はクリスチャンになったころ「信仰のこと伝えられたらいいなと思うけど、方法が分からない…」と思っていました。
信仰やキリスト教のことを誰かに伝えるのは、難しくはないでしょうか。私は上手く伝えられた試しがありません。
(ここではあくまで『伝えたいという気持ちを持っている方』に向けています。伝えたいと言う気持ちも人によって与えられ方が違うと私は思うので、伝えたいかどうかは人それぞれでいいと思います)
しかし「伝えたい。けどどうせ上手く伝えられないからやめておく」という方や「伝えたいけど方法がわからない…」という方がいるなら応援したい。そう思っています。
そのため、そういった活動・発信をしているサイトはないだろうかと探してみましたが…なかなか見当たらない…
じゃあまず作ってみよう。そう思い、【LampMate】としていくつかの企画を始めました。そのうちの1つが【いつかみ】になります。
理由③ 聖書を身近に感じてもらうために
クリスチャンの方に聞いてみたいことがあります。
Q.最近、「聖書の言葉に納得できた」と思ったのはどんな時でしたか?
……
いかがでしょうか…
…
私の場合はですが、「聖書の言葉に納得できた」時はその言葉が「自分のことだと感じた時」でした。
例えば
「あぁこの話しは私のことだ…」「確かにこういう人、周りにいるな」「この人物は昔の自分のよう…」「あるよねー…」と思ったなど時です。
要するに「聖書の背景」と「自分の人生」が重なった時と言い換えられると思います。
聖書の「人間関係の背景、時代的な背景、文脈の背景、言語的な背景」と自分の人生とが重なった時、その言葉が響きます。
「共鳴する」とも言えるでしょうか。
例えば、放蕩息子。父と息子の関係が自分のことだと気付いた瞬間、私の心は大きく揺れました。
同様に私たちは、様々なことに感動します。音楽、映画、美術、アート、スポーツ、小説、漫画、アニメ…などなど。
そういったポップカルチャーも聖書も人の心を動かすというのであれば、それらに共通点はあるはずです。
もし「聖書とポップカルチャーの橋渡し」ができるならば、より身近なポップカルチャーの視点から聖書を、より多くの人に届けることができるのではないでしょうか……
確かに「聖書を聖書で読む」ことが望ましいと聞いたことがあります。しかしそれは、聖書を初めて手に取る方にはかなり難しいことだと思います。
主イエス・キリストは、様々な例えと方法とをもって神の愛を伝えました。
私たちも様々な伝え方があっていいのではないでしょうか。
私の思いはシンプルです。「聖書のことを知りたい人がいて、その人が好きなものを通して知れるなら、それはいいことだと思う。実験でいい、やってみよう」
ご賛同いだたけましたら幸いです。
ご感想お待ちしております。よろしくお願いします。
管理人2:上坂栄太
届けたい読者層について
このサイトの読者層は、「マンガやアニメが好きで考えることが好きな人」「マンガやアニメが好きで聖書に興味がある方」「マンガやアニメが好きで求道中の方」「マンガやアニメが好きで信仰を持って1,2年の方」を届けたい読者として制作しています。
そういった方々への分かりやすさ・読みやすさを優先したいがため、神学的見地を限定して表現しているように感じられる箇所があるかもしれせん。
もしそういった箇所がありましたら、ご意見お問い合わせいただけたたらと思います。よろしくお願い致します。
クリスチャンの方へのお願い
ここまでお読みいただきありがとうございます。
ご賛同いただけましたら、応援していただけたら幸いです。基本的に低コスト・低資本でやっておりますので、サポート方法は5秒でできるものから30分程度でできるものばかりです。

「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」
(ルカによる福音書2:14)