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キリスト教・聖書に影響を受けたとされる日本文学(小説)【35選】

あおい
あおい

日本でキリスト教文学ってあるの?(三浦綾子とか遠藤周作以外に)

…という感じの疑問を抱かれた方に向けて、日本人作家のキリスト教文学を紹介していきます。

参考

キリスト教文学を学ぶ人のために

こちらのp.185~より「名作への手引き」としてキリスト教エッセンスを読み解く事ができる作品とそのコラムが紹介されていましたので、こちらから「日本人作家」のものを中心に紹介していきます。

じい
じい

作家自身のキリスト教信仰の有無は関係なく、キリスト教のエッセンスを読み解くことができる作品、という感じらしいです。

「聖書見ざる歌詠みは遺恨のこと」(『独断の栄耀―聖書見ザルハ遺恨ノコトー』)と言ったのは塚本邦雄である。これは藤原俊成が、『六百番歌合』で「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事也」と言ったのを「聖書」にもじったものである。たとえば、いかに耶蘇嫌いであった夏目漱石にしろ、最後までキリスト者にならなかった芥川龍之介や太宰治にしろ、「聖書」を介在させないではその文学作品は真に読みとくことはできない。

(引用:「キリスト教文学を学ぶ人のために」はじめにp.ⅰ)

▽こちらの動画では近代日本とキリスト教の受容史が体系的に解説されており、面白かったです。日本の近代文学史が学べる感じになっています。

こちらも気になる!

1945年から55年までの10年間は、日本が軍国主義から民主主義へと大きく転換し、多くの日本人が新たな思想や価値観、生き方を模索した時期だ。当時の文学にはキリスト教の影響が明確な形であらわれ、聖書が引用されていたり、キリスト教的世界観が織り込まれていたりする。本書は、戦後文学を聖書という観点から概観するもので、『キリスト教文化』誌(かんよう出版)に2016~21年に連載された論文が元になっている。
(中略)
「クリスチャン作家」や「キリスト教文学」というと、日本ではマイナーな分野のようにイメージされがちだが、実際はそうではない。戦後、日本が新しく転換していく中で、作家たちはこぞって聖書を読み、内容を吸収・咀嚼して自らの文学に反映させようとしていたのだ。その試みは、必ずしも聖書やキリスト教に対する肯定的な評価につながらなかったが、もがきの軌跡が文学史に残されている。信仰の有無や、信徒であったか否かという次元に帰結させるのでなく、日本文学に対する聖書の影響がさらに認識されていくことを期待したい。

【書評】 『戦後文学と聖書』 長濵拓磨―Kirishin

▼こういうのも書きました

日本人キリスト教徒(クリスチャン)作家・小説家~令和版 代表的キリスト教/聖書ファンタジー小説13選(図書館レファレンス参考) 【キリスト教文学】普通にカインとアベルモチーフの小説/文学9選【デミアン以外にも/近代~現代】



※「キリスト教文学を学ぶ人のために」では、年代の古い順に紹介されていましたが、ここでは「作家名五十音順」で紹介しています。(1864~1998年の作品)

目次

ア行の日本作家のキリスト教(に影響を受けたと読める)文学(1/2)

あおい
あおい

芥川龍之介『奉教人の死』
有島武郎『或る女』
石川淳『焼跡のイエス』
井上良雄『芥川龍之介と志賀直哉』

を紹介していくよ

芥川龍之介『奉教人の死』(1918.9『三田文学』)


奉教人の死

芥川龍之介(1892-1927)のキリシタン物といわれる作品は一五編あまり、芥川全作中のほぼ一割にあたる。創作の時期も初期の「煙草と悪魔」(一九一六)から晩年の「誘惑ー或シナリオ―」(一九二七)にいたるまで作家活動の全体にわたる。

芥川が真に描いたのは「娘の懺悔によってもたらされた〈ろおれんぞ〉の無償の愛への感動、特に、女であることを知って更に深まることになった感動の瞬間である。……これを宗教的感動と呼ばないなら、一体なんと言うべき」か(笠井秋生)とする説がある。なお「奉教人の死」の典拠は「聖マリナ」である。〔國松泰平〕

(「キリスト教文学を学ぶ人のために」安森 敏隆 (編集), 杉野 徹 (編集), 吉海 直人 (編集p.217)

有島武郎『或る女』(前編:1919.3/後編:1919.6)


或る女 1(前編)

有島武郎(1978~1923)の代表作で、前編は『或る女のグリンプス」として雑誌『白樺』に連載された。のち1919年3月に補筆改稿して『有島武郎著作集』第八 『或女』前編として刊行。後編は書下ろし作品で、著作集第9 『或女』後編として六月に刊行。

(引用:「キリスト教文学を学ぶ人のために」p.218)

この愛の可能性を求めて止まぬ虚無認識は、『或る女』の葉子の(中略)内面の苦悩と等質のものであることを知ることができる。日記執筆の時点では、その愛は、キリストとの出会いによって成就するというのが有島の結論であるが、教会退会をした有島にとってそれは、永遠の課題だったのである。

(中略)

 …有島は姦淫の女のエピソードに託して、ひそかにキリストによる愛の成就を希求していたことになる。そのキリストが、有島独自のものであったとしても、このところに『或る女』をキリスト教との関わりにおいて読むということのひとつの可能性を見ることができるのである。〔宮野光男〕

(「キリスト教文学を学ぶ人のために」安森 敏隆 (編集), 杉野 徹 (編集), 吉海 直人 (編集p.219)

石川淳『焼跡のイエス』(1946.10『新潮』)


焼跡のイエス 善財 (講談社文芸文庫)

1946年(昭和21)10月号の『新潮』に発表され、のち小説集『かよひ小町』(中央公論社、1947)に所収された。冒頭部分に「炎天の下、むせかえる土ほこりの中に、雑草のはびこるように一かたまり、葭簀がこいをひしとならべた店」とあるように、この小説は敗戦後の1945年(昭和21)7月晦日の一日に集中して書かれてある。

(引用:「キリスト教文学を学ぶ人のために」p.234)

敗戦後の日本を担う世代である少年に「イエス」を見、さらに「クリスト」を見、さらに「イエス・クリスト」に見立てた石川淳(1899~1987)は、究極、それらをも相対化して「けものの足跡」として未知なるものに託したのである。石川淳が、「いま」を書く作家でなく、まさに「あす」を書く作家であると言われる所以である。〔安森敏隆〕

(「キリスト教文学を学ぶ人のために」安森 敏隆 (編集), 杉野 徹 (編集), 吉海 直人 (編集p.235)

井上良雄『芥川龍之介と志賀直哉』(1932.4『磁場』)

同人誌で書籍収録もないようで、Google検索ページに飛びます。

「井上良雄」のGoogle検索

この熱気に満ちた批評は、『磁場』というリトル・マガジンに発表された。しかも、井上良雄(1907~)の本格的論考はわずか六篇で、旺盛な活動期間は四年足らずにすぎない。にもかかわらず、平野謙は、井上は文学史的には無名だが、『檸檬』一巻で梶井基次郎が刻印されるように、その業績も文学史に記すに値すると力説している。理由は「井上の論文はいわゆる作家論や文学史的叙述ではなかった。われらいかに生くべきか、と想いをこらした満州事変勃発前後におけるインテリゲンツィア一般の危機意識の血路打開が、そこに賭けられていた」(『昭和文学史』)と述べている。

(引用:「キリスト教文学を学ぶ人のために」p.228)

※こちらのTwitter検索に出る「井上良雄」には舞台俳優「井上芳雄」氏についてのつぶやきがまじっている様子もありますが、「井上芳雄」氏は『聴くドラマ聖書』でイエスの声を担当されており、ご自身もクリスチャンとのことです。よければ『聴くドラマ聖書』どうぞです。

この「いかに生くべきから」は、もちろん、芥川の自死をどのように超えるか、という井上自身の切実な課題でもあった。…冒頭で、まず、芥川の自殺は「知性の無力」の証明であり、「その死によつて断念した解決を、われわれは如何にしても生の中に求めねばならない」と問題提起をする。井上はその超克の指針を志賀直哉に託す。(そしして志賀の中に「近代プロレタリアート」の典型を見出す。)〔田中俊廣〕

(参考:「キリスト教文学を学ぶ人のために」安森 敏隆 (編集), 杉野 徹 (編集), 吉海 直人 (編集p.228)

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