目次
ア行の日本作家のキリスト教(に影響を受けたと読める)文学(2/2)

遠藤周作『沈黙』
大江健三郎『新しい人よ眼ざめよ』
大岡昇平『野火』
小川国夫『或る聖書』
を紹介していくよ
遠藤周作『沈黙』(1966.3)

沈黙 (新潮文庫)
『沈黙』は江戸時代のキリシタンの歴史に取材した歴史小説で、第二回谷崎潤一郎賞を受賞した遠藤周作(1923~96)の代表作である。
(引用:「キリスト教文学を学ぶ人のために」p.272))
作者はこの作品の主題について、「『沈黙』という小説は、そこにさまざまな主題が含まれているために、いろいろな批評家から、さまざまな解説や分析を受けたけれども、私にとって、一番大切なことは、外人である主人公が、心に抱いていたキリストの顔の変化である」(「異邦人の苦悩」)と語っている。(中略)
作者はこの小説において、自らのキリスト像がそれまでの父性的なキリスト像から人間の苦しみや悲しみを共にする母性的なキリスト像に転換したことをロドリゴに託して語ったのである。
(「キリスト教文学を学ぶ人のために」安森 敏隆 (編集), 杉野 徹 (編集), 吉海 直人 (編集p.272)
大江健三郎『新しい人よ眼ざめよ』(1983.6)

新しい人よ眼ざめよ (講談社文芸文庫)
大江(1935~)は学生時代から小説を書き続け、早くから注目を受けてきた。初期の彼の作品では、監禁された孤独な状況がよく描かれ、そこから社会や政治への関わりを、豊かな想像力を支えに展開する独創的なものであった。ところが大江自身の言葉によれば、「青春のしめくくりの時期」、すなわち1963年6月13日に、頭部に障害を持つ長男光が誕生し、その息子との共生が以後の彼の作家活動の中心に据えられていくことになる。
(引用:「キリスト教文学を学ぶ人のために」p.288)
つまり個人の想像力と、それを超えて立ち現れる現実や運命の苛酷さ、その全体のを自己に即して誠実に描き続ける営みが、『個人的な体験』以後の仕事であったと言える。それは必然的に自己否定的な営みになるば、同時に否定の重さに応じる他者からの恩寵にも似た癒しの予感と可能性にも満ちている。
(中略)
彼の言う定義の営みとは、自己の傷みに記される他者からの恩寵の痕跡とそこからの再生を記述することでもあった、これはほとんど信仰に近い営みでもあると言える。〔奥野政元〕
(「キリスト教文学を学ぶ人のために」安森 敏隆 (編集), 杉野 徹 (編集), 吉海 直人 (編集pp.288-289)
大岡昇平『野火』(1952.2)

野火(のび) (新潮文庫)
大岡昇平(1908~88)は、戦争末期の1944年6月に召集を受け、35歳の中年兵としてフィリピンに送られたが、山野を敗走中、米軍の俘虜となって、翌年12月に帰国する。その体験を「俘虜記」といsて書きだすのが1946年4月であり、7月にはやがて「野火」に発展していく「『狂人日記』ノート」が書かれはじめる。そして晩年の『レイテ戦記』に至るまで、大岡はこのフィリピンでの体験と意味とを問い続けていくのである
(引用:「キリスト教文学を学ぶ人のために」p.248))
…あたかも、意識の内に取り込みえる神はすべて虚偽であるということであり、逆にいえば狂人になるか幼子になる以外に、神を受け入れるのは不可能だとする倨傲な精神の姿勢である。しかし同時に、狂人の頭に宿る神の恩寵のリアリティも、大岡は痛切に認知しているはずである。
(「キリスト教文学を学ぶ人のために」安森 敏隆 (編集), 杉野 徹 (編集), 吉海 直人 (編集p.249)
小川国夫『或る聖書』(1973.7)

或る聖書 (1977年) (新潮文庫)
小川国夫(1927)には、『或る聖書』の前後に、『試みの岸』(河出書房新社、1972.6)と短編集『彼の故郷』(講談社、1974.6)がある。すなわち、この作品は、小川文学のもっとも充実した時期に纏められたものである。
(引用:「キリスト教文学を学ぶ人のために」p.278)
小川自身が「キリストを描いたというよりも、キリストをモデルにして書いた」と言うように、確かに「新約聖書」おが踏まえられてはいるが、新たな呼称や周辺的人物が創造され、明らかに自立した作品となっている。
(中略)
小川は「〈殺すなかれ〉〈殺すものは殺されるべし〉〈たとえ殺されても〉の連鎖を断ち切るための示唆」をこの作に込めようとしたと言う。21世紀の初頭の世界に大きなメッセージが確と孕まされている。〔宮坂覺〕
(「キリスト教文学を学ぶ人のために」安森 敏隆 (編集), 杉野 徹 (編集), 吉海 直人 (編集p.278-279)
