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【更新】文スト・文アル好き必見。キリスト教日本文学35選(1/06更新)

キリスト教・聖書に影響を受けた日本文学【35選】

目次

タ行の日本作家のキリスト教文学

創

高橋たか子『装いせよ、わが魂よ』
太宰治『ヴィヨンの妻』
武田泰淳『ひかりごけ』
塚本邦雄『水葬物語』
徳富蘆花『不如帰』

を紹介していくよ。

高橋たか子『装いせよ、わが魂よ』(1982・10)


装いせよ、わが魂よ

すでに小説を書き始めていた高橋たか子(1932~ )は1972年8月東京でカトリックの洗礼を受け、81年パリでドミニコ会の神父の霊的な指導のもと隠修者としての生活を始める。本作は欲望によって生きる人間から神とともに無名の人間として生きる、言いかえればちょうど魂の生活への出発していく〈時間〉を小説として著したものである。

(引用:「キリスト教文学を学ぶ人のために」p.286

▼「高橋たか子 装いせよわが魂よ」にまつわるツイート

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38歳の作曲家山川波子は77年二度目のパリ滞在においてアパルトマンを探している。滞在の目的は職業のためではなくこの都市の内部に入りこむためである。(中略)
波子は自分がもう実在の男に満たされることがなく、たった一人の大きな男に出会いたいのだということに気づき始めていた。二人を追ったイザベラは愛執の苦痛を神の体の病として受けとめ波子と共に祈ることで鎮めた。〔高桑法子〕

(「キリスト教文学を学ぶ人のために」安森 敏隆 (編集), 杉野 徹 (編集), 吉海 直人 (編集pp.286-287)

太宰治『ヴィヨンの妻』(1947・3『展望』)


ヴィヨンの妻

「ヴィヨンの妻」は「斜陽」「人間失格」とともに太宰(1909~48)晩年の代表作である。「滅びの支度にいそしんでいるような詩人のあわれさが深くにじみ出ている」(亀井勝一郎)とされる

(引用:「キリスト教文学を学ぶ人のために」p.236

▼「太宰 ヴィヨンの妻」にまつわるツイート

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「ヴィヨンの妻」は、いわば生と死のあわいであやうくバランスをとる人間の姿を描いたものといえよう。

 「けつきよく、太宰治においては信仰は成り立つてはいなかつた」(佐古純一郎)にしてもはたして「イエス・キリストとの出会いということがらが彼の中に成り立つていなかつたことを意味している」(同)ことになるかどうか。太宰とキリスト教との出会いは前期の終わりごろ、1936、7年(昭和11、2)以後の小説で「神」ないしキリスト教の意味は重い。〔國末泰平〕

(「キリスト教文学を学ぶ人のために」安森 敏隆 (編集), 杉野 徹 (編集), 吉海 直人 (編い集p.237)

武田泰淳『ひかりごけ』(1954・3『新潮』)


ひかりごけ (新潮文庫)

「ひかりごけ」は、「紀行文」形式の現在と、ついで戯曲形式をとる第一幕「マッカウス洞窟の場」の戦時中と、第二幕「法廷の場」の敗戦後という3部形式より成り立っている。この物語は、(中略)北海道東端の海辺の物語で、戦争と人肉食を主題としている。

(引用:「キリスト教文学を学ぶ人のために」p.252)

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人肉食とは、実際の「人肉」喰いの話からさらなる「悪」と「罪」の問題へと普遍化され、人間の「悪」と「罪」の根源なるところにまで止揚されていくことになるのである。〔安森敏隆〕

(「キリスト教文学を学ぶ人のために」安森 敏隆 (編集), 杉野 徹 (編集), 吉海 直人 (編集p.253)

塚本邦雄『水葬物語』(1951・8)


塚本邦雄全歌集 文庫版〈第1巻〉 (短歌研究文庫)

この歌集は冒頭の一首に象徴されるように、誠にメタフィジカルに作品を据えることからはじまっている。

 革命家作詞家にりかかられて少しづつ液化していくピアノ

歌人・塚本邦雄(1922~)の出発にあたっての決意は、日常的、詠嘆的なものを〈言語〉がひきずっている短歌の世界にあって、その日常的な意味を否定し、もう一つの自己表出的なイメージとしての言語の回復にあった。

(引用:「キリスト教文学を学ぶ人のために」p.244)

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 つひにバベルの塔、水中に黄淡の燈火をともし――若き大工は死せり

「若き大工」とはそのままイエスのことである。このようにみてくるとき、塚本邦雄の描く世界は究極の二つの根源的なイメージをもっていることが解る。一つは戦死者たちのイメージであり、もう一つはイエスのイメージである。この二つのイメージは、一つは現実の戦死者という第二次世界大戦で、夭折していった同胞者への通底し、もう一つは聖書の世界のイエスへの通底している。〔安森敏隆〕

(「キリスト教文学を学ぶ人のために」安森 敏隆 (編集), 杉野 徹 (編集), 吉海 直人 (編集p.245)

徳富蘆花『不如帰』(1900・1)

幼くして母を亡くした浪子は冷たい継母、優しい父片岡陸軍中将のもとで18歳になったが、川島家の若い当主と結婚することになり、初めて人生の幸福をあじわうことができる。明るい川島武男少尉と伊香保で新婚をすごして、夢のようである。夫は遠洋航海に出て、気難しい姑川島未亡人につかえて、1人で耐える。

半年ぶりに夫に会い、ふたたび蜜月をすごす思いであるが、風邪から結核にかかり、逗子に転地することになる。しだいに回復するところに、浪子に恋していた千々岩が失恋のはらいせに、伯母川島未亡人に伝染病の恐ろしさ、家系の断絶を言い立て、武男の居ない間に浪子を離縁させる。武男が知ったのは、日清戦争開戦間際だったから、母と争う時間もないまま、やけで砲丸の的になれと涙ながらに戦場にむかう。

武男は黄海で戦い、負傷し、佐世保の病院におくられ、無名の小包を受け取る。送り主の浪子は武男からの手紙を逗子で受取り、相思相愛で寄り添うことのできないのを悲しみ、思い出の地不動の岩から身を投げようとし、キリスト教信者に女に抱き留められ、宗教に心慰められる。…

(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』不如帰項 2021/1/08/14:03時点)

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蘆花は早くにキリスト教に近づき1885年、熊本のメソジスト教会で受洗、四国にて伝道に従事している。『思出の記』には、比叡山中、親友兼頭君が主人公菊池慎太郎の眼前で雷死する経験から、慎太郎は回心、信仰の道へ入るシーンを入れ込んでいる。蘆花の信仰は蘆花的キリスト教とも言えるもので、1906年、聖地巡礼、その記録『巡礼紀行』(1906・12)や、日本のアダム(日子)とイブ(日女)として妻愛子とともに世界を遊歴した記録『日本から日本へ』(1921・3)などがその世界を伝えている。〔慎林滉二〕

(「キリスト教文学を学ぶ人のために」安森 敏隆 (編集), 杉野 徹 (編集), 吉海 直人 (編集p.199)

ナ行の日本作家のキリスト教文学

ラビ―ちゃん
ラビ―ちゃん

永井隆『長崎の鐘』
夏目漱石『こころ』
新島襄『新島襄の短歌』

紹介していくね。

永井隆『長崎の鐘』(1949・1)

青空文庫

この書は、1945年8月9日、長崎に投下された原子爆弾によって被災しながら、治療と救援活動にか携わった当時の長崎医科大学教授永井隆(1908-51)の手記である。

(引用:「キリスト教文学を学ぶ人のために」p.240

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長崎の原爆に関する最も初期の忠実な記録、しかも放射線科という専門的立場からの科学的判断も交えた記録として、資料的価値の重要性もある上、カトリック信者の立場からその原爆投下の信仰にかかわる意味についてまで、明確に触れたものとしても、見逃すことのできない貴重な歴史的記録である。…
永井の手記そのものは、いかにも科学者らしい明確さで事実を整理し、それを再現しているが、その明確さが逆に心情表現の単純化と結びつき、政治的宣伝に利用されることにもなったのであろう。〔奥野政元〕

(「キリスト教文学を学ぶ人のために」安森 敏隆 (編集), 杉野 徹 (編集), 吉海 直人 (編集pp.240-241)

夏目漱石『こころ』(1914・9)


こころ

青空文庫

この物語は、若々しい書生が先生に出会うところから始まる。先生といっても、単に主人公がそう呼んでいるだけであり、実際は海で偶然にであった無職の男である。
 最初は出会った海で世間話をする程度の仲ではあったものの、徐々に先生だけではなく先生の奥さんとも交流を深めていくのであった。先生との交流を図っていく過程で、主人公は先生に対して違和感を覚えていく。先生と奥さんは一見仲の良い夫婦のように見えたが、先生がどことなく奥さんに対して何かしらわだかまりを抱いているようなのである。

そのことを主人公は先生に問い詰めるが、「話すべき時が来れば話します」と濁されてしまった。

そして来る明治天皇の崩御。

直後、主人公は先生から長い書簡を受け取る。その書簡には、先生が今まで抱えてきた過去や苦悩が事細かに記されているのであった。学生時代、先生にはKという友人がおり、Kは先生の奥さんとなる娘に惹かれていた。結果、Kは恋に破れ、それを苦に自殺を図ってしまう。

先生はKの死をずっと悔やんで自殺を考えながらも、奥さんと結婚し生活を営んでいた。最期に先生は、主人公に自分の過去をさらけ出して逝ったのである。

(引用:夏目漱石「こころ」の1分でわかるあらすじ&徹底ネタバレ!

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漱石(1869-1916)が早くから『聖書』を深く読みながら耶蘇嫌いを公言してきたことはつとに知られている。しかし『門』『行人』と書き進む中でしだいに人間の限界と神への仰望を強く感じるようになっていくことも周知のとおりである。『こゝろ』は、先生の若き日のKを死に至らしめたエゴイズムの痛恨を語っただけではない。むしろその罪に誠実に対処して、贖罪の人生をおくった人間の真と、その先生から「私」に向けられた、魂に呼応したかけがえのない命の伝達の中に遭いのありようの普遍的な美を見いだせる作品である。

(「キリスト教文学を学ぶ人のために」安森 敏隆 (編集), 杉野 徹 (編集), 吉海 直人 (編集p.213)

新島襄『新島襄の短歌』(1864・3~90・1)


新島襄の手紙 (岩波文庫)

新島襄の歌は、21歳から46歳までの51首が残っている。そのうち、1864年(元治元)函館を発ち、ニューイングランドに着くまでの洋上の一年半の間、殊に特筆すべき、短歌が残されている。その他、俳句が17句、漢詩が51編残っている。

(引用:「キリスト教文学を学ぶ人のために」p.188

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 我は今雪なき富士を詠めれども父母は雪ある富士を見つらん

ニューイングランドに近づいた時の歌である。日本をはるかにはなれた船上から、卓山(テーブル・マウンテン)を見、そして、その時、日本の富士山を思い出す。この一年半におよぶ航海で、新島は聖書に出会い、そして、肉親の「父」から天の「父」へと転換していく。そして、この時、日本の伝統的な詩形であった和歌の〈公〉的発想から短歌の〈私〉的発想への転換を果たすことになるのである。〔安森敏隆〕

(「キリスト教文学を学ぶ人のために」安森 敏隆 (編集), 杉野 徹 (編集), 吉海 直人 (編集p.189)
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