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【更新】「異類婚姻譚」をめぐるアレコレ(5月更新)

キリスト教・聖書に影響を受けたとされる日本文学(小説)【35選】

目次

カ行の日本作家のキリスト教(に影響を受けたと読める)文学

たくみ
たくみ

北原白秋『邪宗門』
木下杢太郎『安土城記』
倉田百三『出家とその弟子』
小林秀雄「『罪と罰』についてⅡ」

を紹介してくね!

北原白秋『邪宗門』(1909・3)


邪宗門

象徴主義の影響の下に創作されたこの詩集は、その鋭敏な感覚によって閉塞されていた人間性のを感性面において開放した。人間が本来持っている感覚の働きを呼び醒ましたのである。詩そのものは西洋の新しい思想倫理や開放意識、それらの深まりを包含させているのでなく、主にその形式において発揮された。ナルシシズム的性格と自己陶酔志向の強い詩集である。

(引用:「キリスト教文学を学ぶ人のために」pp.206-207)

白秋にとっての象徴は、陶酔の美であり、思考の美学ではない。象徴とは心に沁みた情緒を物の形によって暗示的に表現することであり、思想の内実を物の姿として表出することではなかった。象徴に対するこのような捉え方は、『思ひ出』以後の作品にも顕れており、白秋の詩の最大の特徴となり得ている。詩集『邪宗門』が近代詩上感性面での解放を齎した意義は大きい。〔瀧本和成〕

(「キリスト教文学を学ぶ人のために」安森 敏隆 (編集), 杉野 徹 (編集), 吉海 直人 (編集p.207)

木下杢太郎『安土城記』(1925・12『改造』)

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「安土城記」は「前記」「本記」「後記」の三段より構成される。「前記」は、日本への帰国の途次、ヴェネチアでイタリア青年に案内された日本人が、16、7世紀の「東洋に於ける耶蘇教教師」の古文献を調査してアレッサンドロ・ワリニャ二師がの足跡を探る話。

(引用:「キリスト教文学を学ぶ人のために」p.222)

「過去に在る未来」——「過去」は過ぎ去って消滅してしまった時間の単純な堆積なんぞではなく、「現在」と「未来」の一切を包摂する豊穣のことである。この一点に「安土城記」の主題が示されている。〔上田博〕

(「キリスト教文学を学ぶ人のために」安森 敏隆 (編集), 杉野 徹 (編集), 吉海 直人 (編集p.223)

倉田百三『出家とその弟子』(1917・6)


出家とその弟子

倉田百三(1891~1943)は、広島の県北、庄原市に生まれ、三次中学を経て第一高等学校に入学、しかし、在学中、生のありかを求めて煩悶、ショーペンハウエルに迷い、西田幾太郎『善の研究』に唯我の脱却を探る。途次、病を得て中退、帰省、キリスト教や仏教とくに浄土真宗に救いを求めた。その若き日の苦悩と彷徨いは、のち『愛と認識との出発』(1921・3)に、そして本作品に封じ込められている。

(引用:「キリスト教文学を学ぶ人のために」p.214)

人それぞれがもつ悪とその救済、生と死との極まりを説いて多くの人々の心を打った。その源には百三が中学生時代下宿した叔父叔母の篤実な真宗門徒の姿、一高中退後、アライアンス教会の庄原聖書研究所におけるキリスト教との出会いなどがあった。〔槙林滉二〕

(「キリスト教文学を学ぶ人のために」安森 敏隆 (編集), 杉野 徹 (編集), 吉海 直人 (編集p.217)

小林秀雄「『罪と罰』についてⅡ」(1948・11『創元』)


小林秀雄全作品〈5〉「罪と罰」について

小林秀雄(1902~83)は長期にわたってドフトエフスキーの作品について論じているが、中でも『罪と罰』と『白痴』を二度にわたり取りあげている。それは単にドフトエフスキー論の流行に従ったというようなことではない。他者を評することがそのまま自己を語ることであった小林にとって、ラスコオリニコフ、ムシュイキンという特異な主人公が、これ以上ない自己追求の対象として発見されたからであった。

(引用:「キリスト教文学を学ぶ人のために」p.238)

最初の『罪と罰』論ではラスコオリニコフを一箇の「道化」と位置づけ(九回にわたる指摘がある)、聖書を読む場面にも「奇跡の強請といふ恐るべき道化」を読み取った小林が、ここではその誤りをみずから明らかにしている。それは「誰かが、キリストは真理の外にいる、心理は確かにキリストを除外する、と私はキリストと一緒にいたい、真理と一緒にいたくない。」というドフトエフスキーの「信への渇望」を確かに小林が理解したことを示している。〔中野新治〕

(「キリスト教文学を学ぶ人のために」安森 敏隆 (編集), 杉野 徹 (編集), 吉海 直人 (編集p.239)

サ行の日本作家のキリスト教(に影響を受けたと読める)文学

石本
石本

椎名麟三『美しい女』
志賀直哉『大津順吉』
島崎藤村『新生』
曽野綾子『無名牌』

を紹介していきます。

椎名麟三『美しい女』(1955・10)


深夜の酒宴・美しい女 (講談社文芸文庫)

1955年5月から9月まで、『中央公論』に連載されたこの小説は、関西の一私鉄に勤務する労働者の自伝的な物語である。彼は(中略)とにかく至極真面目に勤務するが、時に他人の理解を超えた突飛な行動をも引き起こす。語り手という俯瞰的な立場の良識と、語る対象としての、やや不可思議な人物像が、「私」の造形に奇妙な捻じれを生じさせている。

 小説の中心はこの「私」と三人の女性との交渉にある。

(引用:「キリスト教文学を学ぶ人のために」p.260

「美しい女」とは、人間という存在が普通で平凡であることの意義を知らせてくれ、同時にその平凡さの自覚に、諦念ではなく積極的な意味合いを見出していくという、人間のごく原初的な宗教的自覚と言い直すこともできよう。このことは、1950年12月22日に日本基督教団上原教会で受洗した椎名鱗三(1911~73)自身の信仰を改めて参照しなくとも、認められるところであろう。〔真銅正宏〕

(「キリスト教文学を学ぶ人のために」安森 敏隆 (編集), 杉野 徹 (編集), 吉海 直人 (編集p.261)

志賀直哉『大津順吉』(1912・9)


大津順吉・和解・ある男、その姉の死 (岩波文庫)

モデルとなっているのは、キリスト教徒時代の直哉の実体験、すなわち1906年秋から翌年夏にかけて起こった、稲・ブリンクリーとの交渉や、女中Cとの結婚騒動で、1907年の志賀日記の他、菊判全集第15巻に初めて収録された「手帳5、7、8、9」等が事件当時の肉声を伝える関連資料として残っている。

(引用:「キリスト教文学を学ぶ人のために」p.210)

直哉がキリスト教と出会ったのは、1910年、20世紀大挙伝道の時である。直哉は数え19歳だった。数え13歳で実母を失い父と不仲だった直哉は、牧師に説かれた「父なる神に対して母らしい気持ちで人間の罪をかばうキリスト」というイメージに惹かれて入信を決意する。だが、やがて直哉は、自己の性欲とキリスト教の姦淫罪の戒律との撞着に苦しみだす。(中略)

(『大津順吉』「第二」)の作品は主人公の怒りと家への絶縁宣言で紅葉した状態のまま結ばれ、作品冒頭で示されたキリスト教との戒律との葛藤は、どう解決がつくのか示されないで終わっている。〔生井知子〕

(「キリスト教文学を学ぶ人のために」安森 敏隆 (編集), 杉野 徹 (編集), 吉海 直人 (編集p.211)

島崎藤村『新生』(第1巻:1919・8/第2巻:1919・12)


新生

作品は4人の子供を残して妻に先立たれた主人公岸本が、中年期にさしかかって倦怠感や疲労感を深くしている姿から始まる。妻の死後、姪の輝子と節子の姉妹が彼の生活の世話にきていたが、輝子は結婚して離れ、妹の節子が残った。その節子から、新年のある日母親になったことを告げられた。罪悪感に苛まれる日々を過ごし、自殺まで考えたが、どうかして生きたいという思いの中で、友人の勧めでフランス遊学を決意した。…

(引用:「キリスト教文学を学ぶ人のために」p.220)

『新生』は藤村(1872~1943)の実生活を踏まえているところから、批判的に見られることが少なくなかった。しかし…姪との過ちへの深い贖罪と浄化への期待をもって全てを引き受けていこうとする岸本像を描く作品世界は、宗教が人間の罪の救い難さに対して癒しと希望を与え、生の可能性を導くものであることを実感させるであろう。〔細川正義〕

(「キリスト教文学を学ぶ人のために」安森 敏隆 (編集), 杉野 徹 (編集), 吉海 直人 (編集p.221)

曽野綾子『無名牌』(1969・10)


新装版 無名碑(上) (講談社文庫)

『無名牌』は、旧約聖書の「ヨブ記」に触発されて書かれた作者曽野綾子(1931~)の最初の宗教小説である。

(引用:「キリスト教文学を学ぶ人のために」p.276)

つまり、『無名牌』は、数々のいわれのない苦難に遭い、何一つ報われなかった42章6節までのヨブの生涯を、主人公三雲竜起の生涯に移し変えた作品なのである。勿論、この小説には、「神なんてことはひと言も書かずに、教会も信徒も、全然出てこない宗教小説というほうが」「わたしは好きなんです」(対談「神さまはわたしのコンパス」)ち作者が語るごとく、神とかキリストとかいった言葉は皆無である。しかし、狂気の妻への献身に生きた主人公の生涯がすぐれてキリスト教的とは言うまでもなかろう。〔笠井秋生〕

(「キリスト教文学を学ぶ人のために」安森 敏隆 (編集), 杉野 徹 (編集), 吉海 直人 (編集p.277)
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