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【考察】エヴァンゲリオンとキリスト教。人は神になれないが、愛で成長することができる

寄稿について

管理人②

こんにちは。管理人②の上坂栄太です。

本コラムは、ゲストライターさんからの寄稿をベースに掲載させていただきました。

ありがとうございます!

寄稿コラム

経緯

こんにちは。ゲストライターの吉田 哲教と申します。

いつかみ聖書解説さんの今後の作品一覧を見ていて、「エヴァンゲオンを取り上げて欲しいな」と思いメッセージを送ったところ

 

管理人1

エヴァは見たことあるのですが苦手でして…良かったら、ゲストライターとして書いてみませんか!?

 

という話しをいただきました。

私はブログなどを書いたことは無かったのですが、せっかくなので書かせていただきました。

 

なお、私はもともと仏教の家の生まれで、キリスト教とは無縁の人間でした。エヴァ放送から19年後、2015年に私はクリスチャンになりました。

クリスチャンになってからエヴァを見直したところ「なんとキリスト教の要素が多いことか」と驚いたことを覚えています。

もしかしたら「キリスト教を知らない」と思っている人たちも、マンガやアニメを通して無自覚のうちに、キリスト教的な価値観を受け入れているのではないかと感じました。

 

このコラムは「エヴァンゲリオンとキリスト教。『人は神になれるのか?』をエヴァのメッセージから考える」という切り口でお伝えしたいと思います。

「キリスト教をもっと分かりやすく、親しみを感じてもらえないか」と思い、このコラムを書かせていただきました。これを機にキリスト教に興味を持っていただけたら幸いです。

 

ネタバレ注意

エヴァンゲリオンを見たことがある方向けに書いています。

見たことが無い方は、ぜひ!!

 

 

管理人1

エヴァンゲリオンは様々な方が考察・解説している作品です。キリスト教(聖書)に関するそのほか様々な考察をこちらにまとめてみました。
【まとめ】エヴァンゲリオンと聖書の考察7選。

「こんな考察あったよ」といった報告も受け付けてます!

 

新世紀エヴァンゲリオンとは?

 

◆アニメ史とエヴァンゲリオン◆

 

新世紀エヴァンゲリオンは、1990年代に描かれたメディアミックス作品(アニメ・コミックなどが同時進行で企画された作品)です。

70年代の「宇宙戦艦ヤマト」80年代の「機動戦士ガンダム」に続く、90年代を代表する作品で、新世代のアニメブームの火付け役となりました。

70年代は勧善懲悪的なストーリーが多くありましたが、「機動戦士ガンダム」の頃から善悪の区別がより曖昧に描かれるようになりました。「人は戦争などの非日常においてどう生きて行くべきか」など、生き方や主人公なりの正義を問う作品が増えてきました。

新世紀エヴァンゲリオンもその一つであると私は考えます。

 

◆ストーリー◆

物語の舞台は、2000年に起きたセカンドインパクト(大質量隕石の衝突)での大災害が起きた世界から、14年後の日本。

 

人々は日常を取り戻しつつある中、ある日、使徒と呼ばれる物体が襲来する。その異様な世界を守る為に、主人公「碇シンジ」をはじめとする14歳の少年少女たちが立ち上がる。

 

主人公たちは特務機関NERVが開発した汎用人型決戦兵器、人造人間エヴァンゲリオンに乗り込んで使徒を倒していくが、物語は意外な展開へと進んでいく。

 

セカンドインパクトの隠された真実、NERVの計画している「人類補完計画」、裏で糸を引く秘密結社SEELE、さまざまな人物の思いが飛び交う。

 

そんな中、己の存在意義に疑問を持ち、葛藤の中で成長していく主人公たち。そして、科学の力によって神に近づこうとした人類に「最期の審判」が下る…

(引用元なし。オリジナルあらすじ紹介)

 

「人類補完計画 ≒ 人間による主の再臨」という新(?)解釈

「人類補完計画」について、みなさんはどのように感じましたか?

「『人類補完計画』は聖書にあるのか?」と問われたら、答えは「いいえ」です。

 

ですが私は「エヴァの人類補完計画」と「聖書の再臨」のシーンは、いくつかの物事が合致していると感じたのです。

しかしながら、同様の趣旨の記事を探してみましたが見当たりませんでした。おそらくキリスト教徒側からエヴァンゲリオンを解説した記事がないからかもしれません。

 

エヴァンゲリオンは聖書的エッセンスが散りばめられた作品であることは、多くのブログや解説本で解かれています。

そのため、庵野監督の真意は分かりませんが、人類補完計画も聖書的要素が暗に隠されているかもしれません。または、意図せず結果的に合致してしまったのかもしれません。

 

そこで本コラムでは「エヴァの人類補完計画」と「聖書の再臨のシーン」について、その「符合部と違い」を考察してみました。

 

エヴァンゲリオンの用語解説

「エヴァの人類補完計画」と「聖書の再臨のシーン」を考察する上で、まずは「エヴァの人類補完計画」の用語補足をさせていただきます。

エヴァファンの皆さんには常識的な話題かもしれませんが、人によって多少のズレがあるため異論があるかもしれませんが、本コラム共通認識の一致のための補助線とご理解ください。

 

「エヴァンゲリオン」の語源・単語的意味

もともと、「EVA」とはギリシャ語で「良い」という意味の単語です。転じて「EVANGELION」とは、「福音」という意味のギリシャ語になります。

そのため英語では「福音を伝える者・伝道者」のことをエヴァンジェリストと表現します。

 

「人類補完計画」の解釈一例

いつくかの解釈がありますが、一例を引用させていただきました。

ゼーレが考える人類補完計画は、全ての人類の原罪から開放されることで、原始に還ることでした。
しかし、ゲンドウが考えていた人類補完計画とは、この原罪から開放される方式ではありませんでした。

ゲンドウはストーリーの中でも、ユイと再会することを一番の目標としており、そのためなら自分の子供の犠牲もいとわない行動が多々ありました。

つまり、ゲンドウの最終的な目標は、神と同等の存在へとなることだったと思います。
原始に戻ることでも進化でもなく、自分が神となること。
(引用:http://www.eva-fun.net/nerv/post_9.html

 

「聖書における再臨」の用語解説

「エヴァの人類補完計画」と「聖書の再臨のシーン」を考察する上で、つぎに「聖書の再臨」の用語解説をさせていただきます。

聖書に馴染みのある方にとっては常識的な話題かもしれませんが、人によって解釈の違いがあるため異論があるかもしれませんが、本コラム共通認識の確認のための補助線とご理解ください。

 

再臨とは

再臨とは、キリスト教神学の用語です。

十字架で死に、3日目に墓に葬られ、のち復活し天に昇ったとされるイエス・キリストが世界の終わりに人間たちを新天新地(天国 / 神の国)に導くために、再び地上に降りてくることを指します。

辞典から引用をしてみました。

イエス・キリストが再び来られることを言う。「再臨」とも「来臨」とも言われる。

〜(中略)〜

再臨をどのように待ち望むかについては、個人としても教会としても、考え方と態度においてかなりの差異がある。特に千年王国説については、教会間で教理的にかなりの相違が見られる。
(1985年発行「新聖書事典」いのちのことば社 再臨項)

 

人類補完計画(サードインパクト)と主の再臨の類似点

「人類補完計画」は秘密結社SEELEが「死海文書」(裏死海文書)を手に入れた事によって計画されたものですが、仮に「主の再臨」=「人類補完計画」だったとしても、現実の「死海文書」に「主の再臨」を起こす方法が書かれているわけではありません。

死海文書とは

「死海文書」は1947年以降死海の北西で発見された972の写本群の総称。おもにヘブライ語聖書(旧約聖書)と聖書関連の文書からなっている。

キリスト教のコアである「イエス・キリスト」についての直接の記述がないため、プロテスタントでは正典扱いされていないものの、死海文書の発見により従来の聖書の忠実性・整合性・厳密性が証明されたとされている。

【こちらもおすすめ】→「エヴァ」でも注目、「死海文書」に世界はなぜ驚かされるのか? 日本語版刊行開始

 

信仰に熱狂的になるあまりに再臨の時を予測したがる方もいるにはいますが、実際の聖書によると「再臨の時」は父なる神のみが知る事で、人間はそれを知ることができないとされています。

聖書

『その日、その時は誰も知らない。天の御使いたちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる』
(マタイによる福音書24章36節)

『人の子(キリスト)は思いがけない時に来るのですから』
(マタイによる福音書24章44節)

しかし、そのほかのいくつかの類似点から「主の再臨」と人類補完計画に共通点を感じますのでそれを詳しく解説していきます。

①黙示録の天使の数と使徒の数18体

まず、サードインパクトのために倒す使徒の数です。サードインパクトは、使徒(angel)を[18体] 倒した後、ADAMとEVAとの接触によって引き起こされます。

 

この18という数字は、聖書中の「主の再臨」を記した『ヨハネの黙示録7章2節、8章2節、15章7節』に出て来る天使の数の総数に合致します。

聖書:ヨハネの黙示録

また、もうひとりの御使が、生ける神の印を持って、日の出る方から上って来るのを見た。彼は地と海とをそこなう権威を授かっている四人の御使にむかって、大声で叫んで言った、
(7章2節)

それからわたしは、神のみまえに立っている七人の御使を見た。そして、七つのラッパが彼らに与えられた。
(8章2節)

そして、四つの生き物の一つが、世々限りなく生きておられる神の激しい怒りの満ちた七つの金の鉢を、七人の御使に渡した
(15章7節)

4+7+7=18 です。

②人類の罪に決着がつく

「人類の罪に決着がつく(つかせようとする)」という点において共通しているように思います。

聖書では「人間」は「神」に似せてつくられたと書かれています。そして、人間は神の命令を聞かずに善悪を知る木の実を食べてしまい、エデンの園から追放されてしまいます。

 

以来人間は罪の性質により、幾度となく神との約束をやぶり続けます。その繰り返しが描かれているのが旧約聖書で、新約聖書ではその罪が「イエス・キリストを通せば赦される(預言通りというところがミソ)」という神さまとの約束が成就されたことがわかる構造となっています。(ちなみに、イエス・キリストが今から2,000年前に活躍したこのときのことを「初臨」と言います)

 
イエスを信じる人間にとって「救い」はもうなされているわけなのですが、同時に「もう一度イエス・キリストが地上にくる」とも考えています。聖書の記述があるからです。これを「再臨」と言います。
 
 

先ほども述べたように、再臨は「いつ来るかはわからない」とされていますが、「いつかは来る」わけです。少なくともキリスト者はそう信じている場合が多いでしょう。

 

神に対して契約を破った罪のつぐない、世界を全てをやり直そうとする計画。それが人類補完計画です。

 

「再臨」は、その時に償いを求められるわけではありませんかが、「いったん決着がつく」という点においては似ているとかんじます。

参考:「ローマ人への手紙8:19〜21」「ヨハネの黙示録15〜18」

③サードインパクトで「十字架」が登場する

また、人類補完計画のために必要な「サードインパクト」を起こすには、ロンギヌスの槍、その依り代となるEVA初号機が必要になります。

 

劇中ではEVA量産機が初号機を囲み、バックにはセフィロトの樹が現れました。月軌道にあったロンギヌスの槍が初号機に刺さり、サードインパクトがはじまります。

 

人々が自我境界線(ATフィールド)を失い、L.C.Lの海の中に溶け込んでいき、一つの生命体になろうとしていきます。

 

ここで初号機・量産機は、十字架の形をかたどります。

 

この十字架を思わせるデザインは「人類の罪の贖罪を象徴したいから」こそのこのデザインでしょう。

 

…これらが、私が「人類補完計画ーひいてはサードインパクトが『主の再臨』オマージュ」だと考える理由です。

碇ゲンドウ ー 「自らを神としようとする」のは人類が誰しも持つ欲動

劇中で重要なファクターである碇ゲンドウは、彼は当初SEELEが計画していた「人類補完計画」を私的に利用しようとした人物でもあります。

彼は妻であった「碇ユイ」をサルベージさせたい一心で「人類補完計画」を私的利用しようとしました。

 

彼はADAMを胎児にまで退化させ自分に取り込もうとしましたが、これは「自らを神にしようとする」行為です。

 

聖書では「神のようになりたい」という気持ちのことを総じて「罪」と表現します。キリスト教会では「自己中心」も「罪」から生まれる感情だと表現されることがままあります。

 

聖書を読むと、ゲンドウの「自らを神としようとする」気持ちの胎芽は人類だれしも持っていると解釈できます。そういう意味ではゲンドウの行為をただ批判できないと考える方も多いのではないでしょうか。

 

私もゲンドウの行為に賛成できるわけではありませんが、個人的には一人の女性をこれほどまでに愛してここまでやってのけるゲンドウの行動力には一種のカッコよさを感じます。

人は神になれるのかー人は「人」を創れるか?

ゲンドウは自らを神としようとしましたが、今の社会では「人を創る行為は神の領域」といった倫理観が一般的なように思います。

 

エヴァには「人は、人を創れるのか?」というテーマも見え隠れしているように思います。EVAの世界には「人造人間」と呼ばれるエヴァや、ユイのクローンである綾波レイの存在がありますから。

 

現代科学でもクローン技術は進歩していますが、無からなにかを生み出す技術はありません。人間の技術では「創ったものに魂を宿す」ことはまだ出来ないのです。

 

もちろん将来的には、自分で考え判断出来るような生命体を創れるようになる可能性も否定できません。しかし、現状AIなどでもそれが「感情を持つ」に至るまでには、まだまだ多くの課題があると感じます。

 

仮に人が人を創れたとしても、「愛」を完全に理解するのは不可能ーー人の思い上がりを戒めるメッセージも込められている気がします。

 

エヴァと聖書の「愛」 ー 碇シンジがたどり着いた「愛」

人は、どうしたら「愛」を理解できるのでしょうか。

碇ゲンドウは、自己中心ではありますが「愛」を動機にここまでのことをやってのけました。一方で、綾波レイには「愛」という感情の複雑さを理解できずにいます。

主人公碇シンジは、アニメでは登場人物たちとの会話の中で(コミックでは綾波レイとの会話の中で)「自分」を見つけ出します。

(聖書辞典をもってこよう。キリスト教では「人との関係性の中に神の国があらわれ、神は愛であると考える)

最初は自分を否定していたシンジですが、人とのコミュニケーションのなかで自分の存在価値を見い出し、そして物語は、新たな世界で新しい一歩を踏み出していきます。

 

TV版・劇場版ではすこし違ったアプローチで仕上げていますが、シンジが自由意思によって行動できるようになっていくことが描かれているところに違いはありません。このシンジの変化に納得できる方であれば、「自分の意思で物事を選択する」ということが良い事であるということを共感していただけるのではないかと思います。

 

聖書では「愛」についてよく言及されています。聖書では一番大切なものは「愛」だと語られて、様々な場面で「愛」という言葉が出てきます。

聖書

たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。

たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。

たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。

愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、

不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。

不義を喜ばないで真理を喜ぶ。

そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。

愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。

なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。

全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。

わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。

わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。

このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。(コリント人への第一の手紙13章)

 

キリスト教では、「人間が多様性をもち、一人ひとりがかけがえのない『個』でありながら、愛の交わりを持ち一致することができる」と考えます。

 

神は人間に「自由意志」を与えました。それは神が「愛」だからだと説明されることが多いです。自由意志による選択ができることを「愛」であると感じる方はキリスト教徒でなくとも多いのではないでしょうか。

 

碇シンジは、人との接触を極端に遠ざけていましたが、初号機の中で「人を愛する事、愛しても良い事」に気がついています。そして自らの意思で決断します。だから新しい一歩を踏み出す事が出来たのでしょう。

 

複雑な仕掛けや設定から見えづらくはありますが、新世紀エヴァンゲリオンは主人公・碇シンジの愛の成長記とも言い換えられます。

 

「新世紀エヴァンゲリオン」は ” 人は神にはなれない ” というメッセージを持っていますが、「愛」の存在に気づくことによって、自分を見つけることができるという結論も持ち合わせているように感じます。