こんにちは。人気マンガ・アニメから聖書を解説する「いつかみ聖書解説」です。
最近「古事記」を読む機会に恵まれたのですが、ヤマトタケル伝説を読んでいて、改めて『白鳥異伝』の深さに驚いてしまいました。
『白鳥異伝』について知りたい方は
→Wikipedia「白鳥異伝」
→ブックメーター「白鳥異伝」
→白鳥異伝~ 世界の果てに分たれた幼なじみたちの物語
~当記事は基本的にネタバレしています~
ネタバレが気になる方はぜひ読んでからお越しください。
▼「白鳥異伝」「勾玉三部作」についてのみんなのツイート
(私は小学5年生のときに勾玉三部作に出会って以来、古代日本~平安時代あたりをやや深堀りしてしまったタイプのオタクです。『薄紅天女』が一番好きなのですが、物語として一番面白いのは『白鳥異伝』ではないかな~と思っています。はい、めんどくさいですね)
と、いうことでハートに火がついてしまったので、以前より考えていた
遠子たちの旅路を地図で追いながら妄想したい。
という願望を爆発させて、Googleマップの埋め込みをしながら紹介していきます。また、後半では
小俱那の「死と復活」の描写について、物語論的かつ聖書との共通点について思うところあり
ということで、その話しもしていきたいと思います!
▼こちらもよろしく
【空色勾玉考察】古事記から見えた勾玉三部作のメッセージと、少しの聖書解説 【荻原規子】勾玉シリーズの生理(月経)描写~白鳥異伝が一番プロットに影響してる 【RDGレッドデータガール】アニメ小説共通の感想。泉水子のその後をガチ考察。高柳一条をキーパーソンにするとハピエンになる!…かも目次
『白鳥異伝』は「古事記」ベース?それとも「日本書紀」?
『白鳥異伝』が「ヤマトタケル伝説」をモチーフとしていることは誰しもが知るところですが、「古事記」と「日本書紀」どちらのヤマトタケル伝説がモデルなのか、というとご存知ない方も多いのではないでしょうか。
(ヤマトタケル伝説は「古事記」「日本書紀」両方にあるものの、内容がけっこう違っているのです)
記紀を比べてみたところ、白鳥異伝は「古事記」に近いと考えられます。(参考:Wikipedia「景行天皇」項より)
また、ラストあたりの展開については「常陸国風土記」に出てくるヤマトタケル像がモデルです。
(というか、基本的には「常陸国風土記」に出てくるヤマトタケル像に肉付けしたくてこのお話を生み出したのでしょうが)
Q.白鳥異伝の時代は?
A.ヤマトタケル伝説の登場人物が実在したとすれば4世紀前半と推定されますが、定かではありません。
Q.白鳥異伝の地名は?
A.白鳥異伝が「古事記」モチーフだと解釈するなら、
三野→美濃/岐阜県
まほろば→ヤマト/奈良県
伊津母→出雲/島根県
日高見→東北地方
という感じです。追って、地図と共に解説していきます
※「常陸国風土記」に登場するヤマトタケルは、それはもうかなりたくさん言及されているのですが、いかんせん『白鳥異伝』の物語としての筋に直接関係しているエピソードはそうないし、あくまで茨城の土地の風土についての話しがメインなので、ここでの紹介は控えます。気になる人は「風土記」を読んでみてください!
▼今回のメイン資料
ヤマトタケルノミコト&遠子たちの旅路
ということで、モデルも判明したのでここからは実際にGoogleマップで「このへんだよ」というのを見ながら遠子たちの旅路に想いを馳せてみたいと思います。
細かいことは省いて「ざっくりこの県」くらいの紹介だけしていきます。ズームインしたりズームアウトしたりしてお楽しみください!
※そもそも「ヤマト」「イズモ」がどこなのか…という議論も諸説あるようです。(例えば、「イズモ」という地名は実はたくさんあって、西日本の制圧を命じられているのに四国をスルーしてるのはおかしいから、「ヤマト」は徳島県なのではないか…などなど)しかし、ここでは現代の認識で一般的とされているものに沿って解説しております。
始まり~遠子が玉の御統を手に入れるまで:「西征」にあたる旅路
▼古事記では…
倭(奈良)→出雲経由(島根県)→日向(宮崎県/熊襲討伐)→(道中の神々を討伐)→出雲(イズモタケル討伐)→倭
▼日本書紀では…
(そもそもルートは定かではない様子)景行天皇が日向(宮崎県/熊襲※討伐)→次にヤマトタケルの熊襲討伐
※日本書紀では討伐対象が「熊襲兄弟」ではなく「川上梟」といった違いも
▼『白鳥異伝』では…
三野(いわゆる岐阜県)→ 都(いわゆる奈良県)→久々里?(いわゆる愛知県と岐阜の境くらいにある場所?)→ 伊津母(いわゆる島根県) →豊後国(いわゆる大分県)→ 日牟加(「日向国(ひゅうがのくに)」いわゆる宮崎県)→三輪山(いわゆる奈良県)
※「イズモ」に関して、勾玉三部作二次創作個人WEBサイト「あたそのや」さん『菅流を追うイズモの旅』にて詳しい色んな写真が載っていました。詳細に想いを馳せてみたい方はどうぞです。
※三輪山は、作中では三輪山だと推察できる単語は出て来ませんが、「倭迹迹日百襲姫命」の話の舞台が三輪山なのでそうではないかと想像しました。
遠子は宮に忍び込み大王と対面。それから菅流に救出され、玉の御統を手に入れるところまでを前半(西征)とします。
小俱那と遠子の再会~ラスト:「東征」にあたる旅路
▼古事記では…
伊勢(三重県)→尾張(愛知県)→相武(神奈川県)→走水の海(浦賀水道/ 千葉県近くの海)→(関東南部)→足柄の坂→甲斐(山梨県)→科野(長野県)→尾張(愛知県)→美濃(岐阜県)→伊吹山→伊勢(三重県)
▼日本書紀では…
伊勢(三重県)→駿河(静岡県)→走水(浦賀水道/千葉県近くの海)→上総(千葉県)→陸奥(東北地方の東半分)に入って→常陸(茨城県)→甲斐(山梨県)→碓日の坂→科野(長野県)→尾張(愛知県)→伊吹山→伊勢(三重県)
(いずれも参考は株式会社角川書店「鑑賞日本古典文学第1巻古事記」)
▼白鳥異伝では…
走水の海(千葉の近くの海)→ 狭賀武(相武の国、いわゆる神奈川県) →常陸国(いわゆる茨城県) →日高見(ざっくり東北。いわゆる宮城県くらいまで?)
※真太智のお話の舞台は常陸国(茨城)がモデルだと推察します。「マタチ」という名前の由来は常陸国風土記にある蛇神伝承からとったのかな…と想像しています。
※遠子と小俱那がしっかり合流してからは、 地名については言及されないことも多くなってくるので現実の で現実の伝承から推察した場所の埋め込みも含みます(腰掛神社など)。とはいえ、ラストスパートはほぼ日高見が舞台です。遠子は玉の御統の力でワープ可能になるのでちょっと伊津母に行ったりしますが、そこは割愛します。
※なんでも「日高見」とは、「ざっくり東北の方」という意味だそう。古事記では「竹水門」まで登って、蝦夷を制定したと描かれていますがその「竹水門」がどこなのかというのも諸説あるようです。
最終的に遠子と小俱那は日高見の地に安住することになり、菅流は伊津母に帰ります。
ということで、ここまで遠子たちの旅路に想いを馳せてみました。
ではここからいよいよ「いつかみ聖書解説」のターン…つまり『白鳥異伝』を通して聖書を読む作業に入っていきます。
私の大事な白鳥異伝をキリスト教なんかの話と絡めるな
と思われる方はUターンお願いいたします。
死と復活の物語という名の「幸せな大詰め(ユーカタストロフ)」
「遠子、おまえはどうするつもりだ」菅流が、用心深い調子でたずねた。「おれは前に言ったよな。小俱那が死んだら、いっしょに伊津母にもどろうと。今からでも遅くはないんだぜ」
(引用:徳間書店/荻原則子「白鳥異伝」pp.583~584)
「あのときと今ではあまりにもちがう。あまりにも変わってしまったわ。何もかも……わたし自身も……」
遠子は静かに言った。そして口をつぐんだが、ためらったのはごくわずかなあいだだった。「わたしもここに残ろうと思うの。一人ではないもの」
「これからずっと、死者を抱いて生きるつもりか?」菅流は言った。「おれが帰りづらいじゃないか」
「かわいそうとは思わないで」しばらくしてから遠子は言った。「待ってね。もっといい理由を見つけるから。ただ、今はまだ何も考えられないの。今にもふいに小俱那がもどって来るみたいな気がするのよ」
(中略)
「おい、おれは目がおかしいぞ。あそこに立っている、あれはだれだ」
陣にはだれもいないはずだった。一人残らず葬列を作って塚にもうでたのだから。だが今、降る雪の中に、白い衣を着た人物が立っていた。まるで雪とともに天から落ちてきたように。
「古事記」および「常陸国風土記」といった日本の古典からイメージを膨らませた先に荻原先生が描いたものは、「死と復活によるハッピーエンド」でした。この不思議さには深く考えさせられます。
荻原則子先生はC.S.ルイスの『ナルニア国物語』に深く影響を受けているので、『ナルニア国物語』で描かれたアスランの死やその復活の時に感じた喜びを(意図するともしないともわかりませんが)ご自身の物語にも取り入れられたのかもですが…
このことについて、これを読んでいるみなさまに聞いてみたいことがあります。
小俱那が「死んで行ってきた世界」の描写がすっぽりとぬけ落ちていることに、肩すかし感や違和感を感じませんでしたか?
ということです。
というのも、昨今のマンガの描写に慣れていた私は、『こういう時には、”向こう”の世界で小俱那が何かを見て何を思って帰ってくるにいたったのかを描写したほうがいいんじゃないか。力尽きたのかな…なんだか尻切れトンボな印象…』
といった感想を抱いたのです。
(最近のマンガだと、『鋼の錬金術師』や『鬼滅の刃』などでも、主人公たちは”向こうの世界”ともいうべき空間のようなところに行き、なにかに気づいてこちらにもどってきて結末を迎える…という描写があります。あんな感じに、もっとしっかりと描いてもいいんじゃないか、と思っていたのです)
時を経て私はキリスト教(聖書)に出会い、そして、この『白鳥異伝』のこのラストと同じような感覚を覚えさせる描写に出会います。それが、福音書における「イエスの死と復活」のくだりです。
さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた。
すると、大きな地震が起った。それは主の使が天から下って、そこにきて石をわきへころがし、その上にすわったからである。
その姿はいなずまのように輝き、その衣は雪のように真白であった。
見張りをしていた人たちは、恐ろしさの余り震えあがって、死人のようになった。
この御使は女たちにむかって言った、「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、
もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。
さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。
そして、急いで行って、弟子たちにこう伝えなさい、『イエスは死人の中からよみがえられた。見よ、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこでお会いできるであろう』。あなたがたに、これだけ言っておく」。
そこで女たちは恐れながらも大喜びで、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。
すると、イエスは彼らに出会って、「平安あれ」と言われたので、彼らは近寄りイエスのみ足をいだいて拝した。
(マタイによる福音書 28章1~9節)
さて、一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に行くと、墓から石がとりのけてあるのを見た。
そこで走って、シモン・ペテロとイエスが愛しておられた、もうひとりの弟子のところへ行って、彼らに言った、「だれかが、主を墓から取り去りました。どこへ置いたのか、わかりません」。
そこでペテロともうひとりの弟子は出かけて、墓へむかって行った。
ふたりは一緒に走り出したが、そのもうひとりの弟子の方が、ペテロよりも早く走って先に墓に着き、
そして身をかがめてみると、亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、中へははいらなかった。
シモン・ペテロも続いてきて、墓の中にはいった。彼は亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、
イエスの頭に巻いてあった布は亜麻布のそばにはなくて、はなれた別の場所にくるめてあった。
すると、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはいってきて、これを見て信じた。
しかし、彼らは死人のうちからイエスがよみがえるべきことをしるした聖句を、まだ悟っていなかった。
それから、ふたりの弟子たちは自分の家に帰って行った。
しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、
白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。
すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」。
そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。
イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。マリヤは、その人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」。
イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。
(ヨハネによる福音書20章1~16)
現代のキリスト教徒の多くは、「死んだ人間は生き返らない」ということを知っていますが、にもかかわらず、イエスの死と肉体ごとの復活は実際にあったことだと受け入れています。
確かに福音書には
墓の中で遺体が揺れ動いて、ついには立ち上がり、身体を包んでいた布を剥ぎ取って、それをきちんとたたみ、墓の前にあった石を動かして番兵を驚かせてから墓を後にする――
(引用:リー・ストロベル著/峯岸麻子訳「ナザレのイエスは神の子か?「キリスト」を調べたジャーナリストの
記録」pp.373⁻374)
といった描写もなく、(ましてやイエス視点での言及などしるされておらず)、「墓は空になっていた」「そのあと、肉体を持ったイエスは大勢の人の前に現れた」といった描写しかありません。
(ちなみに、「イエスの墓が空になっていた」というのは、イエスをキリストと信じない当時のユダヤ人たちも認めていることであり、福音書以外の史料からもわかることだそうです。調べればわかると思いますので、気になった方はぜひ)
にもかかわらず、クリスチャンたちは使徒信条で
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。
(もっとくわしく知りたい方は→Wikipedia使徒信条)
と告白します。
キリスト教になじみのない日本人の多くは、
「そもそもイエス・キリストって実在したの?」
「死んだとしても、復活なんて弟子たちがでっちあげたんでしょ?」
「もしかしたら弟子たちが幻をみたんじゃない?」
「何かの比喩なんでしょ?」
といった疑問を抱かれる方も多いのではないかと思います。(私もずっとそう思っていました。)
そのあたりについての疑問や説明も、キリスト教の2000云十年の歴史の中でずっと繰り返されてきたことですので、気になる方はご自身で調べていただければと思います。
今私が「コレおススメだよー」と言っても、そもそも私が提示した資料は私のバイアスがかかっていて信頼できないと感じられると思いますので、ここで具体的なソースを提示はさけます。
荻原規子先生は、神話を
神話をいじることは、たいへん危険な行為なのであって、敬虔に慎重に扱わないと、他人には見えないどこかの場所で恐ろしい報復が返ってくると。
神話が深みからひっぱり出してくるものは、理性では手におえない強制力をもち、かなり恐いーーそういう思いを、わたし自身も少しはしている。本人が思ってもみないところで、あばかれたことに後から気づくこともある。
(引用:荻原規子著「ファンタジーのDNA 」初版/理論社p.30)
といっており、慎重なものと考えていることなどを含めて考えると、「そこを空白にしたことは、とても神話的で、正解だったのかもしれない」と思えます。
さて、そしてこの「小俱那の死と復活によるハッピーエンド」は、さらに興味深いことを私たちに考えさせてくれます。
荻原先生も大きく影響を受けているであろうファンタジー作家C.S.ルイス、それからJ.R.R.トールキンは、この「死と復活のハッピーエンド」になみなみならぬ意味を見出しているのです。
――しかし、「幸せな大詰め」について考えてみるなら、その答えはより偉大なものになりうることが一瞬のうちにみてとれます――それはこの世における「福音」のはるかな光、反映であります。(中略)
(引用 : J.R.Rトールキン著/猪熊葉子訳「ファンタジーの世界ー妖精物語とは何かー」pp.140-143)
福音書は妖精物語を、いや、あらゆる妖精物語の真髄を包括するような偉大な物語を含んでおります。福音書のなかには、多くの驚異が――とくに芸術的なものが、美しく、感動的なものが含まれています。(中略)
そしてこれらの驚異のなかには、思いつくかぎりにおいて、最も偉大な、最も完全な「幸せな大詰め」がみられるのです。(中略)
「キリストの誕生」は、「人間」の歴史の「幸せな大詰め」でした。「復活」は「神のキリストにおける顕現」の物語の「幸せな大詰め」でした。この物語は喜びに始まり、喜びに終わります。その「真実(リアリティ)の内部の調和」は傑出しています。この物語よりも真実である、と人に考えられる物語はほかにありませんし、かくも多くの懐疑主義者が、その物語の価値によって、真実のものとして受け入れた物語もほかにありません。(中略)
――物語や空想は依然続きますし、続かなくてはなりません。福音は伝説を排除してきませんでした。むしろそれを、とくに「幸せな大詰め」を大切にしてきたのです。
私にとって物語が与えてくれるものの中で一番大事だったのは、それが幸福の約束をしてくれること、でした。
(引用:猪熊葉子「児童文学最終講義 しあわせな大詰めを求めて」pp.30-31)
研究者の方はフレッド・イングリスの『幸福の約束』という児童文学論のあることをもちろんご存じだと思いますが、この幸福の約束を様々な形で具体的に物語から与えられること、ハッピー・エンディングへの強烈な欲求を物語が充足してくれることが私にとってその存在意義だったと言えましょう。
ハッピー・エンディングなどと言うと、近・現代の深刻な大人の小説を読みなれた人には馬鹿くさい、甘ったるいことだと思われがちですけれど、そうではない、そう考えることは大変な誤解であると私は思います。それは人生を肯定する助けとなるものだからです。
先ほどその名をあげたスザンヌ・ランガ―は、芸術的なものの価値は生命感のリズムのあるなしである、と言っています。それを実現するには、成長と自己保存という本質的に喜劇的な感情が必要なのであると言うのです。
(トールキン)先生が亡くなった時、「タイムズ」の追悼記事は、「幸せな大詰め」という先生の造語をキー・ワードとして掲げました。それは先生が論文のなかで、妖精物語の真の姿、その最高の機能はそれが「幸せな大詰め」をもっていることである、と主張しておられたからです。
(引用:猪熊葉子「児童文学最終講義 しあわせな大詰めを求めて」p.50)
なぜなら、妖精物語の「幸せな大詰め」は、「最終的な敗北が蔓延することを否定し」「この世界を取り囲む壁のむこうに存在するあの『喜び』、悲しみと同様に鋭く人をつきさす『喜び』を感じさせるもの」であるからです。
先生は、空想の国の建設を通じて、悲劇や不条理を人生の本質であると考える近・現代の悲観主義に真っ向から反対しておられたのでした。
▼そのほか「幸せな大詰め」についての記事
私自身は、白鳥異伝を初めて読み終わったとき、この「幸せな大詰め」というものにあまり意味を見出せませんでした。
読み物としては多幸感を与えてくれるものだから個人的には好きだし、遠子のもとに小俱那が帰ってきてくれて本当に幸せを感じるけれど、でも、そういうのは子どもだましにすぎないんじゃないか、といった感覚で読んでいたのです。
けどクリスチャンとして、イエスの十字架上での死・葬り・3日目の復活を信じるようになった今、私はこの「幸せな大詰め」がもたらすものは、「子どもだまし」で蹴飛ばすべきではない感覚ではないだろうか、と考えるようになりました。
C.S.ルイスは、北欧神話を愛する無神論者でありましたが、やがてキリスト教を信じるようになる…という信念の変遷をたどっています。
全ての宗教は、いわば単に人間の創り出したもので、全ての神話により適切な名が与えられたものだ。キリストもロキも同じだ。[―略―]宗教とは神話が発展したものだ。
(岡田理香「CSルイスのキリスト教への道のり」 1916 年10月12 日の書簡(Lewis, They Stand Together, p. 135)
と言っていたルイスは、やがてこう言うようになります。
キリスト教の中心は、事実となった神話である。神が死ぬという古い神話は、神話でしか語り得ないものであるが、天の伝説と想像力の世界から地上へと降りてきたものである。それは史実に基づき、特定の日に特定の場所で起こった。[―略―]事実になる、ということは神話でなくなるという意味ではない。奇跡になるということである。
(岡田理香「CSルイスのキリスト教への道のり」ーC. S. Lewis, “Myth Became Fact,” Essay Collection: Faith, Christianity and the
Church, Lesley Walmsley, ed., London: HarperCollins, 2000, pp. 138–142: p.
141)
世界中の神話で「死と復活」というパターンが語られてきたのは、それに「源泉となるコアのできごと」があるからであり、「イエスの死と復活」は実際に起こったことなので、各世界の神話に表れてくるのではないかーー
C.S.ルイスは神話における「死と復活」というカタチをそうとらえているそうです。
…ルイスは〈神が死んで甦る〉との神話がキリスト・イエスにおいて事実となった(『栄光の重み』西村徹訳、新教出版社、1778、79頁)と考えるがゆえに、聖書はキリストの受肉、死、再生という〈宇宙説話全体のいちばんの骨組となる主題〉を告げるものなのである。したがって、ルイス文学の主要なテーマは〈憧れ〉と〈受肉ー死ー再生〉の主題、もしくはそのバリエーションであると言って差し支えないであろう。
(引用:岩波書店/竹野一雄著「C.S.ルイス歓びの扉」p.21)
もしそうであるならば、偉大なファンタジー作家、それも神話からインスピレーションを得た荻原規子先生の作品にそれが出てくるのも、どこか納得してしまうできごととして受け止めることができそうな気がします。
さいごに
「古事記」よりも『白鳥異伝』に先に出会ってしまった人間は、「古事記」を読むと残念な気持ちになるのではないでしょうか。
なぜなら「古事記」に描かれたヤマトタケルの最後は、私たちにとっては宿禰であり、小俱那が遠子のために捨てたものだからです。
そして「古事記」の成り立ち知ると、それが今を生きる一般市民からしてみるとさほど面白くない側面を持っているという現実も感じさせられます。
それでも、この時代を生きるファンタジー作家荻原規子先生の手によって、私たちはそれを「自分たちにも関係している物語」と受け取るキッカケをもらうことができています。
荻原先生が古事記をファンタジー小説として描ききった先に浮かび上がってきた「死と復活」という「幸せな大詰め」。
もしよければ、その源流なのかもしれない「この世界で本当に起こってしまった死と復活」について、人生のどこかで触れる機会を持ってみてくださいませんか。
「2000年も前に中東で起こった人間の復活とかいうナゾ現象が、自分の人生にどう関係するのか」というギモンも出てくると思いますが、それもまた、C.S. ルイス自身も著書『喜びのおとずれ』で語っていますし、多くのキリスト者も求めれば語ってくれることと思います。
(私は求められない限り語ることをいたしませんので、ここでは割愛いたします。)
それは、小俱那が帰ってきたときの遠子のよろこびが、あの喜ばしいかんじが現実に「あなた」に訪れるのだということを、
(頭のおかしいオタクがほざいていたなぁと言う程度でかまいませんので)
あなたの心の片隅に置いていてくださいませんか。自分の心の奥そこには何ものにも埋められない「なにか」があると思えるときに取りだせるように、どうか少しだけ覚えていてくださいませんか。
▼参考本&関連本など
▼【聖書】を読んでみたい方は
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