(※)サムネイルイラストはライターの手描きですが、十字傷の位置を間違えていることをここにお詫び申し上げます。
人気マンガ・アニメから聖書を解説する「いつかみ聖書解説」です。(最近はVtuber・児童文学も…)
「いつかみ聖書解説」は、過去に【るろうに剣心】を何度か扱いました。
これらを書いているときに、牧師からこんなことを教えてもらいました。

「剣心」は殺人の罪を背負っているキャラクターで、かつ顔に十字傷がある、という点が旧約聖書の「カイン」を連想させる
とのことでした。これだけでもエモいなぁと感動していたのですが、さらに調べるともっとたくさん共通点があることに気付き、いてもたってもいられなくなって今回まとめてみました!
(人物像のモチーフとなったのは、幕末に実在した剣客である河上彦斎であることは存じています。今回はそれを超えて、寓喩的な一致…文学的にみた2人の共通点のお話しをしてみたいと思います)
剣心とカインの共通点
・殺人者(聖書に記述アリ)
・流浪人(聖書の記述アリ)
・赤いイメージカラー(聖書にはないが後世の文化として普及されてる)
・しるし、もしかしたら「顔に十字傷」 (「十字傷」であったことは聖書にはないが、聖書の構造から考えるとない話ではない)
\では、くわしく解説していきます/
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目次
そもそも旧約聖書の「カイン」ってなに?

そもそも「旧約聖書のカイン」を知らない…という方はこちらをどうぞ。「カインとアベル」で有名な兄弟のおはなしです。
カインとアベルは、旧約聖書『創世記』第4章に登場する兄弟のこと。アダムとイヴの息子たちで兄がカイン(קַיִן)、弟がアベル(הֶבֶל)である。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの神話において人類最初の殺人の加害者・被害者とされている。
(引用:Wikipedia「カインとアベル」項)
→4コマ漫画『聖書ツッコミうさぎ』カインとアベル(ヤドナシ作/NOVELDAYS)
→【完結】天使と悪魔の聖書漫談カインとアベル(預言者アライさん作/NOVELDAYS)
→聖書や神話を知らんと理解できんアートが多いのでエピソード別にまとめてみる(旧約聖書篇6) 〜「カインとアベル」(さとなおnote)
→カインとアベル:人類最初の殺人 神への思いの差が生んだ悲劇(いのちのことば社バイブルラーニング)
→上智大学公開講座(佐久間勤) 「カインはなぜアベルを殺すのか」参加記 前半(一キリスト者からのメッセージ)
→上智大学公開講座(佐久間勤) 「カインはなぜアベルを殺すのか」参加記 後半(一キリスト者からのメッセージ)
¹人はその妻エバを知った。彼女はみごもり、カインを産んで言った、「わたしは主によって、ひとりの人を得た」。
2 彼女はまた、その弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
3 日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。
4 アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた。
5 しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。
6 そこで主はカインに言われた、「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。
7 正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。
8 カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。
9 主はカインに言われた、「弟アベルは、どこにいますか」。カインは答えた、「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」。
10 主は言われた、「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます。
11 今あなたはのろわれてこの土地を離れなければなりません。この土地が口をあけて、あなたの手から弟の血を受けたからです。
12 あなたが土地を耕しても、土地は、もはやあなたのために実を結びません。あなたは地上の放浪者となるでしょう」。
13 カインは主に言った、「わたしの罰は重くて負いきれません。
14 あなたは、きょう、わたしを地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。
15 主はカインに言われた、「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。
16 カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ。
17 カインはその妻を知った。彼女はみごもってエノクを産んだ。カインは町を建て、その町の名をその子の名にしたがって、エノクと名づけた。
18 エノクにはイラデが生れた。イラデの子はメホヤエル、メホヤエルの子はメトサエル、メトサエルの子はレメクである。
19 レメクはふたりの妻をめとった。ひとりの名はアダといい、ひとりの名はチラといった。
20 アダはヤバルを産んだ。彼は天幕に住んで、家畜を飼う者の先祖となった。
21 その弟の名はユバルといった。彼は琴や笛を執るすべての者の先祖となった。
22 チラもまたトバルカインを産んだ。彼は青銅や鉄のすべての刃物を鍛える者となった。トバルカインの妹をナアマといった。
23 レメクはその妻たちに言った、「アダとチラよ、わたしの声を聞け、レメクの妻たちよ、わたしの言葉に耳を傾けよ。わたしは受ける傷のために、人を殺し、受ける打ち傷のために、わたしは若者を殺す。
24 カインのための復讐が七倍ならば、レメクのための復讐は七十七倍」。
25 アダムはまたその妻を知った。彼女は男の子を産み、その名をセツと名づけて言った、「カインがアベルを殺したので、神はアベルの代りに、ひとりの子をわたしに授けられました」。
26 セツにもまた男の子が生れた。彼はその名をエノスと名づけた。この時、人々は主の名を呼び始めた。
(旧約聖書「創世記」4章1~26)
剣心とカインの共通点について解説
それでは、るろうに剣心と聖書のカインの共通点
・殺人者
・流浪人
・赤いイメージカラー
・しるし、もしかしたら「顔に十字傷」
について、いまいちどくわしく解説していきます。
「殺人者」について解説
カインとアベルのお話は信徒でなくても広く知られている有名なお話です。創世記をふつうに読んでいれば、「カインが殺人者である」ということは了解可能だと思いますので、とくに解説の必要はないかと思います。
剣心も、「緋村抜刀斎」という名で人斬り稼業をしていました。
「流浪人」について解説
「あなたは、きょう、わたしを地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。
( 創世記4章)
カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ。
( 創世記4章16節)
「放浪者とならなくてななりません」と言って、そのあと「ノドの地に住んだ」とありますね。

「ノドの地」っていうのは流浪の町のことなんだって
〈さまよいあるくさすらい人〉(へブル語:ナー・ワーナード)。追放され、家なき者。遊牧のための放浪ではない。糧を得られないために、次から次へと場所を変えなければならない故の放浪(詩編109篇9~10)。
(引用:いのちのことば社「新聖書注解 (旧約 1)」p.101)
るろうに剣心の剣心は「みずからの意志で流浪人をしている」ので、「そうせざるをえなかったカイン」とはちょっと違うのかもしれませんが、これまた現象だけみると共通していますね。
カインの「赤毛」設定、聖書にあるの?
剣心といえば赤毛に赤い着物(緋色)であり、旧約聖書のカインも「赤毛」キャラとして描かれがちな「赤がイメージカラー」な人物です。では、実際聖書に「カインは赤毛だった」という描写があるかというと…

実はないんだ
そもそもの発端はキリスト教が北欧神話の神である雷神トールを貶めたのがきっかけである。
(引用:ニコニコ大百科「赤毛」項より)
雷神トールは戦や農業の神も兼任しており、北欧の庶民には大変尊敬されていた神様であった。そこにキリスト教が布教の為にトールを邪神と言い続けた貶めた結果、赤髪はよくないというイメージが付き始めた。
ということで、後世の人たちがカインを描くときに赤毛で描くようになった文化的なものが引き継がれているのでしょうね。
▽「緋色」と『罪』を結ぶ文化についてはこちらでも考察
…ということで、「カインー罪ー緋色」→「カインー緋色」となる一因は聖書そのものにもありそうです。
この辺は和月先生がどう考えていたのかわかりませんが、源流はどうあれ「カイン=殺人の罪を負う者」「カイン=赤毛」的なイメージはなにせ文化に浸透しているので、知らず知らず影響を受けていたとしてもおかしくないのかなぁと思います。
カインのしるしがどうして「十字傷」だって思うの?
ここが一番ちゃんと説明しないといけないハナシです。ご存じの通り、剣心には、顔に十字傷があります。
これは剣心が緋村抜刀斎として暗躍していた時代につけられた傷です。傷の原因は妻:巴と、巴の元婚約者。その巴とのできごとがきっかけで剣心は人斬り稼業から足を洗います。
そして、実はカインにも「何も知らない人でも、彼がカインだとわかるしるし」がある…と聖書には描写されます。
主はカインに言われた、「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。
(創世記4章15節)
主はカインに言われた。「いや、それゆえカインを殺す者はだれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしをつけられた。
(創世記4章15節)
「じゃあ、それが十字傷なの?」というと…わかりません。
ご覧のとおり、聖書の訳を2つ見比べてみても「しるしをつけられた」という描写はあるものの、それがどんな形でどこにつけられたものか、という描写はなく…
〈一つのしるし〉額など、カインの体に刻印する(シュバイザー)の意ではない。「カインのために」「カインに対して」。ノアへのしるしは虹であった。ここでのしるしが何であるかはわからない。ノアの場合と同様に、ある自然現象(エリコット)かもしれない。
(引用:いのちのことば社「新聖書注解 (旧約 1)」p.102)
ヘブライ語の意味をくみ取ると「体につけられたものですらない」のかもしれません。
こっちにも数々の説をまとめた記事を作ってみたのですが、

まー、なにせ確かめようがない話なので、説は出るわ出るわです。
ですので、『このしるしはどんな形でどこにつけられたものなのか』というのをつきつめて考察するのは詮のないこと、ではあるのですが。ただ、現代日本を生きるこのオタクキリスト教徒的には、それが十字傷だとしたらちょっとおもしろいんじゃね?と思います。
キリスト教は、タナッハ(ユダヤ教の聖書/キリスト教徒が『旧約聖書』と呼ぶものとちょっと違うけど解説しだすと沼なのでここでは省略)をイエスと結びつけるために『予型論』という解釈方法を考えました。旧約聖書には「イエス・キリストの予型がちりばめられている(イエスが産まれる前から、イエスのことが預言されていた)」というものです。
だから、やがてはイエスのシンボルとなる「十字」が創世記のカインの傷だったら…。それはつまりカインと神の間の「世界の約束」…?ちょっとクソデカ感情が追い付かないですね。
予型論自体「キリスト教徒どもが見る強めのマボロシ」とすることもできますが。私は予型論は物語論的に聖書を読んでクソエモ語彙力()感情を醸造するために欠かせないエッセンスだと思うので、予型論推しです。
質問者さんのおっしゃる通り、イエスが預言の成就であることは、旧約聖書の様々な箇所から理解できますが、「救世主は十字架に掛かって死ぬ」といった具体的な預言は記されていません。
(引用:#JMC質問箱より)
しかし、申命記21:22-23には「木にかけられた者は、神に呪われる」とあります。 当時のイスラエルにおいて、死刑は「石投げ」を用いるのが一般的でしたが、イエスは「神に呪われる」方法である十字架刑(ローマ式の死刑)に処せられました。
そのため、「神の呪いを一身に引き受ける」という点から「十字架に架けられる」事も一種の預言の成就とみなされます。
と、いうことで剣心とカインの共通点
・殺人者(聖書に記述アリ)
・流浪人(聖書の記述アリ)
・赤いイメージカラー(「罪」と「緋色」が結びつく表現は聖書にもある。カインが赤毛だというのは後世の文化として普及している)
・しるし、もしかしたら「顔に十字傷」 (「十字傷」であったことは聖書にはないが、聖書の構造から考える「ない」とも言い切れない…カモ)
について解説してみました!
▼ほかにもこんなのあるよ!


余談:「カイン」ってどうなったの?
ここまで読んでみて
アレ?聖書のカインって結局どうなったの?
と疑問に思われた方も多いのではないでしょうか。
(かくいう私はこの記事を書くまであんまり考えたことがありませんでした)
聖書の物語では、登場人物はほとんどの場合ドラマ的出来事に従属させられている。
(ジャン・ルイ スカ 著/佐久間 勤 訳/石原 良明 訳「聖書の物語論的読み方―新たな解釈へのアプローチpp.159~160)
聖書の物語は、登場人物そのものを掘り下げて書くことにあまり関心がない。関心の中心はドラマ的出来事にあり、登場人物はと言えば普通、彼らを超越するプロットの側面にすぎない。聖書の中で最も強烈な個性をもって描かれる登場人物であっても、プロットに従属している。
(ジャン・ルイ スカ 著/佐久間 勤 訳/石原 良明 訳「聖書の物語論的読み方―新たな解釈へのアプローチpp.159~160)
ということを念頭において、カインのその後をちょっと追ってみましょう。聖書には、カインはノドの町にて子孫を残し、その子孫たちは
ヤバルは遊牧民たちの先祖に、
ユバルは音楽家たちの先祖に、
トバル・カインは製鉄技術者の先祖になった…
と語られています。

ただ、このあと聖書では「ノアの方舟」のお話しがあります。つまり世界的な大洪水が起こり、ノアの方舟に乗り込んだ人間や動物以外は一度地球上から一掃された…と聖書では語られているのです。
なので、カインとその子孫のゆくえについては
→「ノアの方舟」で死に絶えた可能性もあるし
→セム・ハムの妻たち(方舟にのった、ノアの息子たち)はカインの子孫だった可能性もなきにしもあらず
…とのことなのです。
余談中の余談「カインは救われているか?」
これはもう余談中の余談になるのですが、この「カインとアベル」の話をするとき、現代日本のオタク文脈を生きる人間は「これはカインが救われていない、不憫だ」と考えがち、ということを知りました。
というか、私自身もそういったこと考えていたのでそういう感想があることはわかっていたのですが、自分以外にもそういった所感を抱く人が一定数いるということを認識した、ということです。
それについて最近私が整理できたことがあります。
聖書のカインに対する同情的な読み方(あるいは復権させようという読み方)は、19世紀ロマン主義文脈で流行ったことがあって、それはカウンターカルチャー的なものだったと認識します。
テリー・イーグルトン曰く「現代人はポストロマン派」だそうですが、とくに西欧のメインカルチャーを引き継ぐ必要性のない現代日本を生きる我々は(とくにサブカルチャー/オタクカルチャー文脈に身を置くもの)はロマン派の流行を踏まえた感想を抱きがち、なのだと思いました。
(オタク文脈で大いなる力を発揮している「ファンタジー」はロマン主義の落とし子ですね)
『聖書』というシロモノのカインの「実在(※)」をどう解釈するかは人によって千姿万態かと思いますが、私自身は「実在」の人物ととらえており、となると「他人が救われているかどうかを詮索する」ことはかなり自重したい分類の思索になります。
(※)ただし「実在」とはなにかという話にかなり注意が必要です。最近の私の考えは「二次元キャラクター“実在”論」に共感を覚えるかんじです。そういう意味も含めて私は「カインが実在の人物である」と考えますし、これはある意味で現在の多くの人にとって了解可能な「実在」でもありませんが、仮にカインが「“フィクション”の人物」だったしても、それについて考える際には一定の前提とルールを適応した上で「その物語の主張(どういった世界観を提示しようとしているか)」を読み取りながら考えたいと思っています。
「他人の内面を描写しようとする際になにが起きるか」については、大塚英志が「柳田國男と私小説」について論じた本に自分の整理に役立ちそうな話があったのでそのうち整理したいと思っています。
とにかく、己の感性というのが時代の影響からまぬがれられるものではないということを強く思い至らされたできごとと、この「カイン」にまつわる読み方種々が大きく関わったので、添えてみました。
現代日本のオタク文脈を生きる人間が「カインは救われていないのでは」と思うのも、そのうちの一人である私のような人間が剣心にカインと共通点を見出してしまうのも、同源なのかもしれません。
カインの子孫を悪しき者、セツの子孫を正しい者と決定づけるような根拠はここにはない。洪水のときには、カインの子孫にも、セツの子孫にもモアとその家族以外に正しい者はいなかった(カスート)。ここで際立っているのは、神に受け入れられる者と、受け入れられない者の区別。したがってここにあるのは、ただ宿命的に定められた道を歩む人の姿ではなく、語りかけ、導こうとされる救いの神の姿そのものである。
(引用:いのちのことば社「新聖書注解 (旧約 1)」p.98)





▼参考書籍

新聖書注解 (旧約 1)

聖書の物語論的読み方―新たな解釈へのアプローチ

るろうに剣心全28巻 完結セット (ジャンプ・コミックス)

るろうに剣心

逆光2015〜許されざる者ここにあり〜