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【更新】鬼滅の刃・泣きたくなるような優しい音の人間になるには(9/06更新)

【剣心のモデル?】るろうに剣心が旧約聖書のカインだと私の中で話題

人気マンガ・アニメから聖書を解説する「いつかみ聖書解説」です。(最近はVtuver・児童文学も…)

「いつかみ聖書解説」は、過去に【るろうに剣心】を何度か扱いました。

これらを書いているときに、牧師からこんなことを教えてもらいました。

とある牧師
とある牧師

「剣心」は殺人の罪を背負っているキャラクターで、かつ顔に十字傷がある、という点が旧約聖書の「カイン」を連想させる

ということでした。これだけでもエモいなぁと感動していたのですが、さらに調べるともっとたくさん共通点があることに気付き、いてもたってもいられなくなって今回まとめてみました!

(人物像のモチーフとなったのは、幕末に実在した剣客である河上彦斎であることは存じています。今回はそれを超えた文学的な意味での共通項を紹介してみたいと思います)

剣心とカインの共通点
殺人者(聖書に記述アリ)
流浪人(聖書の記述アリ)
・赤いイメージカラー(聖書にはないが後世の文化として普及されてる)
・しるし、もしかしたら「顔に十字傷」 (「十字傷」であったことは聖書にはないが、聖書の構造から考えるとない話ではない)

\では、くわしく解説していきます/

そもそも旧約聖書の「カイン」ってなに?

アベルを殺すカイン(ピーテル・パウル・ルーベンス画)

そもそも「旧約聖書のカイン」を知らない…という方はこちらをどうぞ。「カインとアベル」で有名な兄弟のおはなしです。

カインとアベルは、旧約聖書『創世記』第4章に登場する兄弟のこと。アダムとイヴの息子たちで兄がカイン(קַיִן)、弟がアベル(הֶבֶל)である。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの神話において人類最初の殺人の加害者・被害者とされている。

(引用:Wikipedia「カインとアベル」項
聖書

¹人はその妻エバを知った。彼女はみごもり、カインを産んで言った、「わたしは主によって、ひとりの人を得た」。

2 彼女はまた、その弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。

3 日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。

4 アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた。

5 しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。

6 そこで主はカインに言われた、「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。

7 正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。

8 カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。

9 主はカインに言われた、「弟アベルは、どこにいますか」。カインは答えた、「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」。

10 主は言われた、「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます。

11 今あなたはのろわれてこの土地を離れなければなりません。この土地が口をあけて、あなたの手から弟の血を受けたからです。

12 あなたが土地を耕しても、土地は、もはやあなたのために実を結びません。あなたは地上の放浪者となるでしょう」。

13 カインは主に言った、「わたしの罰は重くて負いきれません。

14 あなたは、きょう、わたしを地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。

15 主はカインに言われた、「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。

16 カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ

17 カインはその妻を知った。彼女はみごもってエノクを産んだ。カインは町を建て、その町の名をその子の名にしたがって、エノクと名づけた。

18 エノクにはイラデが生れた。イラデの子はメホヤエル、メホヤエルの子はメトサエル、メトサエルの子はレメクである。

19 レメクはふたりの妻をめとった。ひとりの名はアダといい、ひとりの名はチラといった。

20 アダはヤバルを産んだ。彼は天幕に住んで、家畜を飼う者の先祖となった。

21 その弟の名はユバルといった。彼は琴や笛を執るすべての者の先祖となった。

22 チラもまたトバルカインを産んだ。彼は青銅や鉄のすべての刃物を鍛える者となった。トバルカインの妹をナアマといった。

23 レメクはその妻たちに言った、「アダとチラよ、わたしの声を聞け、レメクの妻たちよ、わたしの言葉に耳を傾けよ。わたしは受ける傷のために、人を殺し、受ける打ち傷のために、わたしは若者を殺す。

24 カインのための復讐が七倍ならば、レメクのための復讐は七十七倍」。

25 アダムはまたその妻を知った。彼女は男の子を産み、その名をセツと名づけて言った、「カインがアベルを殺したので、神はアベルの代りに、ひとりの子をわたしに授けられました」。

26 セツにもまた男の子が生れた。彼はその名をエノスと名づけた。この時、人々は主の名を呼び始めた。

(旧約聖書「創世記」4章1~26)

剣心とカインの共通点について解説

それでは、るろうに剣心と聖書のカインの共通点

・殺人者
・流浪人
・赤いイメージカラー
・しるし、もしかしたら「顔に十字傷」

について、いまいちどくわしく解説していきます。

「殺人者」について解説

カインとアベルのお話は信徒でなくても広く知られている有名なお話です。創世記をふつうに読んでいれば、「カインが殺人者である」ということは明記されているので、とくに解説の必要はないかと思います。

剣心も、「緋村抜刀斎」という名で人斬り稼業をしていました。

~閑話休題~

私も成人するまでキリスト教とは全く縁のない生活を送っていたので、「カインととアベル」のお話しを読んだときは

カインのささげものを受けないなんて、神さまって不公平

カインかわいそう

と感じたクチです。監修牧師も

とある牧師
とある牧師

(クリスチャンには)カイン可哀そうと思う人はけっこう多いです

と言っていました。

ちょっと気になったので、「カインを可哀そうと思うクリスチャンはどれくらいいるのか?」を調査してみるべく、同じ教会の聖書研究祈とう会に参加する11人名に聞いてみました!

結果…11人中6人が「可哀そうと思ったことがある」ということでした。同じ教会内でのアンケートにも関わらず五分五分ということは「けっこう多い」は言い過ぎかもしれません。

「可哀そうと思ったことない」クリスチャン
「可哀そうと思ったことない」クリスチャン

なんで弟を殺すってことまで実行しちゃったのか、私には理由がわからなくて…。そういう意味で「ない」にした

「可哀そうと思ったことある」クリスチャン
「可哀そうと思ったことある」クリスチャン

(数十年前統一教会〔現:全国家庭連合〕信者だったクリスチャン)

カインが悪魔の側、アベルが天使の側、という論は統一教会でよく使われていた教義にありましたね。僕は、まぁ、神さまの前では両方罪人に違いないと思ってます

(かわいそうと思ったことはある)

しかしながら、『るろうに剣心』の剣心が人斬り稼業に身を投じた理由が「平和な世の中のため」という多少なりとも他者貢献的な動機であったことを考えると、『聖書』のカインの殺人の動機は他者貢献のためではないので…

剣心(が背負っていると感じているもの)→殺人の罪
カイン(が起こしたことを対外的に定義すると)→自己中心の罪

場合によっては ↑ くらいの違いを考えてもいいのかな、とは思います。

この箇所は、神が好むささげ物とそうではないささげ物があるというふうにも読めてしまいそうですが、聖書全体を読むと、神はいつでも人がささげ物をするときの心の在り方を問題にしています。

悔い改めをすることなしに動物のささげ物を持ってくる民に向かっては、「わたしは、雄羊の全焼のささげ物や、肥えた家畜の脂肪に飽きた」(イザヤ1・11)と言っていますし、イエスは、貧しい未亡人が少額の献金をする姿を見て、「この貧しいやもめは、……だれよりも多くを投げ入れました。皆はあり余る中から投げ入れたのに、この人は乏しい中から、持っているすべてを……投げ入れたのですから」(マルコ12・43〜44)と言っています。

この箇所でも、アベルのささげ物だけが受け入れられたのを見て怒るカインに、神は「あなたが良いことをしているのなら、受け入れられる」(創世記4・7)と諭しています。カインのささげ物のどこが具体的に悪かったのかはわかりませんが、ささげ方に問題があったことは明らかです。

神はさらに、逆恨みをしているカインに向かって「良いことをしていないのであれば、戸口で罪が待ち伏せている。罪はあなたを恋い慕うが、あなたはそれを治めなければならない」(同7節)と警告しました。この時点であれば、カインは逆恨みを引っ込め、自分のささげ物について反省をするチャンスがあったのですが、彼はそうすることができずに、その不当な怒りの矛先をアベルに向けました。

カインはアベルを野に誘い出し、殺してしまったのです。

(引用:「カインとアベル:人類最初の殺人 神への思いの差が生んだ悲劇 」より)

「流浪人」について解説

聖書

「あなたは、きょう、わたしを地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。

( 創世記4章)

聖書

カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ。

( 創世記4章16節)

「放浪者とならなくてななりません」と言って、そのあと「ノドの地に住んだ」とありますね。

たくみ
たくみ

「ノドの地」っていうのは流浪の町のことなんだって

〈さまよいあるくさすらい人〉(へブル語:ナー・ワーナード)。追放され、家なき者。遊牧のための放浪ではない。糧を得られないために、次から次へと場所を変えなければならない故の放浪(詩編109篇9~10)。

(引用:いのちのことば社「新聖書注解 (旧約 1)」p.101)

るろうに剣心の剣心は「みずからの意志で流浪人をしている」ので、「そうせざるをえなかったカイン」とはちょっと違うのかもしれませんが、これまた現象だけみると共通していますね。

カインの「赤毛」設定、聖書にあるの?

剣心といえば赤毛に赤い着物であり、旧約聖書のカインも「赤毛」キャラとして描かれがちな「赤がイメージカラー」な人物です。では、実際聖書に「カインは赤毛だった」という描写があるかというと…

創

実はないんだ

そもそもの発端はキリスト教が北欧神話の神である雷神トールを貶めたのがきっかけである。
雷神トールは戦や農業の神も兼任しており、北欧の庶民には大変尊敬されていた神様であった。そこにキリスト教が布教の為にトールを邪神と言い続けた貶めた結果、赤髪はよくないというイメージが付き始めた。

(引用:ニコニコ大百科「赤毛」項より

ということで、後世の人たちがカインを描くときに赤毛で描くようになった文化的なものが引き継がれているのでしょうね。

この辺は和月先生がどう考えていたのかわかりませんが「カイン=殺人の罪を負う者」「カイン=赤毛」的なイメージはなにせ浸透しているので、知らず知らず影響を受けていたとしてもおかしくないのかなぁと思います。

顔のしるしがどうして「十字傷」だって思うの?

ここが一番ちゃんと説明しないといけないハナシです。ご存じの通り、剣心には、顔に十字傷があります。

これは剣心が緋村抜刀斎として暗躍していた時代につけられた傷です。傷の原因は妻:巴と、巴の元婚約者。その巴とのできごとがきっかけで剣心は人斬り稼業から足を洗います。

では、カインに十字傷があるのかというと、それはありません

聖書(口語訳)

主はカインに言われた、「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。

(創世記4章15節)

聖書(新共同訳)

主はカインに言われた。「いや、それゆえカインを殺す者はだれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしをつけられた。

(創世記4章15節)

ご覧のとおり、聖書の訳を2つ見比べてみても「しるしをつけられた」という描写はあるものの、それがどんな形でどこにつけられたものか、という描写はありません

〈一つのしるし〉額など、カインの体に刻印する(シュバイザー)の意ではない。「カインのために」「カインに対して」。ノアへのしるしは虹であった。ここでのしるしが何であるかはわからない。ノアの場合と同様に、ある自然現象(エリコット)かもしれない。

(引用:いのちのことば社「新聖書注解 (旧約 1)」p.102)

ヘブライ語の意味をくみ取ると「体につけられたものですらない」のかもしれません。

ですので、『このしるしはどんな形でどこにつけられたものなのか』というのをつきつめて考察するのは「聖書について真面目に考えるならナンセンス」ということになります。

ではなぜ、「カインにつけられたしるしは十字傷」という想像をした人がいたのでしょうか。これは、

あおい
あおい

旧約聖書には、それくらいたくさん『イエス・キリストの預言』が散らばっているとクリスチャンは考えるから

ということが関係してきます。聖書にはそんな記述はないんだけれども、「帰納的に考えて、そうであっても驚かない」ところから出た発想なのでしょうね。

質問者さんのおっしゃる通り、イエスが預言の成就であることは、旧約聖書の様々な箇所から理解できますが、「救世主は十字架に掛かって死ぬ」といった具体的な預言は記されていません。

しかし、申命記21:22-23には「木にかけられた者は、神に呪われる」とあります。 当時のイスラエルにおいて、死刑は「石投げ」を用いるのが一般的でしたが、イエスは「神に呪われる」方法である十字架刑(ローマ式の死刑)に処せられました。

そのため、「神の呪いを一身に引き受ける」という点から「十字架に架けられる」事も一種の預言の成就とみなされます。

(引用:#JMC質問箱より)

くわしくは別の記事でまとめました。興味ある方はご覧ください。

▼参考

【メシア預言って食えるの?】旧約聖書のイエス預言一覧とその成就&弁証を軽く紹介

と、いうことで剣心とカインの共通点

殺人者(聖書に記述アリ)
流浪人(聖書の記述アリ)
・赤いイメージカラー(聖書にはないが後世の文化として普及されてる)
・しるし、もしかしたら「顔に十字傷」 (「十字傷」であったことは聖書にはないが、聖書の構造から考えるとない話ではない)

について解説してみました!

「カイン」ってどうなったの?カインに救いはないの?

ここまで読んでみて

アレ?聖書のカインって結局どうなったの?

と疑問に思われた方も多いのではないでしょうか。

(かくいう私も、この記事を書くまであんまり考えたことがありませんでした)

聖書の物語では、登場人物はほとんどの場合ドラマ的出来事に従属させられている。

(ジャン・ルイ スカ 著/佐久間 勤 訳/石原 良明 「聖書の物語論的読み方―新たな解釈へのアプローチpp.159~160)

聖書の物語は、登場人物そのものを掘り下げて書くことにあまり関心がない。関心の中心はドラマ的出来事にあり、登場人物はと言えば普通、彼らを超越するプロットの側面にすぎない。聖書の中で最も強烈な個性をもって描かれる登場人物であっても、プロットに従属している。

ジャン・ルイ スカ 著/佐久間 勤 訳/石原 良明 訳「聖書の物語論的読み方―新たな解釈へのアプローチpp.159~160)

ということを念頭において、カインのその後をちょっと追ってみましょう。聖書的には、カインはノドの町にて子孫を残し、その子孫たちは

ヤバルは遊牧民たちの先祖に、
ユバルは音楽家たちの先祖に、
トバル・カインは製鉄技術者の先祖になった…

と語られています。

(画像引用:「カインとアベル:人類最初の殺人 神への思いの差が生んだ悲劇」いのちのことば社バイブルラーニングより)

ただ、このあと聖書では「ノアの方舟」のお話しがあります。つまり世界的な大洪水が起こり、ノアの方舟に乗り込んだ人間や動物以外は一度地球上から一掃された…と聖書では語られているのです。

なので、カインとその子孫のゆくえについては

→「ノアの方舟」で死に絶えた可能性もあるし
→セム・ハムの妻たち(方舟にのった、ノアの息子たち)はカインの子孫だった可能性もなきにしもあらず

…とのことなのです。どのみち、一代で死に絶えたアベルと比べると、カインはむしろ神に愛されてるようにも感じます。

(そうすると今度はふつうにアベルが不憫ですね。まあアベルはこれだけ神さまに従っていたのですから、神さまのそばでよろしくやっているんじゃないかなとは思いますが)

カインの子孫を悪しき者、セツの子孫を正しい者と決定づけるような根拠はここにはない。洪水のときには、カインの子孫にも、セツの子孫にもモアとその家族以外に正しい者はいなかった(カスート)。ここで際立っているのは、神に受け入れられる者と、受け入れられない者の区別。したがってここにあるのは、ただ宿命的に定められた道を歩む人の姿ではなく、語りかけ、導こうとされる救いの神の姿そのものである。

(p.98)

聖書は「神の物語」。これは私たちが聖書を読むうえでとてもたいせつなことだと思います。聖書の主人公は、神さまだということを意味しているからです。聖書は「神が」すべてのものを創造されたことから始まりました。

(大頭眞一著「アブラハムと神さまと星空とー焚火を囲んで聴く神の物語・説教編〈1〉p.62」)

っていうか、そもそも…

そもそも、罪を犯すようにつくらなきゃよかったのに。神が全能なら、それだってできたはず。神は全知全能じゃないし、いまだにそんな前提を持ってる一神教はやっぱアタマおかしいね

こういうハナシをすると、↑ のように考えられる方もいらっしゃると思います。私もそう思います。

(これは、「なぜ神はエデンの園に〈善悪を知る知識の実〉を置いたのか?」「神が全知全能なら、なぜ罪を作ったのか?」というような問いとも共通していると思います)

こういった問いは、キリスト教神学だといわゆる「自由意志論」(アウグスティヌス発)で説明されるヤツかと思うのですが、それについて話し出すと長くなるので今回は割愛します。

納得するしないはそれこそ個々の自由意志にまかせられている話しなので、クリスチャンは「人間にはわからないことがあるが、神は全てを知っている。神は全てを知っているが、人間がそれを手のうちにおさめることはできない」という考え方で生きてるんだよー…くらいに知っていただけると幸いです。

ちなみに、「なぜカインのささげものを受けなかったのか?」について知る方法がひとつだけあったのでまとめてみました。

▼こちらからどうぞ

聖書の「あのエピソード」のホントのトコロ、「あの人物」のリアルを知りたい…

赦されざる者、そこに無し

( ↑ 戦国BASARA3のテーマソング石川智晶「逆光」。戦国BASARAの石田三成に想いを寄せてつくられたとおぼしきこちらの曲は、「人間とはどうしようもなく罪深い存在なのだ」と訴えている気がします。)

カインも剣心も、私たちにとっては物語(もしくはとても遠い過去の人物)ですので、それぞれの心の奥底をどう解釈するかは究極的には個々人に委ねられていることだと思います。

ただ、もし、彼らの姿から「自分の生きる道」を探ろうとする方がいたら…と、妄想してみて、よけいな言葉を紡いでこのコラムを閉じたいと思います。

人生には、自分が「誰の手も届かない淵」に立っているとしか思えない場面が幾度もあると思います。

それが自分が犯してしまったことなのか、自分が傷つけられたことなのか、あるいはもっとカタチのない苦しみなのか…いずれにせよ、生きていればどこかのタイミングでどうしようもなく動けなくなってしまう場面に出会ってしまいます。

「それはお前がふがいないからだ」「だからお前にはうずくまる権利すらないんだよ」と、何かがあなたに語りかけてくるかもしれません。

もし、その苦しみにどうしても耐えられなくなりそうだったら、

「どんな地獄のふちにも一緒にいて、そしてあなたが助かる道を示し続けている存在がいる、という世界観がある」ということを思い出していただきたいのです。

あなたの心のどこかが「この人生は自分にはムリだ」と叫んでしまったら。

その叫びを、今もなお待っている存在がいるかもしれないことを、思い出してみてくれませんか。





るろうに剣心、るろけん、るろ剣、罪、贖罪、罪の赦し、罪の許し第9話「るろうに剣心」『罪を背負いながら生きる』という美学で僕らは生きられるのか 【聖書おすすめ論に終止符】無料で最新聖書が読めるアプリ紹介!【僕の考えた最強の聖書入手法】 聖書の「あのエピソード」のホントのトコロ、「あの人物」のリアルを知りたい…

▼参考書籍


新聖書注解 (旧約 1)


聖書の物語論的読み方―新たな解釈へのアプローチ


るろうに剣心全28巻 完結セット (ジャンプ・コミックス)


るろうに剣心


逆光2015〜許されざる者ここにあり〜