マンガから聖書がわかる不思議なWebサイト

【更新】鬼滅の刃・泣きたくなるような優しい音の人間になるには(9/06更新)

歪みの国のアリス(歪アリ)ENDと考察紹介&キリスト教の共通点「愛する人の血と肉を食べる儀式」も

こんにちは。人気マンガ・アニメから聖書を解説するWEBコラム「いつかみ聖書解説」です。

【歪みの国のアリス】は、グロテスクでありながら美麗なグラフィックと読ませるテキストで、エンディングの分岐も豊富なシナリオゲームですね。

あおい
あおい

最初は「チェシャ猫コッワ…いつ裏切るんだろこいつ…」とか思ってたけど、いい意味で期待を裏切ってくれたシナリオだった。

今でも根強いファンがいるワケがわかる!

現在はスマホゲームとしてほとんど無料プレイできるようになっています。ぜひ遊んでみてください。

スマホの容量が厳しくてダウンロードできない…という方には小説版もありますよ!

当コラムライターは、プロテスタントのキリスト教会に通っているクリスチャンですが、クリスチャンは礼拝で『ある儀式』を行います。

あおい
あおい

その儀式をすると【歪みの国のアリス】のことを思い出してしゃーない

と思ってその気持ちを抑えきれなくなったので、今日は

【前半】歪アリのエンディング種類一覧
よくある考察まとめ
&
【後半】歪アリのシチュエーションにもだえる人はキリスト教の『聖餐』にも、もだえるハズ!

という話をしてみたいと思います。ジャムパンなどご用意してお茶とともにご覧いただけるといいのではないでしょうか…!





※このコラムは基本的にネタバレしています※

歪みの国のアリスとは

◆沿革◆

『歪みの国のアリス』とは、サンソフト内のGセクション部が製作した携帯電話向けホラーテキストアドベンチャーゲーム。不思議の国のアリスをベースとしたマルチエンディングサウンドノベル。登場人物についてもそれに則したものとなっている。主人公の少女・亜莉子が日常から非日常へと巻き込まれ、チェシャ猫と共にシロウサギを追いかけ、真実を知ることとなる。

◆ストーリー◆

放課後の自習室で目覚めた葛木亜莉子。目の前には、灰色のローブを被った男「チェシャ猫」がおり、亜莉子の事を「アリス」と呼ぶ。「さぁ、シロウサギを追いかけよう」。この一言から、亜莉子は歪んだ世界へと足を踏み入れることになる。

謎のシロウサギを追いかけるその先に待つ真実とは……?(引用:wikipedia 歪みの国のアリスより)

▼「歪みの国のアリス」「#歪みの国のアリス」についてのみんなのツイート

▼「歪アリ」「#歪アリ」についてのみんなのツイート

「ゲームの雰囲気を知りたい」という方のために実況動画も紹介しておきますね。こちらのきの@実況さんはサンソフトさんに許可をとって配信されているということです。

歪アリのエンディングの種類(ノーマルEND×10&トゥルー END×5)

タップすると各エンディングの詳細が読めます。

ノーマル END

雪乃の誘いを断り家に帰ってしまった結果、真実に気付いていないアリスは狂気に飲まれる。アリスを除く全員が、死んでいる。

狂気に耐えられなくなったアリスは、最終的に自ら死して「仲間外れ」から脱する事を決意する。

「赤のトンネル」の言いつけを守らずに青のトンネルに入ってしまった結果、全身の血を抜かれるアリス。血が無いので、肌は真っ青。


狂気に取り憑かれた青のアリスは、子供にも「幸せのブルー」を与えようと…。

女王の城を早くに抜け出してしまったアリスは、チェシャ猫との主従関係を失う。


赤く染まったお茶会の原因は猫だと芋虫が助言するが、報われず、猫はアリスを襲い…。

「赤い猫」のほかの方の考察はこちらでも読めます

いつもとは違う猫の態度に戸惑いつつも、それを認めたくないアリス。最後には、猫のことを全て信じ、猫に体を預ける決心をする。


そんなアリスを見て、微笑む猫。「僕のアリス」…。

時間くんのアラームを執拗に無視し続けたアリス。時間を何度も巻き戻され、おかしな感覚を覚えつつもやっとのことで部屋に戻ると、そこには女王。


女王は手際よくアリスの首をはね、「アリス」は永遠の存在となった。

「無視の代償」については、こちらでも詳しく解説されています。

好奇心を抑えきれないアリスは、猫のフードの中を覗いてしまう。そこは闇。全てを吸い込む暗闇の中に、アリスは全てを溶かしてしまう。


その後、抜け殻となったアリスは猫の首を大事に抱え…。

自分の生、生涯を悔いたアリスは、自らの存在を消し去ろうと、不思議の国を閉じる。


「自分が火事の時に死んでいれば良かった」と言う願望の元叶えられた現実は、生まれた時から黒こげになっていたというタイムパラドックス。

雪乃を信じたアリスは隠れる事をやめ、雪乃に会う。その直後停電。病院の外に出る事にした2人は、階段へ向かう。


階段を降りる中、狂気を抑えきれなくなった「ユキノ」は歌を歌いだし…。

雪乃を信じられないアリスは逃げるため、エレベータに向かう。やっとのことでエレベータが到着し、中を見るとそこには「完成した人形」が。

その刹那、後ろから何者かの声がして…。

「歪み」に耐えられなくなったユキノは、シロウサギの姿を現す。シロウサギの問いかけに、アリスはこう答える。


「今まで私の歪みを吸い上げてくれたあなた、私の体はあなたへのご褒美」

TRUE END

退院したアリスは身支度をして、誰もいなくなった家を出る。そこで再びチェシャ猫に出会うアリス。ここでアリスは猫も今まで歪みを吸い上げてきたことを知る。


大切な存在を失いたくないアリスは、歪みを抱え、自分の力で生きていくことを決意する。

病院生活の中で、アリスは悪夢の中でシロウサギが吸い上げてきた歪みを知る。
シロウサギが消えた後にいつの間にか残った、左手甲のV字の火傷。


不思議の国の存在を忘れないように、アリスはそれを「ウサギのお守り」と呼んだ。

退院し、引っ越ししたアリスは母の葬儀を済ませ、墓にお参りする。その時、ハートのクイーンのトランプが現れ、「もうひとつの真実」を語る。


お母さんは、亜莉子を愛していた。それもまた真実…。

いつもの様に見舞いに来た叔父の康平は、昔の事を思い出していた。小さなアリスとの思い出、姉、由里との最後の別れ…。


そんな思い出をよそに、退院間近のアリスは叔父との間柄を、取り戻すことにした。

歪みの国のアリス追加エピソード『追憶の国の異邦人』についての感想エントリ

退院の日、アリスは未だ入院中の武村に会いに向かう。慰謝料や治療費は一切要らないから、自分の娘にならないか、という提案に吃驚するアリス。


結局叔父と武村の示談で解決するが、武村は…。

※これらのエンディングの詳細に関しては、「歪みの国のアリス EDまとめ・総評-独音せかんどすたいる」様の掲載されているものを参考にさせていただきました。ゲームとしての「歪みの国のアリス」について総評をされているので、ぜひそちらもご覧ください。

\話の途中ですが、沼の紹介です/

めちゃ気になる本を見つけてしまいました…。本家アリス寄りの本ですが、歪アリファンの方の癖にも刺さるのではないでしょうか…。

【歪みの国のアリス】考察の紹介

※ネタバレしています※

なぜ僕のアリス(第5章/ノーマルエンド)で、チェシャ猫は「ウサギを追いかけなくてい」って言ったのかな?

シロウサギを追いかけなくて良いと言ったのは、天理の鎖が切れてしまったからです。不思議の国の住人達にはそれぞれ役目があります。(チェシャ猫の「導く者」や、ビルの「真実の番人」等ですね)
天理の鎖が存在する限り、住人達は与えられている役目以外の事ができません。(アリスの意思を超えられない)
チェシャ猫の場合は、アリスを真実へと導く役目がありますが、ある程度の誘導まではしてくれるけど、肝心な事は教えてくれない。
これは、真実はアリス自身の力で知らなければいけないという、制約があるのではないかと。
この制約をアリスが破ってしまった為に(具体的にはアリスが女王様の城で、外にいるチェシャ猫を頼り、真実を自分自身で知る事を放棄したとみなされたから)天理が崩れてしまい、チェシャ猫は与えられた役目以外の事ができるようになります。(アリスの意思を超えられるようになった)
ゆえに、チェシャ猫は自身の欲望を実現させるべく行動するようになる。
他の住人をみんな殺してアリスと二人だけの世界にしよう、と。

(引用:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1264326587

というか、アリスをどこに連れて行ったんだろう?

「僕のアリス」で、アリスを何処に連れて行ったのかは……謎ですね~。
この作品最大の焦点かもしれません(笑)
これは質問者様自身で、真実をお決めになって下さい。
「真実はひとつにあらず」ですね。

(引用:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1264326587

なぜ由里(亜莉子の母)は婚約者の武村君を刺したんだろ?

確か武村さんが亜莉子が好きで結婚したのが気持ち悪かったとかだったと思います。

歪みの国のアリスでチェシャ猫がフードの中を覗くと戻れなくなる、と言っているのですが、どういうことなのでしょうか?

チェシャ猫のフードの中は 闇 だそうです だから 闇 に飲み込まれて戻れなくなるという意味だとおもいます

(引用:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1345627548

アリス×キリスト教

さて、後半です。【歪みの国のアリス】のモチーフである【不思議の国のアリス】【鏡の国のアリス】の作者・ルイス・キャロル(本名:チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン)はクリスチャンで自身も牧師経験があるそうです。

(機会があれば掘り下げたいですね)

なので、ある意味【アリス】シリーズはそれだけでキリスト教文学と言えるのかもしれませんが…しかし、ここでは少しだけ趣向を変えて、【歪アリ】が好きな人におすすめの、【アリス】シリーズと同世代の作家の作品を紹介してみます。

不思議の国のアリスが好きな人におすすめな『ふんわり王女』『リリス』

それが、ジョージ・マクドナルドの「ふんわり王女」と「リリス」です。


ふんわり王女 (母と子の図書室 マクドナルド童話全集 4)


リリス (ちくま文庫)

ジョージ・マクドナルドは、スコットランドの小説家、詩人、聖職者です。彼の作品ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン(指輪物語の作者)や、クライブ・ステープルス・ルイス(ナルニア国物語作者)等のそうそうたるメンツから賞賛されています。

そして【不思議の国のアリス】のルイス・キャロルとも親交があり、『ふんわり王女』のほうは不思議の国のアリスにも通じるもじりや言葉遊びの多いユーモラスな作品です。

『リリス』の方はそのジョージ・マクドナルドの代表作とも言える作品です。幻想文学として今なお人の心を揺さぶる作品を、ぜひご自身の目でもお楽しみください。

本書『リリス』はマクドナルド晩年の力作であり、想像力の奇跡とも言えるような虹色のイメージを満載しています。『リリス』の頁を一枚でも展けば、そこには、蝶に変身するみみずや、小鳥に変わる蛇、蛍みたいにおぼろげな光を放ちながら翔びまわる本、緑の葛の絡まる広間で踊り狂う骸骨の群れ、地下室の寝台で目覚めを待つ死人たち、そして二つの世界のあいだに楔みたいに挟まった一冊の本といった幻想的なイメージが、洪水のように溢れ出てきます。その想像力のすごさに、あなたは圧倒されるでしょう。

(ちくま文庫『リリス』巻末訳者荒又宏のあとがきより)

【アリス】シリーズもよいですが、歪アリの世界観がお好きな方はジョージ・マクドナルドのほうがツボるんじゃないかなぁ…と思っておススメしてみました。

そして、更に【アリス】シリーズを超えて、【歪アリ】独自のあの設定にキリスト教的なものがあらわれてきている…そんなお話しに入っていきたいと思います。

キリスト教は「聖餐式 / 聖体拝受」で愛する存在の血と肉を食べる

「あの設定」というのは、歪みの国の住人たちがやたらと亜莉子のカラダを食べたがる、という設定です。

実はキリスト教にも、「ぶどう酒をイエスの血として飲み、パンをイエスのからだとして食べる儀式」というのがあります。

「聖餐式(せいさんしき)/  聖体拝受(せいたいはいじゅ)」と言います。

聖餐式(聖体拝受)とは

聖餐(せいさん)とはイエス・キリストの最後の晩餐に由来するキリスト教の儀式。「エウカリスト」(ユーカリスト)の日本語訳。「聖餐」はおもに西方の教派で使われる訳語だが、カトリック教会では「聖体祭儀」「聖体の秘跡」と呼ばれる。

日本の聖公会、プロテスタント教会などでは「聖餐式」とも呼ばれる。正教会における「聖体礼儀」「聖体機密」「領聖」に相当する。「主の晩餐」の語はいずれの教派でも使われる。(引用:wikipedia 聖餐より)

↑カトリックの聖体拝受(聖体拝領)。音楽がポップですね…。私が行ったカトリック教会はパイプオルガン演奏でしたが、こういうところもあるんですね。

↑プロテスタントの聖餐式。

カトリックとプロテスタントとで解釈に少し違いがある儀式ですが、どちらも「ぶどう酒をイエスの血として飲み、パンをイエスのからだとして食べる儀式」ことに変わりありません。クリスチャンでない方の混乱を避けるため、このコラム内では同じものとして扱います。いつかみ本編では、ママレード・ボーイの回で聖餐式について触れました。

この儀式の由来は、以下のように書かれています。

聖書

イエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。

わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。

わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。

生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう。 天から下ってきたパンは、先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない。

このパンを食べる者は、いつまでも生きるであろう。(ヨハネによる福音書6章53節〜58節)

聖書

一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取って食べよ、これはわたしのからだである」。

また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。 これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。 (マタイによる福音書26章26節〜28節)

後半のマタイによる福音書の方は、かの有名な「最後の晩餐」のシーンでのイエスのセリフでもあります。

こんなふうに、クリスチャンは比喩とはいえ「愛し、愛されている存在の血と肉を食うやつら」です。

さながら歪みの国の住人が亜莉子の体を食べたがるように。

(画像引用:左マキキ聖城キリスト教会さんHPより/右宇山福音教会さんHPより)

(画像引用:カトリック聖ヴィアトール北白川教会さんHPより)

※ぶどう酒の代わりにブドウジュースを使用しているところが多いと思います。

※パンは「ホスチア(ホスティア)」といって、御煎餅みたいなもの使っているところもあります。普通のフワフワしたパンを使っているところもあります。

平日はフツーに学校に行ってる少年も、会社で働いてる人も、子育てに追われてるお母さんも、親の介護で疲れているおじさまも、おじいちゃんもおばあちゃんも、教会に集まって愛する存在の血と肉を食って感動を覚えてるわけですよ。

尊 く な い で す か?

厳密に言うとカトリックとプロテスタントとでは解釈が少し違いまして、カトリックはミサ(礼拝)=聖体拝受 と言えるくらい聖体拝受を大事にしています。

いまここで細かく説明しても混乱すると思うので、興味のある方はこちらのリンクをご覧ください。

この、「パンとぶどう酒をイエスの肉と血として食べる儀式」は、

あいつら耶蘇どもは人の血と肉を食う野蛮な怪しいやつらだ

.という感じで,

日本でキリスト教が敬遠される要素の一つになったと言われています。しかし歪アリが好きな方なら

ヤンデレ好きオタク
ヤンデレ好きオタク

好きな人の血肉を食うのが野蛮」とか言ってる健全野郎は去れ

という感覚を分かっていただけるのではないかと思います。

そういったところから、歪アリの雰囲気が好きな人はもはや聖餐式(聖体拝受)への道のりが開かれていると思っています。


これを読んで気になった方、よければどこかの日曜日にカトリックか聖公会、もしくはルーテル教会に行かれてみてくださいな。

カトリック / 聖公会 / ルーテル教会 を勧める理由

① 聖餐 / 聖体拝受を受けられるのは「洗礼を受けている人だけ」

基本的には多くの教会は「聖餐は洗礼を受けている人たちが受けるもの」としています(リベラルな思想の教会では現時点での洗礼は問わない教会もあります)。カトリックの聖体拝受も同様で、基本的に信者があずかるものとされています。しかし、カトリック・聖公会・ルーテル教会は未信者には神父さまから「祝福」といって頭にぽんと手を置いてお祈りしてもらうことができます。これによって一緒に聖餐・聖体拝受の雰囲気を体験できます。

②建物や礼拝の雰囲気

歪アリみたいな雰囲気が好きな方は、ちょいゴシック要素入ったものが好きな方も多いかと思います。カトリックは荘厳な建物のところが多いですし、聖公会やルーテル教会もプロテスタントですが建物の雰囲気はカトリックに近いです。そっちの方がテンション上がるかな、という単純な理由で勧めました。

↓こちらのInstagramでは、日本のさまざまなカトリックの礼拝堂の写真がが見れます。見るだけでテンションが上がりますのでよければ。

「神さま」は私たちの歪みを吸い取っても歪まない

さて、【歪みの国のアリス】では、後半になるにつれ、白ウサギは亜莉子の「歪み」を吸い取って歪んでしまったことが明かされますね。

チェシャ猫もたまに亜莉子の歪みを吸い取ってくれてますね。歪アリが「優しい悪夢」と表現されるのは、登場人物がグロテスクな行動をしながらも彼らの行動原理は「アリスのために」というものだからかと思います。


歪アリの世界に惹かれる人というのは、大なり小なり「自分の歪みに敏感な人」だと私は考えます。

もしかしたら、ここで不安になる方もいるかもしれません。「こんな薄汚れてる自分が教会なんて行ったらやばくない?」と。


神さまに自分の歪みを渡したら神さまが歪んでしまうんじゃないか、こんな薄汚れた自分が神聖な場所に行ってはいけないんじゃないか、など。


安 心 し て く だ さ い。

聖書
「丈夫な人に医者はいらない。いるのは病人である」(マタイによる福音書9章12節)

とあるように、キリスト教は『自分の歪みに敏感な人のための宗教』でもあるわけです。

(ニーチェなんかは「キリスト教は弱者の道徳」だとしたうえで批判していたようです)

イエスは罪人とともに食事をし、罪人とされた人たちの家に泊まりました。当時ユダヤ教的な価値観では罪人や病人とともに生活を共にすることは「けがれること」だという風潮がありましたが、そこに一石を投じたのがイエスだったわけです。

また、キリスト教的に神さまは「全知全能」です。全知全能の存在の前に不可能はない。神の御前に許されない罪はない。

だから神の愛は深い、神は愛なのだと私たちは解釈します。

ということで、歪みを負担に思う方こそイエス・キリストに頼って欲しいと思いますし、神さまはあなたの歪みを吸い取っても負担になることはありませんから、

もしご自身の歪みを手放したいと思う方は安心して歪みを神さまに差し出していただきたいと思うのです。

(「歪み」がご自身のアイデンティティのように感じられている方もいらっしゃると思います。そういう方はとりあえず「キリスト教の神さまはどんな歪みも吸い取れる」ということだけ頭の片隅に置いてくださればと思います。ご自身のが歪みに耐えられなくなった時に思い出してみてください…)

「私、歪んでるって程でもないんだけど…」

もしくは「私は別に歪んでるってほどでもないし、吸い取ってもらうほどでもないかな…」的な引け目を感じている人もいらっしゃるかもしれません。


安 心 し て く だ さ い。

聖書
「義人はいない、ひとりもいない。(ローマ人への手紙3章10節)

キリスト教では、人間はすべからく「原罪」を持っていると考えます。人間みんな罪人、みんなそれなりに歪んでて、だれにでもどこかダメなところがある、という設定で話しが進んでいきます。

にも関わらず、神さまはとるにたらない私たちを愛してくれているとも考えます(このへんは聖書を読んでいく過程で感じられる方が多いです)

歪みが大きかろうが小さかろうが、神さまにとっては関係なく愛する対象、尊い存在。

シロウサギのごとくチェシャ猫のごとく歪みの国の住人が亜莉子を好きでたまらないかのごとく、神さまはあなたのことを愛しているのだと。それをぜひご自身で確かめてみてください。

教会に行かなくてもよし

もっと言っちゃうと「教会に行かなくても神さまとお話しできる」のもキリスト教です。

教会は神を祀っているところではなくて「神さまを礼拝したり賛美したりするところ」なので、教会に行かないと神さまに会えない、ということはありません。

神さまに向かって心を開く、それだけで神さまの存在が感じられ、歪みが吸い取られるのを感じられるかもしれません。

神さまに歪みを吸い取ってもらうのに一番いいのは「お祈り」です。もし気が向いたら、こちらを参考にチャレンジしてみてください。

おかえり、僕らのアリス。

というかんじに、歪みの国の住民がアリスの血と肉を食べたがる描写からキリスト教の聖餐式のことを語ったり、歪みを吸い取ってくれる神さまのお話をしてみたり、不思議の国のアリスも好きな人へオススメ本の紹介などしてみました。

もし、これを読んでくださったみなさまが自分の歪みに耐えきれないと思ったとき、シロウサギのような存在がいてほしいと思った時。

キリスト教の神さまってやつが意外と「あなたの歪み」について心を寄せているということを心の片隅においてくださると感無量です。

▼いつかみ聖書解説~石本伝道師編~