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【更新】第14話「灰羽連盟」とキリスト教は同じ『求めよさらば与えられん』?『罪の輪』からの解放を聖書はこう語る(11/15更新)

コラム:「鋼の錬金術師」エドとアルのその後は“宗教者”説を考察する。

鋼の錬金術師、その後、エド、アル、スカー、ロイ、マスタング大佐、ホーエンハイム、キリスト教

 こんにちは。【いつかみ聖書解説】ライター上坂かすがです。このサイトは「人気マンガと聖書の共通点を探りながらキリスト教を解説する」というコンセプトのWEBメディアです。

 

今日は、【鋼の錬金術師】があまりにもキリスト教的だと言う意見をもとに、「エドとアルのその後」についてマジメな妄想を膨らませてみたいと思います。

「あまりにもキリスト教的」とはどの意見だ?と思われると思うので先にお伝えすると、これはこれは2017年に出版された【ポップカルチャーを哲学する】という本で書かれていた意見です。

エドはまだ現世の鉄の法則である「等価交換」に従って思考しているのだが、彼を愛するウィンリィは、愛が等価交換を超えることを示すのだ。それはすでに宗教の領域と言える。
(引用:「ポップカルチャーを哲学する」p178より)

【ポップカルチャーを哲学する】は、人気マンガやアニメに隠されたユダヤ・キリスト教的価値観を探っていくという本です。

コラム:【ポップカルチャーを哲学する】マンガに出てくる聖書の知識がほしい人に。 

私自身も、クリスチャンになって改めてハガレンを読み、その思想が驚くほどキリスト教的だと感じました。

 

ただ、ハガレンが好きな人の多くはキリスト教もしくは宗教に馴染みがないと思います。人によっては冒涜のように感じるかもしれません。あくまでマジメに「なぜエドとアルのその後を宗教者だと思うのか」について考察していきたいので、よければ目次だけでも読んでやってください。

 

振り返りのために、主要キャラのラストシーンまとめから始めたいと思います。考察から読みたい方はこちらをクリックして飛ばしてください。

それぞれの教訓と新たな決意で大団円

まず、最終回のシーンから振り返りたいと思います。

(画像:荒川弘「鋼の錬金術師」より)

(画像:荒川弘「鋼の錬金術師」より)

(画像:荒川弘「鋼の錬金術師」より)

(画像:荒川弘「鋼の錬金術師」より)

「全員で力を合わせて【ホムンクルス(フラスコの中の小人)】を倒す」感じ。みんなの力を合わせてラスボスを倒すというのは王道ですが、ちゃんとエド(主人公)の見せ場として『錬金術すら用いずに素手で殴り倒す!』という演出がニクいですね。

「立てよド三流!格の違いってやつを見せてやる!」という一巻からのオマージュも胸熱です。芸が細かいというか、構成がキッチリしてるというか・・・とにかくしっかりした最終決戦という感じの決戦でした。

エドとアルのその後

エドはアルの体を取り戻すために「真理の扉」のもとへ行き、「錬金術を使う力」と交換にアルの身体を取り戻します。

(画像:荒川弘「鋼の錬金術師」より)

(画像:荒川弘「鋼の錬金術師」より)

腕と身体を取り戻したエドとアル。アルフォンスの衰えた筋肉に苦難しながらも、ウィンリィのところへ戻ります。

(画像:荒川弘「鋼の錬金術師」より。エド、アル、ウィンリィ、メイ、2人の子ども)

(画像:荒川弘「鋼の錬金術師」より。エド、アル、ウィンリィ、メイ、2人の子ども)

しばらく経ち、エドとアルは新たな旅を決意します。エドは西回り、アルは東回りで知識を持ちより、苦しむ人々を助けられる知識や経験を学んでいく…というシーンが描かれました。

かつて助けられなかったタッカーの娘・ニーナのことを胸に、「等価交換を否定する新しい法則」を証明するという話しです。

 

マスタング大佐のその後
(画像:荒川弘「鋼の錬金術師」より。ロイ・マスタング大佐のその後)

(画像:荒川弘「鋼の錬金術師」より。ロイ・マスタング大佐のその後)

 

マルコーに賢者の石を渡されて視力を取り戻します。イシュヴァールの未来や、マルコーがそこで医者として暮らすことを認めることを条件に…。

 

リンのその後
(画像:荒川弘「鋼の錬金術師」より。リンとランファン、メイのその後)

(画像:荒川弘「鋼の錬金術師」より。リンとランファン、メイのその後)

 

体の中からグリードを失いましたが、賢者の石を手に入れました(つまり、次のシンの帝位はリンのものとなる)。

ただしランファンに「おまえの家はヤオ家が責任持って守ってやる」ということを約束して。

 

ホーエンハイムのその後
(画像:荒川弘「鋼の錬金術師」より。ホーエンハイムのその後)

(画像:荒川弘「鋼の錬金術師」より。ホーエンハイムのその後)

トリシャの墓の前で、幸せそうな表情で最期を迎えました(ピナコばあちゃんが気づいた)。

 

スカーのその後
(画像:荒川弘「鋼の錬金術師」より。スカー・傷の男のその後)

(画像:荒川弘「鋼の錬金術師」より。スカー・傷の男のその後)

生き残り、アームストロング少将にかくまわれます。イシュヴァール政策にマイルズを出すことをマスタングに要請され、マイルズがスカーをスカウトしました。

スカーはイシュヴァール復興(イシュヴァラ復興)に力を貸しながら「生かされている意味」をもう少し探すことを決意します。

 

こんなところでしょうか。(もっかい読みたくなってきましたね!)とても綺麗にまとまった「THE・エンディング」と思われた方も多かったのではないでしょうか。エドも「初心忘れず幼馴染にプロポーズする」のも素晴らしかったなぁと思いました。

(画像:荒川弘「鋼の錬金術師」より。エドのプロポーズ)

(画像:荒川弘「鋼の錬金術師」より。エドのプロポーズ)

ちなみにマンガ最終巻には外伝が1話収録されています。

(画像:荒川弘「鋼の錬金術師」外伝より)

(画像:荒川弘「鋼の錬金術師」外伝より)

この話は「アルの鎧をどうするか」の話しでした。目立つ話ではありませんが、エドとアルと共に旅路を辿ってきた読者の多くは、感慨深く思われたのではないでしょうか。

エドとアルのその後は「宗教者」説

さて、ここから「エドとアルのその後は、宗教者」説について考えてみたいと思います。この説は、エドとアルが言う「等価交換を否定する新しい法則」は「“愛”の証明」ではないだろうか…という視点からの提言です。

 

(画像:荒川弘「鋼の錬金術師」より。等価交換を超える法則)

(画像:荒川弘「鋼の錬金術師」より。等価交換を超える法則)

ハガレンは全体的に「ハードな展開をしつつ、人情深さでオトす」というストーリーでした。むしろハードな展開にすることで、人情や倫理観を際立たせていたと思えます。

 

読者がラストのエドたちの選択(※1をすんなり受け入れられるのも、それまでエドたちがハードにやってきた実績があるからだと思うのです。

 

(※1)…「錬金術を失っても仲間がいるさ」という選択や「等価交換を否定する新しい法則」といった言葉に現れている価値観。

 

そして、エドたちの言う「等価交換を否定する新しい法則」というモノは、もはや自然法則や物理法則では説明しきれない領域の話しなのです。私たちの世界では、こう言い表されることが多いです。

 

「愛」と。

 

彼らの探求しようとしているものはいわば「愛」の証明です。そして、リアルで「愛」を取り扱うとそれは「科学」ではなくなります。愛を伝えるという価値観は「思想」となり、さらに言うなら「宗教」になっていくのです。

 

ですからその「愛」の証明をしようとする彼らはもはや「宗教者」になっていくほかない…これが【ポップカルチャーを哲学する】で述べられていた「エドとアルのその後は宗教者説」の流れです。

じゃあ「愛」とはなんだろう…

【鋼の錬金術師】の世界に「キリスト教」はありません。作中でも「愛」という表現はあまり使われませんし、そういったところからエドとアルの選択を非物理的視点やキリスト教に結び付けられると不快に思われる方もいらっしゃるかと思います。

 

ですが、「等価交換を超える新しい法則」というのはキリスト教の「愛の実践」とほぼ同義だという見方があります。

 

では「愛の実践」とは何か…。ここで、いま私の使っている「愛」の定義をはっきりさせておく必要があると思います。

 

一言で言えば、キリスト教では「愛」の正体は『神』であり、『神』の正体は「愛」だとされます。人間が「愛」を表せたとしてもそれは「人間(被造物)の内側にはなく、神(創造者)から与えられることで生まれてくる」と考えます。

 

「人間の考えや努力だけで、本質的な意味で人を愛することはできない」。これがキリスト教の「愛」の考え方です。

 

では神が与える「愛」とは何か?

 

少し話が逸れますが、補足なしに進めると誤解が生じるのでいったん説明させてください。

 

「『愛』という言葉が日本に入ってきた時、良い訳が見つからなかった」という話しは聞いたことがある方も多くいらっしゃるかと思います。

 

「LOVE」や「愛」の意味は、ギリシャ語には3つの種類があり、日本はこの3種が区別なく「愛」と訳されてしまったところから誤解が生じていると言われています。

エロス(相手に価値があるから、愛する)

フィリア(友人だから、愛する)

アガペー(相手に価値がなくても、愛する)


(参考文献:「はじめての聖書」橋爪大三郎著)

では、エドたちが証明しようとしている「愛」とは、どれにあたるのでしょうか。

 

「相手の価値に関係なく、多く与えることで世界を良くしていくことができる」…無償の愛「アガペー」なのではないでしょうか。

 

彼らは「アガペーを実践していくことで世界がよりよくなる」という仮説を証明する旅に出たのです。

「等価交換をこえる法則」はリアルにある。体験してみたくはないだろうか。

改めて【鋼の錬金術師】ラストを振り返ると、「基本的に世界は等価交換だと思うけどそれだけじゃ説明できない『愛』と呼べそうな大いなる力みたいなものを信じたいよね」というメッセージを感じます。

 

そうでなくては、錬金術と引き換えとは言えアルが体を取り戻したり、賢者の石とを使ったとはいえマスタング大佐が視力を取り戻したり、死んでもいいようなはずのスカーが「また生かされて」しまったり、リン自身もなんだかんだ無事だったり、ホーエンハイムが穏やかな表情で永眠したり・・・という描写にはできないと思うのです。

ハガレンの最後は

痛みを伴わない教訓には意義がない。人は何かの犠牲なしに何も得ることはできない

というモノローグでくくられています。これに納得する人がどれほどいるのかわかりませんが、「だからって何かを犠牲にすれば得られるってわけじゃないだろ」と思ってしまう方もびっくりしてしまうようなことをお伝えします。

 

クリスチャンが「神」と呼んでいる存在は「人間に何の犠牲も払わせずに、得させる」ことをするのです。その「人間には理解できない懐の深さ」が「神は愛」といわれるゆえんであり、「それを受けとる価値が自分にはないにもかかわらず自分にも与えられる」ことから、キリスト者はそれを「福音」と呼びます

 

聖書

神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネによる福音書3章16節)

この箇所は「聖書の中の聖書」と呼ばれる箇所です。66巻に渡って様々な著者によって書かれている聖書が一貫して示しているメッセージがこの一か所に凝縮されているとクリスチャンは考えます。

エドとアルたちは探求の末に「錬金術とひきかえに体を取り戻す」ことができましたが、私たちの世界にはイエスの十字架があり、イエスの十字架は「ハガレンの世界で描かれている【真理】」と比べるとまったく平等ではなく、弱い人間に恵み深いものです。

 

もしあなたがこの先「自分では背負いきれない罪の重さ」に疲れてしまったら。「与えられるには与えなくてはならないんだ」という気持ちに圧迫されたら。「自分の尻ぬぐいは自分でしなくてはいけないんだ」という気持ちに耐えきれなくなったら。

 

どうか、ここで話したキリスト教の話を心の片隅から取り出してみてくださいませんか。

【鋼の錬金術師】を読んでみたい方は

マンガ紹介

【鋼の錬金術師】は、紙でじっくり読むのに向いているマンガだと思いますが、スマホの方が読みやすい方もいらっしゃると思います。スマホから読めるところを探しておきました。管理人は単行本で読んでました。

「鋼の錬金術師」をスマホで読む(Renta!にとびます)

▼アニメが観たい方

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ハガレンのアニメには2種類あります。2002年~2003年に放映されたものと、2009年~2010年の【鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST】です。

個人的には2002年のものは原作と大きくかけ離れており、特筆して面白いとも感じなかったので2009年版のでよいかなと思っています.…。dアニメストアには2009年【鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST】が取り扱われています!