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【更新】天草四郎伝説の沼に足つっこみはじめた(2月更新)

第7話「フルーツバスケット」十二支の呪いと先祖の因果を聖書はどう見るか

フルーツバスケット、フルバ、十二支の呪い、毒親、先祖の呪い、因果応報

登場人物

兄目 葵(あにめ あおい)

あおい
あおい

マンガやアニメが好きな高校生。人目を気にしてしまう性格。石本伝道師と一緒にウサギを捕まえたことがキッカケで、兎有留(とある)教会に出入りするようになる。石本伝道師にマンガの話をしていくなかで、自分のやりたいことに向き合っていく。前回は母親と姉との関係に悩み、「二人がわかってくれないのは悪魔のせいかもしれない」と思い始めている。

石本 剛(いしもと つよし)

石本
石本

最近、兎有留教会に赴任してきた牧師見習いの青年。ウサギのラビーちゃんとミロを愛する34歳。

葵と拓海からマンガの話を教わりつつ、たまに聖書の話しもする。過去には新興宗教の幹部候補生だったらしく……

ラビーちゃん

ラビ―ちゃん
ラビ―ちゃん

石本の飼っているミニウサギ。ミニといってもウサギの中では最大級に大きくなる種類。実は人間の言葉がわかる(しゃべることはできない)。性別はご想像にお任せ。

あらすじ

春。話すことが苦手なは、友だちができないまま高校生活のスタートを切ってしまった。落ち込んでいたところ、〈とある教会〉の牧師見習いの石本と出会う。大好きなマンガやアニメの話しならたくさん話せる葵は、石本にマンガを貸す約束をする。こうして葵は教会に足を運ぶようになるのだった。

第8話 フルーツバスケット

 

 


「ーー(泣)」

 


(!?)

 


「葵さん!?なんでマンガ読みながら泣いてるんですか!?」

 


「だって…だって、このマンガ染みるんです…」

 


【フルーツバスケット】ですか」

 


「少女マンガだって侮らないでください!【フルーツバスケット】はただのラブコメじゃなくてカタルシスが起きてしまうとにかく良作なんです!心のデトックス、読む認知行動療法…!」

 


「お、落ち着いてください。そ、そうなんですね…。ふむ、全部で23巻…」

 


「アニメ化もしたし、愛蔵版もあるし、続編(※1)も連載中だし、今でも根強い人気作なんです!新しくアニメもリメイク(※2)されたし!」
(※1)「フルーツバスケットanother」が2015年から連載中!舞台は数十年後。詳しくはこの話の終わりで紹介してるよ。
(※2)アニメ「フルーツバスケット」2019年放送中!キャストも一新で新たな感動を!見逃したらd-アニメストアで観れるよ!


「面白そうですね〜」

 

ネタバレ注意

この記事はネタバレを含んでいます。ネタバレが嫌な方は、原作を読んでからまた遊びに来て下さい!更新のお知らせを受け取りたい方は、

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【フルーツバスケット】はどんなマンガ?

 

◆ストーリー◆

 

本田  透(ほんだ  とおる)は母親を事故で亡くしたばかりの女子高生。暮らす家がなくテント暮らしをしていたところ、同級生の草摩由希(そうま ゆき)の一族の家に居候させてもらえることになった。そんな折、透は草摩一族の秘密を知ってしまう。

彼ら草摩一族は代々十二支の物の怪憑きで、異性に抱きつかれると憑かれた獣に変身してしまうという体質だったのだ。草摩 由希や、一族の鼻つまみ者「猫憑き」の草摩 夾(そうま きょう)は特異体質により、周りの人間や家族との確執を抱えていることが明かされて行く。透との交流によって登場人物が自分なりの答えを見つけて行く様子が描かれる、ハートルフルコメディ。(引用元なし,いつかみオリジナル)

 

 

クリスチャンは十二支を使わない?

 


「まず設定から面白いんです。草摩一族は異性に抱きつかれると十二支の動物に変身しちゃうんです。由希はネズミで、夾はネコになっちゃうんです」

 


「ほ〜。変身して強くなるとかではなくて、単に動物というのが意外性ありますね」

 


「そうなんです!干支と言えば、石本さんは何どしですか?」

 


「えっとー…僕はイノシシです。葵さんは?」

 


「私はネズミです!早生まれだから拓海(※葵の幼馴染)とは違うんですけど」

 


「そうなんですね~。干支の話題は何年振りでしょうか、久しぶりです」

 


「そうなんですか?年末には干支のこと意識しません?」

 


「クリスチャンになって意識しなくなりましたね」

 


「えっ……クリスチャンって干支は使わないんですか?」

 


「そうですねぇ、僕の主観では使わない人が多いと思います。占いの要素があるので」

 


「えっ、そうなんですか」

 

『中国を初めとしてアジアの漢字文化圏において、年・月・日・時間や方位、角度、ことがらの順序を表すのにも用いられ、陰陽五行説とも結び付いて様々な卜占にも応用された。』
(引用:【干支】wikipediaより)


「とは言っても、干支で占いをする人はそういないですよね。なので意識する必要はないと思います。先輩牧師から干支入り年賀状が届くこともありましたし」

 


(そこだけ聞くとキビしいんだかユルいんだか分からなくなるよね)

 


「キリスト教って占いダメなんですか?」

 


「そうですね、聖書は厳しめに禁止してますね」

 

聖書

『あなたがたは何をも血のままで食べてはならない。また占いをしてはならない。魔法を行ってはならない。』
(レビ記19章26節)

聖書

『そむくことは占いの罪に等しく、強情は偶像礼拝の罪に等しいからである。あなたが主のことばを捨てたので、主もまたあなたを捨てて、王の位から退けられた」。』
(サムエル記上15章23節)


「ほんとだ。どうしてダメなんですか?」

 


「ええっと……占いをすることは、『神さまを信用していない、侮っている』とも言えるからですかね。例えば“星座占い”や“おみくじ”で一喜一憂するということは、意図せずともその占いの起源や背景を信用するということになりますよね」

 


「占いの起源なんてあんまり考えたことなかったです。クリスチャンっていろいろルールがあって大変そうですね」

 


「確かにそう見えるかもですね。ただ、聖書の言葉は『私たちを守る柵』としての意味もあるのかなと思います。それにマンガとして十二支の設定は面白いと思いますよ」

 

 

透くんは優秀なカウンセラーのよう

 


「【フルーツバスケット】は、キャラクターの心情がていねいに描かれてるところがイイんです!恋愛シーンだけじゃなくて、将来の不安とか家族関係とか、深いんです!」

 


「ほうほう」

 


「呪いの影響でもあるんですけど、由希も夾も『等身大の自分』を見てもらえず、くすぶってるんです」

 


「そこに透くんが現れて、由希や夾の心を溶かしていくんです。さらに当主のアキトさんも含めて、草摩一族を包みこんじゃうんですよ」

 


「一族を包みこんじゃう……?透さんというのはすごいキャラクターなんですね」

 


「そうなんです!登場人物みんなが主人公のことを好きになるマンガって、やりすぎると白けちゃうじゃないですか。けど【フルバ】は透くんが相手の心に触れる描写をていねいに描いてるからイイんです」

 

(画像:高屋奈月「フルーツバスケット」)

 


「この辺とか、なんど読み直してもーー」

 


「ああ、葵さん、泣かないでください;;」

 

(画像:高屋奈月「フルーツバスケット」)

「全てを、愛してくれなくたって良かったんだ」
「怖がったってよかった」
「それは本当の自分をちゃんと見てくれてる証拠だから」
「ー緒に考えて、悩んで欲しかった。怖がったっていい。醜い姿を愛してくれなくても……それでも、一緒に生きていこうって言ってくれれば」


「ほかのキャラの描写もていねいで」

 

(画像:高屋奈月「フルーツバスケット」)

「ほめられるなんて思わなかった。ほめてもらえる日がくるなんて思わなかった…私は欠けてて、いびつで、駄目だけど、それでも、ほめてくれる存在(ひと)がいた」

 

(画像:高屋奈月「フルーツバスケット」)

「まだ、決めつめないでほしい。勝手に俺の人生を決めつけて、終わりにしないでほしい」

 


「確かに、深みのあるメッセージですね…」

 


「こういう繊細な描写がすごく良いんですよ〜」

 

 

呪いは、諦めるしかないのかーー”理由”ではなく”意味”が知りたいなら

 


「透くんって、“そのまんま”を受け止めようとするんですよね。人に対するリスペクトがすごいんです」

 


「でも透くんが人に優しくできるのって、結局は『親に愛されてたから』って気もするんですよね」

 


「そうなんですか?」

 


「透くんは両親を亡くしてますが、お母さんにすっごく愛されてたんですよ。逆に、草摩一族の親はほとんど毒親で…」

 

 

(画像:高屋奈月「フルーツバスケット」)

(ドクオヤってなんだろ…?)

 


「毒親…“子どもの人生を支配しようとする親”…ですね」

 


「由希と夾は、最後には一緒に生きてくれる人を見つけられたけど、それはマンガだから…リアルで毒親だと、負の連鎖から逃げられないのかもって思っちゃいます」

 


「ナルホド……。実は僕も以前は葵さんと同じように考えていましたね」

 

「えっ、じゃあ今は違うんですか?」

 


「そうですね。僕は聖書を読むうちに、『悪い親の子どもは不幸』とか『先祖の呪いで運命が縛られる』とか、ものごとに必ず『因果』を求める必要がないのではないかと思うようになったんです」

 


「えっ…じゃあ石本さんが『先祖の呪い』や『毒親の負の連鎖』はないって思うのは、聖書に書いてるから…?」

 


「はい。実は聖書にも『先祖の呪いはあるのか』というトピックがありまして」

 

聖書

『イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。』
(ヨハネによる福音書9章2節~3節)


「弟子がイエスに『生まれつき目が見えないのは、本人や親が罪を犯したからですか?』と聞いていますね」

 


「本当だ。しかもお弟子さんが聞いてるんですね。昔からアルアルな考え方だったのかな」

 


「そうかもしれません。その質問に対して、イエスの答えはどちらでもありませんでした。イエスは苦しんでいるその人に対して『本人にはどうにもできないこと』を押し付けなかったことがわかります」


「な、なるほど。“病気の原因はお前の罪のせいだ”って言われても……。かといって“親の罪のせいだ”って言われても解決にはならないし…」


「でも、ちょっと嫌な気もします…」

 


「といいますと?」

 


「だって、この話しだと目が見えないのは『ただ神のみわざが、彼の上に現れるため』なんですよね。不幸になったりするのは、神が仕組んでるってことですか?それは理不尽なんじゃ…」


「そうですよね。『理不尽じゃないか』という気持ち、よく分かります。僕も『そもそもなぜこの人を盲目にしたのか』と思うことがあります」

 


「さきほど葵さんが感じた『不幸は神が仕組んだのか?』という疑問は、『弁神論(べんしんろん)/神議論(しんぎろん)』といって、すこし専門的な話になっちゃいます。言い換えるならば『人間が不幸になるのはなぜか?』というお話しなのですが」

弁神論
神義論ともいう。この世の悪あるいは広義に(19世紀以来)神の存在の否定などにたいする神の弁護で、これにライプニッツが弁神論なる表現をあたえた。

もともと悪の起源および意味は哲学者や神学者がつねに頭を悩ましてきた問題で、これまでにいろいろな説明があたえられているが、弁神論によるとつぎのようにいわれる。

すなわち、神は肉体的悪(すべての有限な存在のもつ限界性にその根拠がある)を、より高次の目的の手段として認めまた欲することができる。

しかし至善なる神が精神的悪を企図し欲することはありえない。だがより高次の善のために認めることはできる、というのである。

神学的にいえば弁神論はその原語のように神の義の主張が前提となっており、すでに旧約のヨブ記などにその問題提起がなされたとみられるが、その解釈は思弁的な論理によらず神の義の承認たる信仰によるほかはないとされる(引用:哲学事典[1971:1289-1290]


「うわぁ…???めまいが…」

 


「悪があるのには神さまなりの意図がある、という考え方ですね。神はときに悪魔すらも利用し人間に試練を与える、といったお話しを【神風怪盗ジャンヌ】のときにも軽くお話ししましたね」


「つまり、神さまが意図的に人間を苦しめるってことですよね?」

 


「有り体に言えばそうなります。でも、何度かお話ししたとおり『神さまは人間の自由意志を尊重し、かつ尊いと思っている』と僕らは考えています。まあ結局は『神さまは善い存在という信仰』ありきの論になっちゃうんですけど…」

 


「…そうですね、もしかしたらキリスト教は『”理由”ではなく”意味”が知りたい』という人に向いてるのかもしれません」

 


「『理由じゃなくて意味が知りたい』……うーん、色々不可解なところはありますけど、石本さんが『先祖の呪い』や『毒親の負の連鎖』はないって思う理由はなんとなくわかった…かも」

 


「ありがとうございます。ただ、そういう考え方だからといって、つらいことがあったとき不満に思ったり弱音を吐いたりすることが悪いとは思っていませんので…」


「(ラビーは混乱してきた。ちょっとややこしいなぁ)」

 


「その『意味』ってクリスチャンにはわかるんですか?」

 


「いえ。ときおり預言のようにわかる方もいらっしゃるようですが…『天使が見えるか見えないか』と同じように、誰しも感じられるものではないのかもしれません。どんなきっかけやタイミングでその苦しみから解消されるのかも、人間の領分を超えたことだと思います。ですから、安直な励ましを口にすることがないよう注意しなければならないと思っています」

 


「それでも『呪いではない』『たとえ理不尽な不幸に直面していても理由があった上で愛されている』という考え方によって、僕は僕なりの『苦しみの意味』を見出すことができました。だからクリスチャンになりました」

 

 

(なら……私も希望を持っていいのかな。私がお母さんやお姉ちゃんに冷たくされてることは、神さまの計画が隠れてるってことなのかな…でも…)

 


「…もしよければ、キリスト教の基本的な考え方についてお話しする時間をとりますが」

 


「えっと!今日はもうお腹いっぱいです!」

 

(おっと石本さん、ふられちゃった)

 


「あはは、わかりました。色々と聞けて今日も楽しかったです。【フルーツバスケット】さっそく読ませていただきますね」

 


「はい、どうぞです!」

 

いつかみ、聖書解説、不穏な夕暮れ

 


(不幸なのは神のわざがあらわれるため…かあ。だったら、悪いのは誰でもないってことになっちゃうのかな)

 


(悪いのは私じゃないっていうのは嬉しいんだけど…お母さんやお姉ちゃんは悪くないの?私に透くんみたいな存在が現れて心が溶かされていったら…お母さんやお姉ちゃんが反省することもなく、私だけが変わるの?)


(それはそれで幸せで、健全なのかもしれない。でも…そんなのやるせない)

 


「キリスト教のことをもっと知ってクリスチャンになったら…そんな思いも押し殺すことになるのかな…?だったら、そこまでして信じたいとは思わないかも…」

 

紹介
→キリスト教×フルバにはこんなコラムもあります!→【空想神学読本】「フルーツバスケット」にみる現代人の〈受容〉キリスト新聞社Ministryより

【フルバ】を読んでみたい方は

マンガ&アニメ紹介

【フルーツバスケット】はラブ要素も癒し要素も満載なマンガです。場合によってはカタルシス(気持ちの浄化)がごりごりに生じます。管理人は単行本で読んでましたが、「マンガPark」というアプリならスグに無料で読めますのでご紹介しておきます。

 

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マンガParkでは、14話まですぐに無料で読めます。待てば全話無料で読むこともできます。
新シリーズの【フルーツバスケットanother】も公開中!

 

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また、フルーツバスケットはアニメ化もされています。Amazon Prime Video会員なら、全23話無料で観ることができます。

今は亡き岡崎律子さんの歌うOPテーマも作品にマッチしていて、今聴いても涙が出てくる作品です。アニメ版は原作と大きな違いはなく、単行本の6巻あたりまでが描かれています。

 

・感動するOPテーマを体験してみたい方(EDテーマもいいです//)

・原作の絵がちょっと苦手かも、という方

・アニメを見る方が性に合っているという方

・待つのが嫌、でもあんまり課金せずにフルバを知りたいという方(アニメ全話を観て、【マンガPark】の方で34話あたりから読み始めると被りなく内容がわかります)

 

はアニメがお勧めです。

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