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【更新】「異類婚姻譚」をめぐるアレコレ(5月更新)

ユダヤ民話版「美女と野獣」?闇堕ちアスラン(ナルニア)みたいなライオンと寡婦とその子どもたち

「シュロモとアブラハム兄弟」あらすじ

複数の息子を持つ寡婦、ひそかにライオンと結婚する。

あるところに、夫を亡くした寡婦がいた。彼女はある時、夫の遺言である「決して熱湯をこの家の敷居にかけてはならぬ」という言いつけをやぶってしまう。

するとどこからともなくライオンが現れて、「わたしと結婚するか、それとも私に喰われるか選んでください」と寡婦に迫る。寡婦は、息子たちにバレないよう、こっそりライオンと結婚する。

寡婦とライオンの子、家族として育てられる。長男は、その子をとりわけかわいがる。

やがて寡婦は男の子を出産するが、どう育てるか悩む。

悩んだ末ライオンに相談すると、ライオンは「赤ん坊は、お前の長男シュロモが野良仕事から帰る道筋に置いておく。それを見れば、彼は必ず憐れんでお前のところに連れてくる」というので、その通りにし、2人の目論見は成功する。

こうして、ライオンと寡婦の子どもは家族として育てられることになる。

彼はアブラハムと名付けられ、長男シュロモはとりわけ彼を可愛がった。

ライオンは長男を殺害しようとする。しかしことごとく失敗におわる。

ある日、女とライオンと幼いアブラハムだけが家にいるとき、ライオンは、シュロモの殺害計画を女に持ちかける。ライオンは、真実を息子たちに知られれば、自分達が殺されると危惧したのであった。

けれど、まだ幼いにもかかわらずこの計画を理解した幼いアブラハムは、シュロモを殺させまいと、ライオンの殺害計画を次々と邪魔していく。

アブラハムは、あるときはスリッパにしこまれたサソリを追い出し、あるときは毒蛇の隠れている場所を告げる。

3回目の殺害計画で、ライオンは「別の街に住む、7つ頭の妹にシュロモを殺してもらおう」と妻に言う。

妻は病気のふりをして、「7つ頭ライオンの住む街に薬を買ってきて」と、息子シュロモに頼む。

その町は荒野でした。シュロモは7つ頭の雌ライオンに会い、彼女は、シュロモの母親とライオンの秘密や、シュロモの殺害計画のことをシュロモに明かす。

(なぜそのような秘密をシュロモに明かしたかというと、彼女は。雌ライオンで、ずる賢いことはしないことが誇りだったから)

雌ライオンは「誰にでも戦う機会を与えるのがわたしの流儀です」と言って、翌朝あらためて正々堂々と勝負するようシュロモに伝える。

しかし、その晩、シュロモは真夜中にこっそり雌ライオンのところへ忍んで行って、彼女と自分の服を取り替えてしまう。

目覚めた雌ライオンは激怒して、ほかのライオンをすべて集めて、シュロモを井戸に放り込んで、両目の眼球を引き抜くよう命令し、シュロモは、井戸の中に落とされる。

シュロモはある王の城の王女と懇意になり、彼女の手助けで目玉を取り戻す。

その土地を通過していた兵士の一団に引き上げられたシュロモは、王の城に連れて行かれる。

王の城にて。王の娘のミリアムが窓の外から見えるシュロモを見つけて、シュロモと詳しく話をしようとして彼を部屋に連れて来させる。

シュロモはいままでの経緯を話し、自分の両目玉は、死の証明として母のところに送り届けられることになった旨もミリアムに話す。

するとミリアムは、女官に、彼の眼球を取り戻せないか見てくるよう依頼する。

ミリアムの女官は、シュロモの母のところに行き、「パンと水との引き換えにあなたのために働きます」と言ってシュロモの母と親しくなった。

そしてある日、女官はシュロモの母に「わたしの家には目の見えぬ息子がおりす。あなたの持っている余分の眼球をください」と言って、シュロモの目玉を譲り受けることに成功した。

シュロモは家に戻りライオンと母を殺害。アブラハムを連れ出し、王女と結婚する。

女官は城にもどり、シュロモは医師の手術のもと両目の視力を取り戻す。

ミリアム王女はシュロモと結婚を望み、シュロモもそれを快諾しましたが、同時にそれにはまず自分の街に戻るとに戻らなければなりません」と言う。

「なぜですの?」と尋ねるミリアムに、シュロモは

「2.3しなければならないことがあるからです」と言う。

シュロモは食料と剣を携えて馬を駆り、生まれた母の家に直行した。

そして、彼の姿を見ておどろくライオンと母親を殺す。

そうして彼はアブラハムを連れて王女ミリアムの元へ戻り、彼女と結婚した。

彼らは皆しあわせに暮らした。

(参考:「ユダヤの民話」p.154~158)

補足

編者ピンハス・サデーによる補足

モロッコで語られている口承のはなし。
平行する話はチュニジアやイェーメン、クルディスターン地方他にある。
結婚して、あるいは婚外で動物と一緒に暮らす女は
民話によくみられるモチーフである。
たとえば『アラビアンナイト』の中の猿や熊と一緒に暮らす女たちや、
グリム兄弟の「美女と野獣」、
動物の姿で神々の所有となった人間の女たちについてのギリシアの多くの神話である。
後の時代のギリシア神話には、
ライオン、豹、ワシとそれぞれ結婚する3人姉妹の話があり、
他方ジプシーは蛇と結婚し、以後幸せに暮らす若い娘の話を語り伝える。

(出典について p.ⅶ)

私自身は、先に動画で紹介したトルコ民話「デーヴのはなし」の類話を先に知りましたので、それと比べながら読むのが楽しかったです。


「似ているけど違う」部分にはその民族の価値観が
如実に表れているのではないかという考えながら読みました。
元テキストでは、寡婦がシュロモ暗殺計画に
けっこう協力的な印象がありましたが

(といっても自ら手を下すわけではなく、 失敗続きのライオンを皮肉っぽく責めたりする程度ですが)、

やっぱり母親の感情はつかみにくい話だなと思います。
もし元のテキストも読んで感想などあったら
コメント欄にコメントくださるとうれしいです。

こちらのお話は、寡婦のもともとの息子たちは
シュロモ以外にもいるという言及はあるものの、ほぼ登場しません。
また、最後にシュロモが連れ帰るのもアブラハムだけです。

この2人のこの感じは、
キリスト教徒が旧約聖書と呼んでいる創世記にある、
ヨセフとベニヤミンの話と重なって見えました。

トルコのお話は、弟のほうが途中から主人公級になりますが、
こちらは兄に焦点があたって話が運んでいくのも顕著な違いかなと思いました。

また、「おまえさんは人間かね、悪魔かね」という言い回しは
中東のほかの民話でも似た言い回しが使われているので残してみました。
(「あなたは人間?それともジン?」みたいな訪ね方があります)
これについては、日本でも柳田国男か妖怪談義などで記録した、
黄昏どきに人間がすれ違う人に「もしもし」と声をかける理由とも
重なって見えて、言い回しはちがうけれども
似た感覚が日本にあったことに親近感をおぼえました。
といっても私自身は現代日本人なので、日本のこういう感覚とも断絶された存在ではありますが。

柳田国男の「妖怪談義」で展開している話が
そのまま受け入れるにたるものなのか自体は、
すでに色々検証されていると思われます。
私自身は研究者ではないのでわかりませんが、
最近読んだものだと
廣田龍平「異人論が異人と出あうとき動物=妖怪としての異人をアマゾニアに探る」など、
こういう先行研究についての検証が丁寧に行われていて、おもしろかったです。
私ももう少し読み込んでいきたいです。ご興味あればどうぞです。

また、ピンハスサデーが類話として
グリム兄弟の「美女と野獣」を挙げましたが、
今日私たちの多くが「美女と野獣」と認識している物語については

藤原真実
藤原真実

(「美女と野獣」は)民話ではなくガブリエル=シュザンヌ・ド・ヴィルヌーヴという作者のある物語である



藤原真実 氏が力強く書いていました(白水社「美女と野獣[オリジナル版] 」2016年出版/訳者あとがきにて)ので、
ここに補足しておきます。

(「美女と野獣」じたいは、『アモールとプシュケー』や『ばら』といった、
さまざまなフェアリーテールをもとに構成されたフィクション物語であり、
さらに、私たちが「美女と野獣」として認識しているものは、
ヴィルヌーヴ夫人版をさらに要約して子供むけに翻案したボーモン夫人版、と認識しておくのがよいみたいです)