ユダヤ民話を読んでいると、ソロモン王の前に「カインの末裔」を名乗る男が登場するお話があり『へぇぇ』と思いました。
カインとアベルの物語…とくにカインは、近代文学の世界において色んな人たちの興味を引いた文脈があるらしく、現代の日本でもこれをモチーフとしてお話を紡いでいる方もみられるので、検索需要もあるかなと思いました。
「民話」というものの特性にろくに触れずにこういうお話を投げておくのに一抹の不安も覚えながらも、
ユダヤ世界でのカインの扱いについて知るよすがになるなぁと思いましたので、もし見つけたらここに追加していこうかな…と思います。
目次
「双頭の男」ー『カインの末裔』を自称する男が登場
※「テベル」はヘブライ語で『宇宙』の意味(小沢俊夫/小川超 編訳,ぎょうせい「世界の民話」イスラエルp.295より)
…色々言っといて1話だけなの草…
えっと…ただ、この「あんまりない」ということからもわかることはある…と思います。けれども日本語文献のみでユダヤの伝承体系を俯瞰できるわけもないので、現時点ではこれ以上はなにも言いませぬ…ぐぬぬ…
(このピンハス・サデーの「ユダヤの民話」は一通り読みましたが、カインやアベル、カインの末裔という設定の登場人物が出てくることはこれしかなかった気が…します。下巻のほうはまだ精読してないので見落としてるかもしれませんが…)
あくまで何かのフックとか資料の一端として考えてくださればと思います…。
ユダヤ世界における創世記の受容方法が垣間見れる書籍
民話集「お静かに、父が昼寝しております」母袋夏生 編訳
「お静かに、父が昼寝しております」というユダヤ民話集の後半には、キリスト教徒がいわゆる「旧約聖書」と呼んでいる『創世記』の(ユダヤ世界においてはタナッハのトーラーの最初のほう…と言うべきなのか)をユダヤの民たちがどのように考えていたのかの一端に触れられるお話が掲載されていたので、こちらも紹介させてください。
創世記の最初のほう…ということで、カインとアベルのお話も経由していまする。『こういう風に肉付けされて伝承されてた共同体が少なからずあったのか』と思うと、いろいろ考えさせられました。
現代日本のキリスト教に受け継がれてそうな部分やそうではなさそうな部分、読む人の前提知識によっても見え方が変わってくる話だと思います。ぜひ一度お手に取ってご覧ください…。
▽こんな民話もありました
エルサレム神殿が建った場所は「兄弟の絆」で決まった?ユダヤ民話(イスラエル)
ユダヤ民話(これはイスラエルの民話)には、エルサレム宮殿が建った場所に関するこんな話があるみたいです。
後にエルサレムの聖なる宮が建てられたところは、その昔畑でああって、2人の兄弟のものであった。
兄弟の1人には妻と子供がおり、もう1人は独身だった。
ある時、小麦の取り入れを終わりを重ねて分けていると、独身の兄弟の方が「兄弟には妻があり、こらがある俺が同じわけ前をとってしまうのは良くないのではないか?」と思って、こっそり自分の山の言葉を兄弟の山のほうに乗せた。
その同じ時、もう1人の兄弟も妻に行った「俺は兄弟より運に恵まれている。その証拠に妻と神様が与えてくださった。あれは1人で、作物の取り入れの他は楽しみがないはずだ。どうだろう、こっそり俺たちの分から少し出してやるのは」と思い、そして実行した。
次の朝2人の兄弟は、小麦の山が昨日と変わらないの見て驚いたが、何も言わず、2日目3日目。4日目と同じことを繰り返した。
2人は、ことの原因を突き止めようとして、夜中に畑へ忍び込んだ。
そして互いに葉を抱えた相手と鉢合わせをして真相を知ることになった。兄弟は抱き合って、このような心優しい兄弟が与えられたことを神に感謝した。
そこで神はこう考えられた。2人の兄弟がかくも気高い行いをした場所、その場所で人間たちに神を祝福させ、「ここに神の宮を立てさせよう」と。
(参考:小沢俊夫編 小川超 訳「世界の民話」イスラエル pp.26-27)
ジャンルは知恵の短編小説的こばなし。サムエル記Ⅱ、24-16節から25節を参照。民話ではふつう兄弟は対照的人物として、あるいは対立する人物として登場しますが、ここでは互いに兄弟愛に溢れた存在です。
小沢俊夫による解説p.295より
日本でも民話では兄弟が憎み合ったり殺し合ったりするものが多いと認識しています。まして、兄による弟の殺害を原初に包摂しているユダヤ民族が、民話において「仲の良い兄弟」の話を用いるというのは、ちょっとおもしろい状況だなと思いましたので、ご紹介まで。
ヘブライ語聖書の、トーラー部分にも言及アリ「死の神話学」岩嵜大悟 著
「死の神話学」に収録されている『聖書は死の起源についての神話を語るのか?――ヘブライ語聖書「原初史」を中心にして』(岩嵜大悟)も、ヘブライ語での聖書(アダムとイヴのあたり、カインとアベルのあたり、ノアの方舟のあたり)の物語としての読み方に言及があるので紹介まで。
岩嵜先生による訳もあるので、巷の訳と見比べてみるのも楽しいと思います。
以下、メモ的な何か
- ヘブライ語聖書を読むと、カインはアベルへの殺意があったと読める(p.92)
- 神はアベルにはさほど語っておらず、カインとはよくコミュニケーションをとってるよね。(p.93)
- 捧げものの違いには沈黙するヘブライ語聖書。牧畜民と農耕民の対立説は、19世紀なかばの人類学からの影響を受けた比較的新しい解釈。(p.92)
ユダヤという名称はペルシアがこの地域の属州名を「イェフダ―(ユダ)」としたのが、ギリシア語訳されてイウダイオイあるいはユダアオイという名前になった。つまり、ユダヤという名称はヘレニズム時代以前には存在しない用語であるので、ヘブライ語聖書の民にユダヤ人という用語を使用することは注意が必要である。
(p.101)
(小声)ユダヤ社会の色々や変遷などを内在的に記された書籍もおすすめ…
ユダヤ社会のトーラーの解釈も本当に多岐にわたる案件だと思いますので、上記で紹介したものだけがユダヤの民のトーラー解釈だとは言えないんでしょうけれど…
一応、ユダヤの民の20世紀にいたるまでの歴史的なアレコレを、その思想を内在的に解説した入門書があるので紹介してみます。