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【コラム更新】声に出して読みたい仏教とキリスト教withDKの日常(8/16)

第4話「恋は雨上がりのように」挫折と神と恋心

登場人物

兄目 葵(あにめ あおい)


マンガやアニメが好きな高校生。石本伝道師と一緒にウサギを捕まえたことがキッカケで、兎有留(とある)教会に出入りするようになる。

石本伝道師にマンガの話をしていくなかで、自分のやりたいことに向き合っていくのだが……

 

石本 剛(いしもと つよし)


最近、兎有留教会に赴任してきた牧師見習いの青年。ウサギのラビーちゃんとミロを愛する34歳。

葵と拓海からマンガの話を教わりつつ、たまに聖書の話しもする。過去には新興宗教の幹部候補生だったらしく……

 

ラビーちゃん


石本の飼っているミニウサギ。ミニといってもウサギの中では最大級に大きくなる種類。実は人間の言葉がわかる(しゃべることはできない)。性別はご想像にお任せ。

 

??くん 初登場!

いつかみ、教会の少年、創くん
ナゾの男の子。

 

あらすじ

春。話すことが苦手なは、友だちができないまま高校生活のスタートを切ってしまった。落ち込んでいたところ、〈とある教会〉の牧師見習いの石本と出会う。大好きなマンガやアニメの話しならたくさん話せる葵は、石本にマンガを貸す約束をする。こうして葵は教会に足を運ぶようになるのだった。

 

第4話 恋は雨上がりのように

 


「あれ?石本さんと…誰かいる」

 


「…この祈りを、愛する主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン」

 

いつかみ、教会の少年、創くん 
「アーメン」

 


「教会の人かな…ああやってお祈りするんだ。なんか…周りに人はいないとはいえ外で…ちょっとヘンなかんじ」

 

いつかみ、教会の少年、創くん
「相談のってくれてありがとうございました、先生。じゃあ帰ります」

 


「牧師って『先生』って呼ばれてるんだ…?ほんとにまったく知らないセカイなんだな…」

 


「こちらこそ、僕に話してくれてありがとうございます。また日曜日に」

 


(あ、帰るんだ。ほっ…知らない人と話すのやだもんね)

 


「こ、こんにちはっ」

 


「おお、葵さん。こんにちは」

 


「今日もマンガ持ってきました!」

 


「ありがとうございます!今日はどんなマンガを…?」

 


【恋は雨上がりのように】です」

 


「おお、なんとも少女マンガ的なタイトル……」

 


「あ、でも連載は青年誌なので少女マンガとはいいきれないかも。アニメ化もして映画化もしたから読んでるんです。その…実は私にはあんまり面白さが分からなくて。石本さんなら分かるかなぁ、って……」

 


「ほうほう、それはまた興味深いですね」

 

ネタバレ注意

この記事はネタバレを含んでいます。ネタバレが嫌な方は、原作を読んでからまた遊びに来て下さい!更新のお知らせを受け取りたい方は、

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あらすじ

 

◆ストーリー◆

 

感情表現が不器用で一見クールな17歳の女子高生・橘あきら。

彼女はアルバイト先のファミレス店長・45歳の近藤正己に密かに想いを寄せている。

自他共に認める “冴えない男” の近藤だが、あきらはそんな彼の魅力を「自分だけのもの」として、胸に秘めた恋心を募らせていた。

そんなある日、アルバイト中に起こったとある出来事をきっかけに、あきらの秘めたる恋心は大きく動き出していく。
(引用:【恋は雨上がりのように】wikipediaより)

 

 

恋をしたのは挫折していたから?

とある教会、牧師の部屋、牧師室、キリスト教会


「(あ、葵ちゃんだ。今日はお客さんが多いなぁ)」

 


あきらっていう女子高生が冴えない店長に恋してる話なんですけど、私わからないんです。どうして店長みたいな人を好きになるのか。私だったらもっとかっこいい人がいいんですけど……」

 

(「恋は雨上がりのように」より)


「おおー、たしかに冴えない見た目ですね。でも共感する人が多いからアニメ化したん……お、これは」

 


「どうしました?」

 


「このマンガは、“恋する心情”が丁寧に描かれてるから共感する人が多いんじゃないですか?」

 


「そういうものですかね?」

 


「(パラパラ)……あきらは《足の怪我》によって挫折を味わうんですね。そんなとき、立ち寄ったファミレスでコーヒーをサービスしてくれたのが店長で、それがキッカケで恋が始まるんですね」

 


「うん、確かにそんな感じでした」

 


「これって、“キリスト教を信じはじめる人”とも似てますし、そう考えるとあきらさんに共感する人もいそうな気がします」

 


「え、そうなんですか?」

 


「そうですね。キリスト教では『神さまは自分を大事に思っている』ということを受け入れることが大前提ですが、同時に“自分の罪”というのも受け入れることが大事になってきます」

 


「自分のつみ……?」

 


「キリスト教では“人間”には“罪”があると考えます。それを受け入れるとき、多くの人は“何かに挫折”しています。自分ではどうしようもなくなった時に自分を助けてくれる存在がいると知ったら、その人のことを好きになりませんか?」

 


「うーん、今までそういうのないから分かんないけど……なりそう……とは思います」

 


「あきらさんが挫折した時に気にかけてくれた存在、それが店長だった。そのきっかけが共感できるものだったから、人気になったポイントの一つなのかなって思いました」

 

 

“自分にとって嬉しいモノ”

 


「お、このシーンは面白いですね」

 

(『恋は雨上がりのように』より) 

 


「あー、あきらが店長との恋路を知恵袋で質問して、応援してくれる人のメッセージをベストアンサーにしたやつですね。でもコレ身勝手じゃないですか?結局自分にツゴウのいいこと言ってくれた人の答えを選んでるんですよね」


「もしゃもしゃ(でた、葵ちゃんのリアリストな面)」

 


「おお、葵さんは手厳しいですね。そうですねー…実はこれキリスト教あるあるでして」

 


「え、どういうことですか?」

 


「キリスト教……とくにプロテスタントの福音派は『神さまと自分の個人的な関係を築く』という考え方があります」

 


「それって“自分の考え方でいい”ってことですか?」

 


「そんな感じです。聖書の大枠や信仰の根幹を自分の考えで解釈するのはちょっと行き過ぎかと思いますが、“聖書を読んでどう受け止めるか”は個人に委ねられているという側面があります」


「(それ、言っちゃうんだ…。そう考えない人たちもいるみたいだけど、ご主人の周りはそれでやってるみたいだもんね。もしゃもしゃ)」

 


「たとえば、聖書を開くとこんなところでしょうか」

 

聖書

『イエスはこのような多くの譬(たとえ)で、人々の聞く力にしたがって、御言をかたられた』
(マルコによる福音書4章33節)

 

聖書

『天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。ーーー黙るに時があり、語るに時があり』
(伝道の書3章1節-7節)

 


「人間が自分の目線でモノゴトを見るのは、神さまがそういう風にデザインしたのもあると思うんです。聖書を介して『神さまと自分との個人的な関係を築く』というのは、人間の性質にあってるのかもしれないなって僕は思ってます」

 


「じゃあ、あきらが自分の好きな回答を選ぶのは悪いことじゃないんですね」

 


「恋の話ですし、かわいらしいですよね。葵さんも、あきらさんみたいにもう少しだけ自分勝手になってもいいのかもしれません」

 


「もっと自分勝手に…?(でも、ただでさえ友だちがいないのにこれ以上自分勝手になったらきっと誰も付き合ってくれないと思う…)」

 

そのままでいいと言われたら

 


「私はあきらの気持ちも店長の気持ちもピンとこないんですよね。何かに挑戦したこともないし、あきらめたこともないから……」


「(へぇ、じゃあ拓海くんとは全然違うね)」

 


「挑戦、ですか。店長はあきらさんに引け目を感じているようですが……変わっていくんですか?」

 


「はい、7巻の最後にはあきらのことを好きだって自覚しますし、前よりまっすぐあきらを見るようになってます。埋もれてた情熱とか、思い出してるみたいだし」

 


「でも、変わる変わらないとは関係なく、あきらは『そんな店長だからいい』と言い切るんですよね。それってどうなんですかね」

 


「どうなんですかね、というのは?」

 


「そんなの甘えてません?そのままのあなたが好きなんて言ってくれる存在がいたら苦労しないですよ」

 


「うーん、葵さんは自分に厳しいんですね。そうだな……たとえば『キミがいい成績の子だから好き』と言われたら、どう思います?」

 


「えっ……ふ、フクザツかもですけど、でもそれで好きでいてくれるんなら頑張ろうって思います」

 


「じゃあもし、病気や災害で勉強ができなくなって成績が落ちたとします。相手は『成績がいい葵さん』が好きなので、成績が悪くなれば好きではなくなってしまう」

 


「え!それはひどくないですか!?そんなの、本当の愛じゃない……っ」

 


「そうですよね。“条件付きの愛”ってさみしいですよね」

 


「キリスト教でも、クリスチャンが神さまのことを好きになるのは、まず神さまが無条件に愛してくれたことを信じるからです。聖書にも……」

 

聖書

『神がつくったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。』
(創世記1章31節)

 

聖書

『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している』
(イザヤ書43章4節/新改訳)

 


「……とあります。こういうトコロを読んで『ああ、自分という人間は“そもそもは良いモノ”なんだな』と感じる人はたくさんいます。尊んでくれる人を好きになるのは自然なことですよね」

 


「あきらさんは17歳の女の子で、店長を好きな理由が“無条件の愛”では決してないと思いますが……でも店長があきらさんの『今のあなたが好き』という想いに対して心をほどくのは自然なのかなと」

 


「…尊んでくれる人を好きになるのは自然なこと、かぁ」

 


「(私にも“そのままの私”を尊んでくれる人がいたらいのになぁ)」

 

 

 

 

 


「お母さん、ただいまー」

 


「あらおかえり」

 


「ねえ、このインスタグラムってどうやって“いいね”するのかしら」

 


「アカウント作らないといけないんじゃないかな」

 


「めんどくさいわねー。でも茜が楽しそうな写真いっぱい投稿してるからちゃんとみたいのよねー」

 


「……」

 


「茜は自分の好きなことやってくれてて嬉しいわ。葵も早く自分の道を見つけなさいよ」

 


「……そう、だね」

 

 


「(なんでお姉ちゃんが友だちと楽しそうにしてるのは喜ぶのに、私が家でマンガ読んだりアニメみたりするのは認めてくれないんだろ)」

 


「やっぱりそのままの私を尊んでくれる人なんて現れないよね。お母さんですらそのままでいいなんて言ってくれないのに」

 


「キリスト教の人って幸せな人たちばっかりなんだろうな。“神さまがそのまんまの自分を好きでいてくれる”なんてフワフワしたこと信じて…。石本さんのことは嫌いじゃないけど、やっぱりシューキョーの人なんだな…」

 

ラビーズ聖書ポイント

・クリスチャンがイエスを救い主(神)だと信じるきっかけは、「自分はどうしようもない存在だけど、神は自分を愛してくれている」ことを信じるから、が多いんだよ。

・キリスト教は、『イエスを救い主だと信じた人には“聖霊”(個人の中に住んでいる神の霊)がやどる』と考えているよ。そして牧師や先輩のことを鵜呑みにするのではなくて、自分で聖書を読むことを大事にしようと言われることが多いよ(特にプロテスタント)。

・「ここを曲げたらキリスト教にはならない」部分に関してはまとめ中だよ

 

 

【恋雨】を読んでみたい方は

マンガを読む

【恋は雨上がりのように】は、マンガならではの魅力がつまった恋と成長の物語です。管理人はスマホで購入して読んでますが、紙でじっくり読むのにも向いてる作品だと思います。

「恋は雨上がりのように」をスマホで読む(Renta!にとびます)

 

アニメを観る

【恋雨】はアニメ化もされています。Amazon Prime Video会員なら、全12話追加料金ナシで観ることができます。

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