西洋では人間以外の存在が人間よりも劣る存在と見なされ、明確に区別されるので、
人間と非人間が婚姻するポジティブな伝承が紡がれなかった。
日本は人間と非人間に優劣がないと考えられていたので、
人間と人外が婚姻するポジティブな伝承が豊富である。
――こういう言説を目にすることが、ある。
2023年時にも観測した記憶がある。ただ、ここから「こういった論」へ反論を述べていくのことになるので…摩擦を生まないために該当の発言の引用などは行わないことをお許し願いたい。もちろん、論文なら言及元を明示しないなどは許されないだろうが、今から紡がれるのはインターネットの海に投げられた無数の塵のひとつである。そもそもアテにしないほうがいい。以下、できるだけ参考文献を併記していくので、こんなどこの土の塵とも知れない人間が書くコンテンツに時間を割くより、早々にそちらを読んでくださればよいと思う。
コレ系の言説と言うのは、当コラムライター(1989年生れ)も幼少期に姉から聞いた覚えがあるので、少なくとも2005年にはすでに、少々のバリエーションを持ちつつ流布している言説だと認識している。幼少期のライターの好みや世界の解釈は姉に大きく影響を受けており、自身もこの論になんとなく賛同して、なんとなく一神教教徒という属性を軽蔑していた。
――時を経て、自身が一神教(≒アブラハム宗教)(のなかの《(拝一神教としての)キリスト教》)の世界観で世界を解釈することになった筆者は、さらに少々の時を重ねて、幼いころ好きだった民間説話に興味を持ち始め、その周辺情報を探りはじめた。
すると(主にSNSなどでだが)、こんなふうな語りが紡がれているのも目にすることになった。
・「ヒトと非人間が婚姻する伝承」は日本が一番豊富である。(そして「なぜ日本は豊富なのか?」という考察に向かったりする…)
・日本はアニミズム社会、(ゆえに)人間中心主義でなく、ゆえに「ヒトと非人間が婚姻する伝承」が豊富である。
・「異類女房譚」と見なせる民間説話は日本とその諸民族からしか採集されていない。
・日本は一神教文化圏と違って「ヒトと非人間が婚姻する伝承」にポジティブである。
・一神教文化圏に、「ヒトと非人間が婚姻する伝承」はない。
・西洋は一神教文化圏なので人間中心主義である。「ヒトと非人間が婚姻する伝承」の特色からそれが導き出せる。
etc…
こういった発言というのは「日本の独自性」を見出したくて紡がれている言説であることは理解している。
その気持ちは否定しないが、この語りに誤りが多々あるのも事実だ。
ということで、このコラムでは、次のように整理していきたい。
日本は「ヒトと非人間が婚姻する(※)伝承」が豊富である。
日本以外も豊富である。
西洋以外の一神教文化圏でも豊富である。
世界中で豊富だったりする。
なので、異類婚姻譚の有無で日本の独自性を語ることはできないし、
ましてやアブラハム宗教との関係性を語るのは性急である。
(※)この説話ジャンルに用いられる「婚姻する」という語が不適切なものである可能性については認識している。改めてコラムにしてみたいが、今回は便宜的にこの用語を用いる。
異類婚姻譚の結末の研究で言えば、
日本も西洋も「ヒトとヒト以外の一体観」を拒否しがちである。
(婚姻不成立、あるいは悲劇的な幕引き)
なので、異類婚姻譚の結末の傾向をもってして、
日本の独自性を語ることはできないし、
ましてやアブラハム宗教との関係性を語るのは性急である。(2回目)
日本や西洋以外には
「ヒトとヒト以外」の婚姻が成立する結末が優勢な地域もある。
また、日本の異類婚姻譚の特徴は
「短期間の体験」「〈出会い〉と〈別れ〉のサイクルを物語構造に持つ」
「〈人間界〉と〈異界〉の交換が読み取れる」「異類婿への殺意」
「相互相反が目立つ物語の多さ」「子どもができないor片側人間」etc…
といったものが挙げられる。(川森博司,2023)
ただしこれらは「異類婚姻譚」の研究から取り出せる結論でしかなく、
日本社会が「人間と非人間をどうとらえていたのか」というのは別問題である。
(前日本の、文化人類学的な分類による世界観はアニミズム+アナロジズムと整理でき、
現代においてはナチュラリズムだと考えることができる。)(廣田龍平)
詳細を続けていくが、
ほとんど以下に紹介する書籍からの引用になるので、
こちらを購入なりなんなりして読まれるのがよいことは申し添えておきたい。
引用元の明示もできるだけ行いたいが、
これは論文ではないので、そこまで厳密には行わないこともご了承願いたい。
▼主な参考文献
目次
本題の前に伝えておきたいこと2点
①怒ってくれるヒトたち…たぶん研究者とか愛好家とか
はじめに言っておくと、この「アブラハム宗教に帰依してないが、ツッコミを入れてくれる方々」というのは、(当コラムライターが観測している範囲では)それは日本の説話研究者や、民俗学者、文化人類学者、あるいはそれらの学問を真摯に学び愛好している方々…と認識している。
当然、この方々が怒るポイントは「言えないことまで言おうとする営為」なのであって、ユダヤ教やキリスト教やイスラム教に護教的な話をするために発言しているのではない。
このコラムは、このコラム製作者である私が
キリスト教徒であるゆえに、
民間説話を読むのが趣味になっている現代日本人でもあるゆえに、
私の興味関心として、
こういう話がSNSなどでバズる際サンドバックにされがちな意見の反証を述べてみる試みである。
異類婚姻譚がキリスト教圏でタブー視されたというのはどういう根拠から出てきたんだろ? 異類の出自が人間ではないものに限ってもメリュジーヌ、熊の子ジャンとか広まっているものはあるのだが‥‥
— ῥ(『現代思想』「民俗学の現在」特集2024年5月号出ました!) (@ryhrt) May 4, 2023
②「人間と非人間が婚姻する伝承」は「異類婚姻譚」か
「ヒトと非人間が結婚する伝承」は「異類婚姻譚」と称されることもあるが、この学術用語が持ち続けている問題(課題)もあることを、素人ながらうっすら認識しはじめた。
しかし、一般にはこれが浸透している(?)のでこのコラムでは特に区別を着けずに用いる。
今回は「人間と非人間が婚姻(縁を結ぶ/縁を結ぼうとする)する伝承」≒「異類婚姻譚」
として使い、「神話・伝説・民話」の区別はとくにつけずに扱う。
▽「異類婚姻譚」の抱える課題
「異類婚姻譚」という用語が抱える課題~「クィアの民俗学」収録,廣田龍平『異類/婚姻/境界/類縁』を補助線に
▽「神話・伝説・昔話」の区別
「聖書は神話」「聖書は物語」って言われて怒る必要はナシ~『神話』の定義は事実を含み、『物語』はフィクションに限らない~
ここから本題
…では閑話休題…
異類婚姻譚は…世界中で豊富…です…!
口伝えで語られてきた世界各地の民話の中に、「異類婚姻譚」と呼ばれる一連の話があります。動物をはじめとする人間以外の存在と人間が結婚する(異類婚姻)という、日常の現実的思考での次元で考えると荒唐無稽に思われる話(譚)です。
川村博司著「ツレが「ひと」ではなかった異類婚姻譚案内」淡交社,2023年p.8
そう、「ヒトとヒト以外の存在が結婚する伝承(異類婚姻譚)」は、日本も豊富だけれど、西洋も豊富に記録されている。西洋以外にも豊富に記録されている。西洋以外にも豊富に記録されており、世界中で豊富だったりする。
以下、友人が制作したマップを作る。いくつかの研究書や民話集そのものを横断して制作したものである。
まずもって広く分布している「蛇婿」
→蛇婿(日本,台湾,中国,ベトナム,インドネシア,コーカサス,韓国,アルバニア,シベリア,ノルウェー,スウェーデン,フランス,ハンガリー,ギリシャ,インド,北アメリカ)(参考:花部英雄著「桃太郎の発生 世界との比較からみる日本の昔話、説話」pp.119-120 三弥井書店 2021年)
上記マップに入ってないが私が知っているものをピックアップしてみる
(友人にも伝えてみます。気が向いたら追加してくれるかも)
→セルキー妻(人魚妻)(スコットランド採集)
→人魚(海の女王)(ポーランド)
→狼女房(中国)
→熊女房(日本・沖縄)
→ゴリラ女房(日本・沖縄/中国,アメリカの雑誌にも掲載)中
→シル―ワ(魔女的,食人鬼的妖異)(イラク)
→野人女房(中国大陸,南アフリカ,)
→ゴリラ婿(ボルネオ)
→熊のジャン(「記録されたなかではもっともヨーロッパ中に幅広く拡散している」(Frank 2023:121/廣田訳?「〈怪奇的で不思議なもの〉の人類学」p.202より)
→メジュリーヌ(フランス)
→ウンディーネ()
→白鳥乙女(ヨーロッパなど各地、)
→悪魔と婚姻譚/天使との婚姻譚(フランス/ブルターニュ地方)
→ジン(魔神)との婚姻譚(トルコ)
→馬かつ魔神との婚姻(トルコ)
→ライオンとの婚姻(ユダヤ文化/中東)
→小人から人間への求婚譚(スイス/オーストリア)
まあ、ここでわざわざ素人が無分別な例を挙げていかなくても、
冒頭に紹介しているような書籍を読んだらわかることなので…
このへんはスルーしていただきたい。
とにかく、「人間以外の存在と人間が結婚する伝承(異類婚姻譚)」は、世界中で記録されている。
こちらのコラムなど「異類女房の話は全世界中で、わが国とその近隣諸民族にしかない。」(原文ママ,2024年5月16日時点)とか書かれているが、そんなこたぁない。逆にどこで聞いたんその話?
なので、異類婚姻譚のあるなし(あるいは量?)で日本の独自性を
語ることはできないと考えるのが妥当だろうし、
むろん西洋の特徴としても語れないこともし、
ましてやアブラハム宗教の影響とも、
キリスト教の影響としても語るのも、材料が足りなさすぎる。
小島恵子氏の2006年の「インド・ヨーロッパ古代の異類婚姻譚について」によると「管見ではインドとヨーロッパを地理的に結ぶメソポタミアの神話に異類婚姻譚を見ることができなかった」らしい。
しかし、ここから続くのは「内容の違いがある!」「結末の違いがある!」という意見である。
(例:日本はアニミズムで動物やそれ以外との境界があいまいだから、異類婚姻譚はポジティブなものとして語られる。西洋はキリスト教の影響で、それらの婚姻譚はネガティブに語られるetc…)
次の章で内容の違いについての見てみよう。
日本も西洋も「ヒトとヒト以外が婚姻する伝承」の結末は破局しがち
異類婚姻譚の分析から取り出せる結論は、ヨーロッパと比較すると日本におけるヒトと動物の「距離」は近いが、ほかの諸民族と比較すると、ヒトの動物に「一体観」を拒絶する点で違いかる、とまとめることができよう。
廣田龍平「シャーマン=狩人としての動物--世間話における妖狐譚を構造分析する」p.88
動物と人間とのあいだの変身を魔法的行為と考えるか、自然的な成り行きと考えるかという点では、日本の昔話の世界は、上述のごとく、インドネシア、パンジャブ、エスキモーなどの民話の世界に近い。したがって、異類の配偶者の把握の仕方も同様にそれらの民話に近い。ところが、異類であるという素性がわかってしまったら、もはや人間との結婚をつづけることはできないというきつい法則については、ヨーロッパの妖精と人間との伝説と共通性をもっている。
小沢俊夫「世界の民話 ひとと動物の婚姻譚」1979,p.)
日本も西洋も、「ヒトとヒト以外が婚姻する伝承」の結末は破局傾向にある
とみておくのが研究者の意見だということができる。
一冊でも異類婚姻譚研究書や論文を読んだことがある人なら「何をいまさら言っているのか」と思われることと思う。しかし、研究者と非研究者の間をつなぐ通説といったことは何度繰りかえしてもよいのではないかと個人的に思うところがあるので、ここでもこれを書く。
正確には、西洋で多く記録された「ヒトだったものが魔法によって非人間になっていた」パターンの異類婚姻譚は、主要な登場人物同士は結ばれて幸せな幕引きとしてて語られることが多い(小沢俊夫「昔話のコスモロジー: ひとと動物との婚姻譚 」講談社, 1994)が、たぶん伝説として整理された『メジュリーヌ伝承』や、たぶん異常誕生譚として整理された『熊の子ジャン』のような説話からは、「ヒトとヒト以外の一体感を拒絶しがち」であり、それは日本の説話と非常に似たテイスト(異類と人間の婚姻生活は破局して幕引き)である。
異類婚姻譚において、「ヒトの動物の一体観を拒絶しない民族」として小澤俊夫氏が挙げているの例として有名なのがエスキモー/イヌイット(「エスキモー」は別称にあたらないとのことで使う)であるが、筆者の得た知見では中国や中国近隣に住む少数民族・アイヌ民族もそういう伝承を多く有しているはずである。(※)
(※)中日昔話における蛇婿の比較─ 「蛇婿と姉妹型」を中心に─楊静芳
(※)アイヌの散文説話(ウウェペケㇾ)における異類婚姻譚の再考証-本田義矢
(※)「ツレが「ひと」ではなかった異類婚姻譚案内」淡交社,2023年-川村博司著
など 。素人が適当に拾い読みしてる論文からも例になるものがあるんだから、もっとあると思う。
このあたりは、さらに深めたい方が個別にそれぞれの研究書にあたればよいと思われる。
さらにめちゃくちゃ雑なことを言うが、エスキモー/イヌイットもいまはキリスト教民族だし、中国少数民族はキリスト教やイスラム教に集団改宗した民族もあるし、アイヌ民族も知里幸恵(その叔母など)もキリスト教徒だったし…このあたりぜんぜん接続不可能事案じゃないんじゃない?と思う。
とにかく。
「異類婚姻譚」においては、
日本も西洋も「ヒトとヒト以外」の婚姻生活は続かず破局、そして幕引きになるものが多い。
となると、ここから日本の独自性を見出すのはそこまで単純な話ではない。
もしかしたらここで
「ドロー!『田螺息子』を攻撃表示で召喚!」
(あるいは『猫女房』とか…)
などをしたくなった方もいるかもしれないが、
(→あらすじ動画アリ)
その場合で、こちらの書籍を読んだことがない場合には↓
まずこちらをを読まれたし…である。
こちらの書籍には、日本の異類婚姻譚の特徴として
「短期間の体験」「〈出会い〉と〈別れ〉のサイクルを物語構造に持つ」
「〈人間界〉と〈異界〉の交換が読み取れる」「異類婿への殺意」
「相互相反が目立つ物語の多さ」「子どもができないor片側人間」etc…
(川森博司,2023)
といったものが挙げられている。
そして、これらを読んで
ご自身の見解との共通や相違、
ひいては「西洋(=キリスト教文化?)との対比」が可能かどうか、
あるいは「日本」の独自性とは何であるのか、
あるいは「日本とな何であるのか」などを考えていただきたい。
(もちろん、異類婚姻譚研究だけが「西洋文化におけるキリスト教の影響」を見る方法でもないし、「日本の独自性」を知る手段でもないので、別のアプローチをとっていただいても全くかまわない)
「異類婚姻譚」研究から取り出せる結論を『その民族の動植物や非人間的存在のとらえ方』としていいのか問題
ただ、これらの研究が言えることは
「異類婚姻譚の分析から取り出せる結論」なのであり、
それが「日本人の動植物観(≒非人間観/ここでのみの抽象化)」には直結するわけではないだろう、
というツッコミがある(と認識している)。
だが、(とくに昔話の)異類婚姻譚のみを取り上げて、その結論を、日本の動物の関係性へと拡張することには、どれだけの妥当性があるのだろうか。たとえば小澤や中村とも子が他文化と日本を対比するとき注目するのは、動物が人間に変身する過程に何の説明もない点である(ヨーロッパでは魔法が介在し、北方民族では毛皮や羽毛の着脱が描かれることが多い)。しかし、異類婚姻譚以外で動物が変身する説話を世間話や昔話から拾ってみると、藻をかぶったり宝珠を使ったりするなど、特殊な方法をもちいた変身が多数存在することがわかる。動物から人間への移行に際して、異類婚姻譚は沈黙するが、それとは別の昔話や世間話は饒舌であると言うことができる。
廣田龍平「シャーマン=狩人としての動物--世間話における妖狐譚を構造分析する」p.88
このあたりについて気になる方は、廣田龍平先生の書籍を各人で読んでいただきたいと思う。
▼とくにコレは「鳥獣戯画はアニミズム的とは言えない」「ゴリラ女房説話研究」などが掲載されていてアツい
このあたりの書籍で「前日本はアニミズム+アナロジズム的世界観を持っていた」のではないかと言う話が読める(私が読み違えていなければ…)。
そもそも現代の文化人類学における「アニミズム」「アナロジズム」「トーテミズム」「ナチュラリズム」の概念の整理ができると思う。
(廣田先生は「今どきアニミズムの話をするときにタイラーばかり引用するな」とおっしゃっていると認識している…)
川森先生のこちらの書籍にも、
日本社会は「アニミズム的思考」を基盤としながらも、それを「自然主義的思考」によって統御するという思考の枠組みを、いつの頃からか成立させたと考えられています。その思考様式のもとになるものを「日常的秩序感覚」と私は名づけました。(川森 2000)
p.122
と書いてはいるが、
という意見もあるので、このへんに関しては併せ技がいのかもしれない。
むすびに代えて
ということで、異類婚姻譚から「日本の独自性」を語るとき、それが冒頭で紹介したような語り口からは難しいことを認識していただけたかと思う。
少なくとも異類婚姻譚の傾向や研究をもってして「アブラハム宗教dis」はできない…はずだ。
できないのに、なぜかインターネットでは依然としてバリエーションを変えながら何度も再発見されている。
なんでやねん。
(※民俗学としてこういった言説の源流を探る研究があったら教えていただきたい。)
このコラムを読まれた方がどういう経緯でたどり着かれたかはこちらが知ることはできないが(インターネット検索用語くらいならわかるけれども、その背景などは知る由もないし、もしかしたらこの先SNSなどで誰かがシェアしたものを読む可能性もあるし)、とりあえずここまでを読んでくださった方々は、心からの感謝を述べたいと思う。
みなさまに祝福がありますように。
おまけ(発狂発言含む)
花部英雄先生の論で疑問だった点が川森博司先生の書籍でとけた。うれしい
花部英雄先生が「桃太郎の発生: 世界との比較からみる日本の昔話、説話」(三弥井書店,2021)にて
日本の昔話が自然民族の動物観を含みながらも、ヨーロッパの魔法によって動物にされていたのが解けて結婚するという昔話の影響を受けた結果、動物との結婚を拒否することになる。こうした変化は日本の近代化の所産であると説く。明治政府の欧化政策による西洋文明の浸透が異類婚姻譚の皮相を変えたのだとするのである。以上が小沢の「異類婚姻譚」の結論と言える。…
花部英雄「桃太郎の発生 世界との比較からみる日本の昔話、説話」p.132(三弥井書店,2021)
と述べていて、「ん?」と思った。小澤俊夫先生の書籍からそんな情報よみ取れたっけな…とモヤモヤしながら過ごしていた。
このたび川森博司先生の書籍にて、これへの見解と呼べそうな部分があった。
川森先生は河合隼雄先生の論をもってきて、以下のように反駁する。
この見解をふまえると、日本社会は西洋近代に典型的にみられる「自然主義的思考」を大幅に取り入れたために「アニミズム的思考」が背後に退いた形になっており、それが昔話の伝承にも反映しているとみることができます。ただ、昭和時代の高度経済成長期まで続いていた昔話伝承の基本的なパターンは『御伽草子』所収の物語と重なることが多いという点からみて、室町時代(1334/1338~1573)までに大まかな話の枠組みはかたまっていたと考えられます。したがって、この「自然主義的思考」の取り入れは十九世紀後半の明治維新によって始まったものではないということを考えに入れておかねばなりません。
川村博司著「ツレが「ひと」ではなかった異類婚姻譚案内」淡交社,2023年p.122
ということだった。
(つまり花部先生は、河合隼雄先生の意見を小沢俊夫先生の意見として紹介していて、かつ、その見立てについて川村先生は反論の述べている感じになった、と認識した。)
素人でも読んでいれば研究者の書籍に疑問を抱いたり、その疑問が解消される場面に立ち会ったりできるんだなぁ…という感動を覚えた。
(発狂)アブラハム宗教の世界観を援用すれば「人間とそれ以外が縁を結ぶ現象」逆に肯定できる説
「ツレが「ひと」ではなかった異類婚姻譚案内」にせよ、このコラムでは引用しなかったが最近読んだ「天狗説話考」(久留島元,2023年,白澤社)にせよこういった話への目くばせと言うのが「フィクション創作する方への知識」みたいに語られているところに、時代を感じた。(こういうの、どこまで出版社と研究者のあいだでやりとりがあるのかは知らないが)、
もう少し踏み込んでいうと、さみしさも覚えた。
一方で私は現代日本を生じるキリスト教徒であり――神の存在を信じるし、それに伴い「天使」や「悪魔」の存在も信じるし、その結果としてで、日本文化圏における「神仏」の存在もまた信じざるを得なくなった身のうえである。
(念のため添えておくと、私はキリスト教を拝一神教だと思っている~…るる~…)
その延長には「現在確認されていないが、記録されている非人間的存在(「妖怪」と称されたりするものを含む)」の存在(※雑語り注意)の肯定がある…と思っている。
これについてはキリスト教徒の中でも意見が分かれるし、なんならチーム内でも色々分かれているので、つまり当コラムライターは「一般的な日本人」から見ても「キリスト教徒」から見ても発狂していると判断される可能性がいつでもある立場の人間に仕上がっている。
だからもうあえて地の果てまで発狂を轟かせたいと思うが、われわれが現実と呼んでいる世界において、また人間と非人間の縁が結ばれた出来事の可能性をとくに否定しない。
私がアブラハム宗教信徒であるがゆえに――私の信じる神は「石ころからでもアブラハムの子孫を創れる」(新約聖書「ローマ人への手紙」2:12)がゆえに――、なんかしらんけど遺伝子が違うもの同士で子がなされたということも、あったこととして考えることができる立場にある。
っていうか、キリスト教というのはそもそも人類史上最大級に流布した異類婚姻譚(神婚譚)を聖典に有して、人類史上最大級に古した異常誕生の末の御子を神と認識する宗教の民なのでは?というのが、今の筆者の認識である…
「キリスト教徒(アブラハム宗教教徒)だから、ナチュラリズムの世にあってもヒトと非人間が縁を結ぶという現象もあり得ることとして考えることができる」
このコラム冒頭の意見がうっすら信じられている状況ではからすると逆説的に聞こえそうな話である。ちょっとエモくないだろうか。
「レビ記で獣姦が禁止されてるからキリスト教では異類婚姻譚タブー」は現代キリスト教徒でも言いそう
本当に申し訳なく、あるいは恥ずかしいことのようにも思うが、
「そういうのが根拠になるという人々」はキリスト教徒にもいそう、と思った。
なんか、こう、悪い意味でファンダメンタルな人たちとか。
ここでサンドバックになりがちなのは福音派だと思うが、カトリックの中にもそういう安直なファンダメンタルさを以って世界を解釈するヒトたちというのは観測しているので、あえて「福音派にいそう」とは言わないが。(⇐言ってる。なお私も福音派なのでご容赦ください)
ちょっとズレるけれど、日本も「国つ罪」に獣姦禁止の記述があることはどれくらい知られているのか…
今後の筆者の個人的な課題①付喪神
「付喪神」に関する見地も、なかなか「キリスト教文化とアニミズム文化」=「西洋と日本」の対比、として語られやすいもののようだ。
これに関しても、もう少し深めてみたい課題である。
今後の筆者の個人的な課題②非西洋圏キリスト教文化圏の異類婚姻譚をもっと摂取したい
個人的な興味として「非西洋圏のキリスト教文化圏においての異類婚姻譚」について深めてみたい気持ちがある。
・フィリピン
・エチオピア
あたりについて興味がある。もっというと
・アラブのキリスト教徒
・ジプシーたちのキリスト教の文脈化
・ミャオ族のキリスト教文脈化
についてもう少し知りたい。人生が足りない。
文化人類学者の「異類婚姻譚比較研究」ガイドライン紹介&改めて引用書籍紹介
あとは何よりも、数冊程度でいいので昔話集を読みましょうね
— ῥ(『現代思想』「民俗学の現在」特集2024年5月号出ました!) (@ryhrt) May 5, 2023
↓そしてコレへ続く
<研究論文>シャーマン=狩人としての動物 : 世間話における妖狐譚を構造分析する(廣田龍平,2021)
▼コラム内で軽く言及している書籍