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【荻原規子】勾玉シリーズの生理(月経)描写~白鳥異伝が一番プロットに影響してる

このウェブサイトでは、過去に荻原規子先生の作品をいくつか扱ってきました。そんな中、「生理(月経)」のキーワードで調べる方が一定数いることがわかりました。ですので本日は

あおい
あおい

【空色勾玉】【白鳥異伝】【薄紅天女】【風神秘抄】おまけに【RDG(レッドデータガール)】の作品群で

ラビ―ちゃん
ラビ―ちゃん

「生理(月経)」がどう扱われているのかをちょっとだけ調べた結果をお伝えします。

はじめにサクッと一覧でお伝えすると、こんな感じ。

空色勾玉とくに描写なし
白鳥異伝描写あり、プロットに大きく関わってる
薄紅天女とくに描写なし
風神秘抄描写あり
RDGとくに描写なし(※1)
西の善き魔女(おまけ)描写あり(※2)

(※1)…【RDG】は読み込みが甘いので、現状ちょっと自信がありません。アニメでは取りざたされてなかったと記憶しています。今度読み直すので、わかったらまた修正します。たぶんそんなに印象的な描写はなかった…気がします…。

(※2)…【西の善き魔女】も…勾玉シリーズほど読み込んでないので…ちょっと自信がありません…アデイルが「月経による不調では?」と読者に感じさせる描写あったような気がするのですが…ちょっと確認できたら修正します…。

あかね
あかね

基本的にネタバレしてるから、閲覧は自己責任で頼むわよ。

▽そのほか荻原規子作品コラム

【空色勾玉考察】古事記から見えた勾玉三部作のメッセージと、少しの聖書解説 白鳥異伝の時代/地名を考察(三野は岐阜)。ヤマトタケル伝説にはないラストが逆にキリスト教的だと俺の中で話題 【RDGレッドデータガール】アニメ小説共通の感想。泉水子のその後をガチ考察。高柳一条をキーパーソンにするとハピエンになる!…かも

【白鳥異伝】にみる生理(月経)描写

※私が引用したのは文庫版ではないハードカバーのものなので、参考ページはちょっと違っているかもしれません。

遠子が、従妹の 象子 きさこ と共に旅立つ場面。象子はもう初潮を迎えているけれど、遠子はまだそうではないことが読者に知らされます。

「ひどいわ。思いやりのかけらもないのね。わたくしは、今日はたくさん休みをとらなくては山登りなんてできないのよ。おなかは痛いし、頭は重いし、とっても具合が悪いんだから」

 遠子は思わず大声になった。「だれだって元気はつらつとなどしていやしないわよ。きのうまで病のやの字もなかった人が、どうしてそうなるの」

 その遠子に、象子はかみつくように言った。「遠子って、だからがさつと言われるのよ。女なら誰だってすぐに察するはずよ。月に一度は必ずこういう具合の悪い日にあたるんだから。あなた、その経験もないんでしょう。」 さすがい遠子は顔を赤らめた。それを見た象子は、まるで勝ち誇ったように言った。

「経験のない人には、このつらさをどう言ってもむだね。女にはこういうことがあるから、本当は旅になって向かないのよ。もっといたわられていいはずなのよ」

 むっとすることで気をとりなおした遠子は、開き直って言った。「だったらわたしは、一生そんな経験はなくてけっこうよ。かえってごめんだわ。伊津母へ着いたら、わたしは戦士にしてもらうんだから」…

荻原規子「白鳥異伝」徳間書店1996年pp.237-238

(改行は筆者によるもの)

そして、物語の後半。遠子は船上で小俱那(小碓命)と相対峙し、小俱那に刀を立てることに成功しますが…色々あってなんやかんやしているうちに、遠子に初潮が訪れます。

そして、遠子が「女になった」ことを証するかのように、それが玉の御統に影響を与えたことが描写され……海が荒れ始めます。

「痛っ」ふいに遠子は小さな声を上げて身をかがめ、自分の下腹を押さえた。最初はその恐ろしい感覚が何を意味するのかわからなかった。しかし、異変はあきらかだった。鈍痛をともなった重苦しいものが遠子の体を下ってきていき、血痕となって裳すそに現れた。後ずさり、まひしたように甲板のその血を見つめた遠子は、遠い昔の自分の声をぼんやりと聞いた。

『小俱那にもう一度会えるときまで、女になんか絶対にならないわ。ここでずっと待っているから、帰ってきて』

 その遠子の衝撃と動揺は、すぐさま形をともなってふりかかってきた。剣の力を封じ込めたはずの御統の力に、揺さぶりがかかったのである。たつまきが大きく揺れ、それまで静止していた軍船もそれとともに激しく傾いた。

荻原規子「白鳥異伝」徳間書店1996年p.433

(改行は筆者によるもの)

【風神秘抄】にみる生理(月経)描写

※私が引用したのは文庫版ではないハードカバーのものなので、参考ページはちょっと違っているかもしれません。

舞によって死者の魂を鎮めることができる少女・糸世。気丈な糸世ですが、とても大事な舞を舞わなくてはならない場面で、彼女が生理によって不調であることがわかります。

草十郎と日満は、出された膳を空にしたが(料理はたしかに上等だったのだ)、糸世は結局、ほとんど手をつけずに終わった。そればかりではなく、時間と共に顔色が白くなっていった。化粧のせいと言えないほど少女が青ざめていることに、ついに日満が気がついた。


「御前……もしや」
糸世はかすかにうなずいただけだったが、世にも情けなさそうな顔をしていた。
「散薬を少々持参してござるが、召しますか」
「ううん。今は、よけいなものを体に入れたくないの」

日満は心配そうにうなった。
「懐石などで、体を温めることができればよろしいのだが。さすがに用意がありませぬ」
糸世に持病があるなどは念頭になかった草十郎は、驚きながら近寄った。
「どこが悪いんだ。痛むのか」

糸世はおしはかるように草十郎を見上げてから、かぼそい声で言った。
「あなた……女の体には、お月さまと同じ満ち欠けがあるって、知っていた?」
たじたじとならざるを得なかった。草十郎にはおぼろにかすんで手の届かない、神秘の領域だ。
「よくわからないが、つらいのか」

糸世はためらい。それからうなずいた。・
「遊君を名乗る女なら、これが芸に差しさわるなどというのは、甘えでしかないの。ただ、わたし、一世一代の舞を舞おうと思いさだめたのに……どう影響するか……」

(荻原規子「風神秘抄」徳間書店2005年 pp241-pp242)

(改行は筆者によるもの)

このあと糸世は草十郎の笛とともに無事に舞いを終え、鎮魂を成し遂げます。

「生理/月経」がプロットに大きな影響を及ぼしているのは【白鳥異伝】

あおい
あおい

【白鳥異伝】は「ヤマトタケルノミコト(日本武尊/倭建命)」伝説がモチーフのファンタジー

で、主人公のひとりである〈小俱那〉はヤマトタケルノミコトがモデルなワケですが、〈小俱那〉のパートナーとなるもう一人の主人公の〈遠子〉は、ヤマトタケルノミコトの伴侶として描かれたヒメたちを複合させたような動き方をとってい(る、と思われ)ます。

〈遠子〉のキャラクター造形そのものは、あくまで近代的なサブカルチャーの土台のうえに描き出されるものだと思うので、記紀神話のいずれのヒメたちと単純に重ねられるものではないと思っています。(神話と現代文学を比べるのは丸と黄色を比べるようなものだと認識しています。)

そのなかのひとり「ミヤズヒメ(宮簀媛/美夜受比売)」とヤマトタケルノミコトのエピソードには、非常に印象的に「生理/月経」の暗喩が用いられており(と解釈されており)、後世の読み手を戸惑わせているようです。

宮簀媛(みやずひめ、生没年不詳)は、古墳時代の豪族・尾張国造の女性。日本武尊の最後の配偶者であり、熱田神宮の創祀に関わる重要人物と伝えられるが子は無く、記紀ともに系譜には記されず、物語にのみ現れる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E7%B0%80%E5%AA%9B

『日本書紀』によれば、日本武尊は東征の帰途、尾張へ入り尾張氏の娘宮簀媛を娶って滞在した。やがて近江国の伊吹山に荒ぶる神がいると聞いて、草薙剣を媛の家に残し素手で退治に出かけた。しかし、山道で神が大蛇に化して出現したのを無視したところ、神は氷を降らせて尊を迷わした。このため尊は失神し、山下の泉でようやく正気を取り戻したが、病の身となっていた。そして尊は尾張へ戻るが、媛の家には寄らず、そのまま伊勢国に向かったという。『古事記』にも同様の話を記載するが、倭建命は比売の月の障りをおして交わったという。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E7%B0%80%E5%AA%9B
こんなのもあります

ラノベ古事記 ヤマトタケルとミヤズヒメのお話し

ミヤズヒメ(神社と古事記)

まずもって原文は「月経だけど性交した」と読んで大丈夫なのか?という地点からはじまりーの

古事記には、 2世紀前半の第12代景行天皇の皇子ヤマトタケルと婚約者のミヤズヒメが詠み交わした歌に月経に言及するものがあり、月経を指摘するヤマトタケルと、月日がたてば月経がめぐってくることが自然であると詠うミヤズヒメは共に月経を「”月”とおおらかに呼び」(小野,2000,67ページ)、当然のこととして受け止めている。さらに、民俗学者の宮田登は、月経を「神のしるし」 q中浦・宮田,1999,85ページ)であり尊いものとして、ヤマトタケルとミヤズヒメは結ばれたと説明している。

小野 千佐子「布ナプキンを通じた月経観の変容に関する研究 :
「存在する月経」への選択肢を求めて

「じゃあここから何が読み取れるんや!」という解釈も色々ありーの…

この歌については、はやく、月経は神の召される印、すなわち神の嫁とする折口信夫説(『折口全集』第三巻、『同ノート編』第二巻)がある。この解釈に従って、神婚を想起させる歌と見てよかろう。ミヤズヒメは「尾張国造の祖」とあるように、宗教的権威を持つ女王であった。その女王との神婚が大和王権による支配を意味した事は言うまでもない。4の問答の歌は、征服の戦いの中に恋の物語を作り上げているのであるが、その恋物語も地方王権の服属を語る一方法であったと見ることができる。

ヤマトタケル物語のうた シンポジウム「日本武尊の伝承と歌謡」報告ー居駒 永幸
↑このツイートの元ネタの書籍、探せたらまた書きます…
ほかにも色々あるから読んでくれよな

余談1:日本で初めて正面から初潮を扱った小説は「あした真奈は」(吉田とし)らしい

…こうした変化を背景として10代の女の子たちは、〈少女〉としてより、むしろ〈若者〉として自己規定するようになっていく。この〈若者〉への同化は、60年代前半にはほぼ完了した。たとえば63年には、「母と娘で読む情操教育誌」として創刊された『週刊マーガレット』が「こんなフレンド・ボーイがさいこうよ!」と言う特集を組み、正面から初潮を扱う小説が初めて現れた(吉田とし『あした真奈は』)。戦前的な「少女小説」(母子もの…)に変わる「ジュニア小説」(青春の過ち…)の誕生である。女の子は自らを、男の子のパートナーたるべき「性的身体」として、意識しはじめたのである。

(宮台真司 石原秀樹 大塚明子「サブカルチャー神話解体 少女・音楽・マンガ・性の30年とコミュニケーションの現在」pp.32-33/1993年)
参考

あした真奈は

余談2:「りぼん」付録の生理についての情報をまとめた冊子が無料公開されているらしい

発売後、話題を呼んだ2021年11月号の『りぼん』(集英社)のとじこみ別冊「生理カンペキBOOK」。そんな「生理カンペキBOOK」が、2022年6月27日から集英社『りぼん』の公式サイトで無料で誰でも見られるよう公開されている。

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_62fef6b3e4b0c8c57f5a7380

荻原規子作品における「月経」の解釈を考察…

生理(月経)を主題にしたコンテンツというと、戸川純の「玉姫様」が思い浮かぶ私ですが、

ひと月に一度
座敷牢の奥で
玉姫様の発作が起きる

肌の色は五色
黒髪は蛇に
放射するオーラを抑えきれない

中枢神経子宮に移り
十万馬力の破壊力 レディ・ヒステリック 玉姫様乱心

作詞:戸川純「玉姫様」

もう何も見えない
もう聴こえない
あなたの話が理解できない

異常な発汗と嘔吐の中で六感は冴えわたる

作詞:戸川純「玉姫様」

神秘神秘 月に一度
神秘神秘 神秘の現象

作詞:戸川純「玉姫様」

一例ではあれど、こういった歌詞の印象と比べると、荻原規子先生はそこまで生理/月経を「神秘的なもの」として扱いたいわけではないのかな…と感じます(※)

(※)月経がプロットに影響を及ぼしている【白鳥異伝】は、あくまで下敷きになった神話に月経の描写があったからであり、他作品では「女性に困難を及ぼすもの」という印象の描写は入れるがそれ以上の神秘性を付帯させる意図があるようには思えないため。

ただ、【風神秘抄】において、糸世に「どう影響するかわからない」という台詞を言わせていることで、そのコントロールの不能性と、それが神事に影響を何かしらで及ぼすシロモノである、という目配せをしている、と思います。

現実の日本社会では、月経を「穢れ」と見做す文化はすでに5世紀ごろには見られ、平安時代の貴族社会において定着していったようですが(※)、荻原作品はもちろんそういった価値観を提示しているようには読めませんし、

月経によるネガティブな影響を不可抗力として描きつつ、それが霊的な力に影響を与えるシロモノであることに目配せしていて、それでいて過剰な神秘化は避けている…という感じがします。

こちらの論文では、5世紀ごろにはすでに月経が穢れとして受け取られていた可能性を提示しつつ、平安社会においてその観念が定着していった様子がまとめられていました。

宮田によると、平安京の貴族社会では出産の無事を祈願して僧侶、修験者、巫女によりさまざまな呪術的祈祷がおこなわれ、悪霊が依らないように妊婦を特別な空間としての産小屋に隔離したことから、出産のケガレが発生したのではないかと論じている q中浦・宮田,1999,186-189ページ)。そして、出産時の神は血を
恐れず血の聖性にかかわる山の神であり、神道の神々は接近しないと考えられている。この山の神とは、狩猟民の神であり、月経を神秘的なものとしていた時代の神である。一方の神道の神々とは、出産をケガレとして接近してこない神々である。このような神と人間との関係について、波平は「神ごとに係わる空間を、時間に準じて『ハレの空問』と呼び、神ごとを避けようとする空間を『ケガレの空間』」(波平,1988,204ページ)と定義している。まさに産小屋は神々が接近してこないケガレの空間として誕生したのである。ところでケガレであるが、沖浦Bは、清浄に対する不浄、神聖に対する汚稜という宗教的なケガレ観が、密教とともに伝来したのではないかと述ベている(沖浦・宮田,1999,39-40ページ)。そして、清浄を維持するために不浄を「隔離し排除」(沖浦・宮田,前掲書,40ページ)しようとすることから発生したのが死稜、産稜、血桟である。さらに、 967年に施行された延喜式によって、ケガレは「国家によって法制化」
q中浦・宮田,前掲書,82ページ)されていった。

小野 千佐子「布ナプキンを通じた月経観の変容に関する研究 :
「存在する月経」への選択肢を求めて

荻原作品で育ったキリスト教徒の私の、月経困難症発動中の世界の見方

月経の生活への影響は、女性器を身体に持つ人間の中でもかなりのグラデーションがあり(それによってたびたび社会でも問題になっている印象がありますが)さらに言うと月経に困難さを覚える人間のなかでもグラデーションがあります。

私の個人的なの話で恐縮ですが、私自身は救急車で運ばれてしまったこともあるくらい月経困難な部類の人間で、「玉姫様」の歌詞の共感をする部分(※1)もありますが、そうでもない部分(※2)もある、という感じです。

(※1共感…「発作」「もう何も見えない もう聴こえない あなたの話が理解できない」「異常な発汗」といった形容
(※2)非共感…「嘔吐」「六感が冴えわたる」

クリニックを複数回受診していますが、とくに原因があるわけではなく「そういう子宮のカタチをしている」という見立てをされており、つまり私の月経困難は「付き合っていくしかない存在」というワケです。

そして私自身はさまざまな事情により出産もしないと決めており、出産を必要としている人に比べると月経を必要なものと捉える土台がひとつ少ないことになります。つまり、私にとって月経というものは「ほぼ、完全なる足かせ」にしかならない、そういう状況です。

戸川純さんや荻原規子先生のように、それらにまつわる思索を作品に昇華させる(作品に盛り込む)こともできません。

そんな凡庸な私が、困難な月経の症状に大きな不満なく付き合ってこれている理由を思い返すと、キリスト教の提示する世界観が大きく関わってきているな…と思わされます。そのことについてちょっとだけ触れてこのコラムを閉じたいと思います。


まず、『キリスト教』というのは、伝わった土地土地の文化や考え方と混淆するので、『キリスト教は月経をどうとらえているか』というのは一概に言えませんので、そういった情報提示はここでは避けます。

しかし、聖書の提示する世界観には「弱いところに、神の力が現われる」という、逆説的な考え方があります。これが全員が持っている考え方かどうか、というのもまた千姿万態なので断言はできませんが、そう感じる人間はそれなりにいる、ということを今までこのウェブサイトでも書いてきました。

少なくとも、現代日本を生きるプロテスタントキリスト教徒の私は、聖書からそういう価値観を読み取っており、そこに慰めを受けています。つまり、

私自身は「月経に伴う困難症状」を、神の力が働くタイミングと捉えている。

しかし、それは「月経」という女性(の身体を持つ人間)特有の生理現象を指して特段にそう思っているのではなく、「人間が弱さを覚える状態」全般においてであり、

かつ、「私」という個人の力の増幅がなされるというワケではなく、『神の働き』のほうの増幅に働くと見ている。しかも、それは私が感知できるとは限らない。

…みたいな世界観で生きている…そんな感じでしょうか。

そして、この価値観は、ある解像度においては、荻原作品の提示する月経への観念とシンクロするものだと思っています。

一般的に日本人の価値観とキリスト教は相いれないという印象を持つ方もいらっしゃるかもしれませんが、相通じるところとそうでないところ、考えてみるのもまた楽しいかもしれません。

【空色勾玉考察】古事記から見えた勾玉三部作のメッセージと、少しの聖書解説 白鳥異伝の時代/地名を考察(三野は岐阜)。ヤマトタケル伝説にはないラストが逆にキリスト教的だと俺の中で話題 【RDGレッドデータガール】アニメ小説共通の感想。泉水子のその後をガチ考察。高柳一条をキーパーソンにするとハピエンになる!…かも