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【更新】「異類婚姻譚」をめぐるアレコレ(5月更新)

ルンペルシュテルツヒェン系昔話10選あらすじ&教訓など紹介していく【援助者の名前一覧マップ付】

このコラムは、「ルンぺルシュツルツキン(ルンペルシュティルツヒェン)」や「トム・ティット・トット(トム チート トート)」などで知られている民間説話(民話)の、類話を並べて『あらすじ』『援助者の名前』を紹介していくコラムです。(「AT500 援助者の名前」)

タイトルに「ルンペルシュテルツヒェン」と入れているのは検索可能性を挙げたいという考えからであって(日本語ではダントツ有名なのがこのお話だと思うので)、『この系統の説話はドイツが代表である』という思想を持っているワケではないのでご了承ください。

随時追加していけたらいいな(希望)

▼まずは地図

トム・ティット・トット(イギリス)

「トム チート トート」あらすじ

あるところに、一人娘を持つ女性がいて、ある日パイを5つ焼いた。少し硬く焼けてしまったので、娘に言いつけてパイをおいておくように伝えた。

しかし娘はそのパイをすべて平らげてしまった。これを知った女性は腹を立てて、糸紬をしながら

「わたしの娘、娘がきょう5つ、5つのお菓子をたべちゃった」

と嘆きながら歌った。そこを通りかかった王がこの歌を聞き、何のことか詳細を尋ねられると、女性はありのままを伝えるのは恥ずかしく思って

「私の娘、娘は今日は5かせ、5かせの糸をつむいじゃった」と歌った、と言ってしまった。

これを知った王は、そんなことができる人間のことを初めて知ったと感激し、「なんでも不自由なく暮らさせる代わりに、一日5かせの糸をつむぐ」ことを条件に娘を妻に望んだ。女性は承諾してしまった。

ふたりは結婚し、娘は11か月のあいだ何不自由なく暮らした。そして一年経つ前に、王は娘をつむぎ車と腰掛と食べ物と少しばかりの亜麻だけの部屋に娘を連れて行き、「晩までに5かせの糸をつむがなかったら、おまえの頭はなくなるぞ」と告げた。

娘が嘆いていると、長いしっぽのある、やせた、黒いやつが現れて、事情をたずねてきた。

娘はこの小人に説明すると、代わりに亜麻をつむいであげると言った。その代わり「今月が終わらないうちにぼくの名前が言い当てられなかったら、あんたはぼくのものだ」と言う。

夕方、小人は5かせの糸を抱えてやってきて、名前を当てるように言ってきた。娘は当てることができなかった。

ーこんなことを2回ほど繰り返すー

最後の晩の前に、王は「お前が5かせの糸を仕上げることはわかっている。だからお前と一緒に食事をしよう」と言って、娘とともに食事をした。そこで、王が今日森のなかで見聞きした話を聞くことになり、そこで娘は小人の名前を知ることとなった。

最後に小人が亜麻をとりにやってきたとき、娘は小人の名前を言い当てた。

「だれにも、だれにも、わからない。お前の名前は トム チート トート」

彼はそれを聞くと、ものすごい金切り声をあげて暗闇のなかへ逃げうせた。娘は二度と彼を見ることはなかった。

参考:小沢俊夫 編訳「世界の民話 6」pp.15-23 など

ハンス・エフェリケッケリー(スイス)

「ハンス・エフェリケッケリー」あらすじ

プレッティガウという土地では、夏の間、フェングという小人族が人間の娘たちに野苺やブルーベリーがいっぱい詰まった籠をプレゼントすることがあった。

フルナのある小さな家にはかわいい陽気な娘が住んでおり、その娘はとあるフェングに気に入られていた。そのフェングはだれにでもわかるプレッティガウ方言で話しをするので、娘はフェングの訪問を怖がったり拒絶したりはせず、家族ぐるみで付き合いをしていた。

しかし、ある時。娘が冗談で「小人のお嫁さんになる」と言うと、その小人は約束の履行を執拗に求めるようになる。

「あの出来損ないの小人、頭髪と髭はもじゃもじゃ、なにも見えない頬や口、いつも細く、松の針のような毛、この谷間の村じゅう評判の小町娘は、これが自分の夫だなんて考えられなかった。」

娘は何度も「約束をなかったことにしてほしい」と小人に頼むが、小人はまったく聞き入れない。

ただ、娘があまりにも約束を果たす様子がないからか、ある日小人は「自分の名前を当てる事ができれば、もう二度と家には来ない」と言う。

娘はそれを難題だと思い一旦途方に暮れる。

しかし、娘の代母の的確な助言により、娘は小人の名前を知ることができる。

その助言とは、小人が次に会いに来た時にこっそり小人に糸まきつけて、小人が帰るとそれをたどって小人の棲家まで行って、そこで小人の名前をこっそりと知る、というものであった。

娘は代母の助言を実行し、小人の洞穴にたどり着く。小人は住処に入るまえに月明りのもと踊って歌う。

「今日はおいらはパンを焼く
 明日はおいらは洗濯だ
 それからカール髪の娘を連れてくる
 おいらの娘にゃわからない
 おいらの名前はハンス・エフェリケッケリー」

そうして翌日、小人がやってくると、娘は「あら、いらっしゃい、ハンス・エフェリケッケリーさん」とあいさつする。小人は仰天し、地団駄を踏み、叫ぶ。

「お前に代母がいなかったなら
 おいらは今では幸せになれていたものを」

そうして小人はもう一度悲しげな目で娘を見て去っていった。以来その谷間の村では、かつてのように小人たちからの贈り物はなくなったのであった。

参考:「スイス民話集成」pp.p177-178

▽もう少し詳しく紹介してます

リカベル・リカボン(フランス)

「リカベル・リカボン」あらすじ

むかしむかし、糸紬ができない不出来な娘がいた。業を煮やした母親が娘をぶつと、それを目撃した王が事情を尋ねてきた。

母親は取り繕って「この娘が糸つむぎが上手すぎて藁まで紡いでしまうんです!」と言ってしまう。

それを聞いた王は、娘を城に連れて帰り、山のような麻のたばを指して

「これを紡いだら、一年と一日後に王妃に迎えてやろう」

といった。

無理難題に娘が泣いていると、突然、背丈が膝くらいまでしかない、腕みたいに長い鼻をした小さなヤツが飛び出してきて、事情を尋ねてきた。

この小人は

「それじゃあ、一年と一日したら、俺の名前を呼ぶって約束すれば、そいつはすぐに紡げちゃうよ。リカベル・リカボンってのが俺の名前だ」

と言って、麻をぜんぶ金に紡いで消えていった。

約束通り、王は娘を王妃にした。

しかし、月日がたって、娘は小人の名前を忘れてしまったことに気づいて憔悴した。

そうこうしているうちに、王の命令でジビエを狩っていた狩人から、森の中で自分の名前を歌いながら踊っている小人の話を聞く。

時期がきて、やってきた小人に、王妃は「あんたの名前はリカベル・リボン?」といったんとぼけるが、

いよいよ小人が王妃をひっぱっていこうとすると

「リカベル・リカボンがあんたの名前よ!」

と叫んだ。小人は怒り、姿を消して、屁をのこした。その匂いは3日も続いたという。

ルンペルシュツルツヒェン(ドイツ)【動画未作成】

※どの書籍なら「ルンペルシュティルツキン」の話があるのかわかりません。私はインターネット(青空文庫)で読みました。

「ルンペルシュツルツヒェン」あらすじ

むかしあるところに、美しい娘をもった粉屋がいた。

ある日、王との謁見に恵まれた粉屋は、見栄を張って「わたくしの娘は藁を紡いで金にします」

と出まかせをいってしまう。

王は興味を持ち、娘を城に呼びつけて藁から金を紡ぐよう命じた。

「できなければ命はない」と付け加えて。

ひとり部屋に残された娘が泣いていると、豆粒のようなおとこがあらわれて、

金を紡いでみせる代わりに、見返りを要求してきた。娘は首飾りを渡した。

翌朝、紡がれた金を見た王は、翌日も翌々日も金を紡いでみせるよう要求する。できれば妃にしてやると約束して。

娘は今度は指輪と、その次は最初に生まれた子どもと交換する約束で、小人に金を紡いでもらった。

こうして王の要求を果たした娘は妃になった。

一年たって、おキサキはうつくしいこどもを産んだ。そこへ小人がやってきて、約束を果たすように言ってきたので、おキサキは泣き出してしまった。それをみた小人は

「3日まってあげる、そのあいだにわたしの名前をなんというかそれがわかったらこどもはお前に返してあげる

と言った。

しかしおキサキは、いちにち目も2日目も小人の名前を当てることができなかった。3日目を迎えようとしているときに、おキサキは、使いの者から、森でこびとが自分の名前を歌いながら踊っていた話を立ち聞きした。

3日目に小人がやってきたとき、お妃は

「じゃあたぶん、お前の名前はルンペルシュチルツヒェン」

と当てる。

小人は「悪魔が話したんだ! 悪魔が話したんだ!!」

と右足で地団駄を踏んで穴を開け、自分で自分のからだをまっぷたつに引き裂いてしまった。

参考:青空文庫収録 グリム兄弟 編 楠山正雄 訳「ルンペルシュチルツヒェン」

名無しの悪魔(スペイン)【動画未作成】

「名無しの悪魔」あらすじ

とてもきれいな娘のいる水車番がいた。

水車番はある日、王のところへ行って「うちの娘は藁で金を紡ぎだすことができます」と言った。

王は、娘を宮殿に連れてくるように命じ、連れてこなければ殺すと脅した。

それを聞いた娘は嘆き悲しんだが、仕方ないので宮殿に向かい、本当に金を紡ぎだせるのか試されることになった。
部屋に残された娘のところに悪魔が現れ、黄金の首飾りと引き換えに藁で金を紡いで見せると取引してきたので、娘は承諾した。
翌日、藁を金にすることに成功した娘を見て、王はもう一晩試させることにした。
また悪魔が現れて、次は銀の指輪と交換に金をつむいで見せるというので、娘は交換条件をのんだ。

つぎの日、王は最後の試みだと言ってまた金をつむがせた。

悪魔は今度は「もしあなたに生まれる最初の子供をくれるなら、藁から金をつむぎたしてあげよう」と言うので娘は約束した。
こうして、王は娘を王妃とした。

時がたち、娘はかわいい男の子を産んだ。しばらくして、悪魔が男の子をもらいにやってきた。娘はあげられないことを告げると、悪魔は「三日猶予をあげよう」と言い「その間に私の名前を当てることができたらあなたの子供は自由になるだろう」と言った。

一晩めも二番目も当てることができない娘だったが、3日目になると、家来を悪魔のもとにこっそりおくりこみ、
立ち聞きさせた。

家来から悪魔の名前を聞いた王妃は、真夜中にやってきた悪魔に対して「あなたのお名前は《名無しの悪魔》さんです」と言って見せた。悪魔は地団太をふみながら地中に沈んでいき、二度と王妃の前に姿をあらわさなかった。

(アビラ州ビリャフランカ・デ・ラ・シエッラにて採集)/エスピノーサ「スペイン民話集」三原幸久編訳pp173-176

プルツィニゲレ(オーストリア)【動画未作成】

「プルツィニゲレ」あらすじ

ずっとずっと大昔、大金持ちで満ち満ちた生活をしている伯爵がいた。彼には輝くばかりに美しい妻もいた。

ある日、伯爵は狩りの途中で、森の奥深くに迷い込んでしまった。

すると、伯爵の目の前に突然ネルゲレ(小人)が現れた。小人はほんの90センチしか背丈がなく、ヒゲは膝まで伸びていた。小人は「ここはワシの土地だぞ。お前さんはこのままでは済まんぞ。」と怒り、生きてこの森から出たいなら、伯爵の妻を自分に寄越すようにと要請してきた。

伯爵は、この森の小人のことを、子供の頃、年取った上から聞いていたことを思い出した。

伯爵はただ謝り、「何でも差し上げます。だから妻だけは勘弁してください」と懇願した。

すると、小人はしばらく考えを巡らせ「それじゃ、お前さんの運命は、お前さんの奥さんの手に委ねることにしよう。」

と言った。どういうことかというと、今から1月の猶予のうちに、奥さんが3回で小人の名前を言い当てることができたら、この話はなかったことにする、というのである。

伯爵は、帰りは小人に道案内をされ、自分たちの縄張りの目印であるモミの木のことを言い含めて、約束も確認して帰って行った。

城に戻った伯爵は、伯爵夫人に小人と交わしたとんでもない取引のことを告げた。

夫人の顔は青ざめ、泣いた。

一ヶ月の猶予の間、夫人は礼拝堂で祈っては鎮痛な面持ちですごした。

ついに残り3日となった日、森に向かい、苔むしたモミの木のもとにやってきた。

小人はすでに待ち構えており、夫人を見るとニタニタ笑い、自分の名前を当ててみるよう言ってきた。

「もみの木、空松、マツ…」

しかし、これらはちがった。

次の朝も祈りを捧げてから城を出て、昨日と同じく小人と落ち合った。

「カラス、ポレンタ、ハッシシュ」

しかしこれらも違った。「明日の家には結婚式かな」小人は挑発した。

最後の日、伯爵婦人がもみの木のところに着いたときには、小人はまだ姿を表していなかった。夫人はさらに奥へ進んでいくと、バラの茂みの生け垣のある美しい小道をとおって、小さな美しい家を見つけた。

中を覗くと、あの小人が立ってあれやこれやかき混ぜながら満足至極の様子で歌っていた。

「カラスムギぐつぐつ、
 キャベツ、
 じゅうじゅう、
 伯爵の奥さん知らぬが仏、
 わしは プルツィニゲレなんじゃわい」

伯爵夫人は、小人に気づかれないよう急いでもモミの木のところに戻った。

そして何食わぬ顔で、昨日と同じように答え始めた。

「プル」

「プルツィーゲ?」

小人はほっとしたが、

伯爵夫人は続けた。

「プルツィニゲレ!」

夫人が叫ぶと、小人は反撃して、目をキョロキョロさせ、ブルブル触れながら、両手を握り締め、わめき散らしながら、薮の中で姿を消した。

こうして伯爵夫妻は無事に帰還し、家来たちを喜びに包まれた。

プルツィニゲレは以来姿を見せた事は無い。

参考:「ドナウ民話集」パウル・ツァウネルト(編集)小谷裕幸(翻訳)冨山房インターナショナル,「プルツィニゲレ」(2016年)

パンツィマンツィ(ハンガリー)【動画未作成】

「パンツィマンツィ」あらすじ

むかしむかし、大海の向こうに貧しい女とその娘がいた。娘は美しかったが、怠け者だった。ある日、母親が娘をこづいたり打ったりしているところに王がお供を連れて通りかかり、なぜ娘をぶつのかを尋ねてきた。

母親は取り繕って「この子は強情者の悪いやつで、手にしたものは何でも金の糸につむいでしまうもんでね。いまも、わたしが町までパンを買いに行っているあいだに、布団をすっかり金の糸にしてしまったので、頭の休まるときがないんですよ!」

これを聞いた王は「(そんなにひっきりなしに糸をつむぐほど働きものなら)この娘は妃にもってこいなのではないか」と考え込み、このあと2回にわたってこのまずしい女の家を通りかかった。

そのたびに母親が娘をぶっているので、見かねて「わしの妃に迎える」と宣言して連れて帰った。

さっそく結婚式をあげ、一週間ほどたったころ、王は妃に「糸が紡げなくて退屈しただろう?さあ、好きななだけお紡ぎ」と言われ、大きな車いっぱいの亜麻をもってこられた。

妃が亜麻の山とともに自分の部屋に閉じこもって三日三晩泣いた。

すると、だれかが窓を叩く音がしたので、見てみると、とても小さい小人であった。(背は指三つほどの高さ、ひげは二本の足みたいで、あごひげは一エレほども長かった)

そして、妃に「この亜麻の山を三日のうちに金の糸に紡いであげよう。そのあいだに、おまえさんはわしの名前をあててごらん。あたらなかったら、おまえさんはわしのものになるんだよ、わかったかね?」

妃は考えた末、決意した。金の糸を手に入れられなかったら、小人と一緒にお城を出ていけばいいのである。

しかし、妃はまったく小人の名前を思いつくこと・当てることができなかった、

翌日、王の家来が森の中で狩りの途中に『おれはパンツィマンツィ、おれの名前はだれも知らない。俺はいまは自分で煮たり焼いたりしてる。でもあさっては、すばらしいお嫁を連れてくるぞ』と歌っている小人をみかけたことを報告した。

この話を一緒に聞いていた妃は大喜びした。

その晩、やってきた小人に「わかったわよ、かわいいパンツィマンツィさん」と言い、小人はぽかんと口をあけてひとこともいわずに金の糸を持ってきて、窓から飛び出して逃げた。

翌朝、妃は王を部屋に呼んで金の糸をみせた。そして王は、妃にキスの雨をふらせた。

それから3日後、王の都にあった大きな市がたった。そこで売られていた亜麻を、王が残らず買った。妃はどうしたらいいのか、と泣いた。

そうしているうちに、妃は自分の群にいた三人のみにくい乞食女について思い出した。この女たちを呼びよせて、王に物乞いをさせて、「どうしてそんな姿になったのか」と聞かれたら「あんまりせっせと紡いだから」だと言わせようと考えた。

女たちは、王に物乞いしながら

「わたしはとても働き者で、夜も昼も糸を紡ぎました。そのために、背中がこんなに丸くなったのでございます」

「私は一生、亜麻を買っては紡ぎに紡いだので、こんなに下唇がのびてしまいました」

「あんまり糸をつむいだせいで、わしの舌はこんなに長くなってしまいました」

と言うので、王はまっしぐらに妃のところに走っていって、糸巻さおや糸車を捨てさせた。妃はさも残念そうにした。

それからお妃は、何の心配もなくなった。もしまだ亡くなられていないなら、今でも夫の王様といっしょに楽しく暮らしているだろう。

参考:「新編世界むかし話集5 東欧・ジプシー編」山室静 編 著pp.76-85

トリレウィプ(デンマーク)【動画未制作】

「トリレウィプ」あらすじ

フューネンのある娘が、日曜日に教会へ行った帰り道、独り言として数を数えなが歩いていた。ふと振り返ると、地主の家の息子がいて、独り言の意味をたずねてきた。

娘は恥ずかしさをまぎらわし、「私が毎晩どれだけのツムの糸を紡ぐことができるか数えてみただけよ」と言った。

息子が家でそのことを母親に話すと、母親は、屋敷の下女たちは20つむもの糸を紡ぐことはできないので、娘に雇用を打診した。

とても良い条件で雇われた娘だったが、いざ仕事をあてがわれると、「お前はこれだけたくさん紡げると聞いたものだから」と言われて20つむの捲き糸が用意された。

娘はできるだけせっせと紡いだが半分も済ませることができず、夜中に泣き出してしまった。するとそそに赤ずきんをかぶった小さな小人が、娘が泣いている理由を尋ねてきた。

事情を知った小さな男は、糸紡ぎを手伝ってくれると言ったが、「まず私の恋人になって、それから妻になってくれさえすればね」と言った。

困っていた娘はそれを承諾した。するとあっという間に仕事はすっかり終わり、この時から毎晩小人は娘の仕事を手伝った。

屋敷の女主人はこの娘がすっかり気にり、やがては息子の嫁にすることにした。

小人との約束を言い出す勇気なく、結婚式の日は近づいてきた。

異変に気づいた小人は、娘に小言を言ったが「もし僕の名当てることができたら、約束を解いてやろう、3度までやってみても良いし、三日間考える暇をやる」と言った。

ある日、結婚式に使う獣を獲るよう言いつけられていた狩人が、夕方近く丘に行った。そこで、たくさんの明かりが灯り山の小人たちが踊っているのを見た。そしてとりわけ上機嫌で飛び回って歌っている小人の歌も聞いた。

「俺は一生懸命に紡ぎ、車を回す。
 俺は美しい乙女を知っている。
 俺の名はトリレウィプ」

さて、紡ぎ娘は、下女仲間に自分が置かれている状況を打ち上げた。

その下女は狩人から小人たちの歌と踊りを見た話を聞いたばかりだったので、そっくりそのままつむぎ娘に話して聞かせた。

さて、山の小人がやってきて、名前を当てなければならなかったくなったとき、娘はまず「ペーター?」「パウル?」と聞いた。

小人は踊り回り、すっかり喜んで、顔を輝かせたが、それを見て娘は「あなたのトリレウィプよ」と言った。

さて、

小人はこの娘をもらうことができなくなったが、もう一度娘に手伝ってやろうと言った。

娘は、自分が本来ない能力を買われて屋敷に嫁入りする身の上であることをわかっていたので、小人の話を喜んで受けた。

小人は別れ際に

「お前の結婚式の日に、
 3人の年取った女たちが部屋に入ってくるだろう。
 最初の女のことを母と呼び、
 2番目は祖母よび、
 3番目は曽祖母と呼びなさい。
 3人がどんなに恐ろしい顔をしていても、
 またお前の夫がどんなにそっけなくても、
 お前はできるだけ3人をもてなしなさい」

と言いつけた。

結婚式の日、小人の言った通りのことが起こった。

最初にやってきた老婆は、大きな赤い目が下に垂れ下がっていたので、夫は、「なぜこんな赤い目になったのか」と尋ねると、老婆は「毎晩起きていて、紡いできたからですよ」と言った。こんな調子で2番目の老婆3番目の老婆がやってきた。2番目の老婆は耳まで届くほどの口をしていて、3番目の老婆は杖をついていた。

「紡ぐたびにしょっちゅう指を舐めなければならなかったからですよ。」「糸車を足踏みで回すので、こんなに弱ってしまったんですよ」

これらのことを聞いた若い夫は、妻になった紬娘に「お前は今からもう決して無理ではならない。」と言いつけた。これで娘は山の小人がなぜあんなことを言ったのかがわかって、その言いつけをよく守ったことを喜んだのであった。

参考:「世界の民話 3」小沢俊夫編訳 pp.215-218

シュピッツバルテレ(オーストリア)

「シュピッツバルテレ」あらすじ

昔々あるところに、7人の子どもを持つ貧しい百姓がいた。ある日、妻に食料の入手を懇願されて家を出た百姓だったが、何も手に入れることができないまま夕暮れになってしまった。

百姓が途方に暮れていたところ、狩人が現れた。狩人は緑色の上着を着て、帽子には黒雷鳥の曲がった羽を2本つけていた。

事情を尋ねてきた狩人に、助けを依頼した百姓だったが、狩人は

「今日お前さんに猪の子を7頭やろう。だが、7年後に私の名を当てなくちゃならない。それが当てられなかったら、お前さんは私のものになるんだ」

と言ってきた。

百姓は、この狩人はきっとトゥンダ(※雷神ドナーのきわめて民衆化された姿と考えられる。トール神。)だなと思ったが、7年後であれば名前はわかるだろうと考えたので、その約束を交わした。

するとすぐに7頭の猪の子が現れたので、百姓はそれを家に連れて帰った。

家族は大喜びし、ここから何でもうまくことが運ぶようになり、そのうち百姓はあの約束の事を忘れてしまった。

けれど、7年後が近づいてくると、百姓は狩人の名前探しのことを思い出し、旅に出ることにした。

百姓はそこで1人の隠者に出会った。

隠者は百姓が落ち込んでいる理由を知り、力になってくれると約束した。

百姓は隠者に案内され、中が空洞になっているが緑の葉をつけた木のところへ連れていかれ、言われたとおりそこに身を隠して息をひそめた。

すると、なんとあの狩人がやってきて、百姓には気づかず木に登って1人つぶやいた。

「俺の名はシュピッツバルテレだってことを
 あの男が知らなくてよかった」

それを聞いた百姓は大喜びで隠れ場所から飛び出して「ほれみろ、みろ。

お前はシュピッツバルテレって言うんだ。これでおしまいさ!」

すると、この木はすさまじい音を立て、トゥンダは嫌な匂いを残してどこかへ行ってしまった。その木の緑は全部なくなってしまい、枯れた木しか残らなかった。それは今でもそこにある。

(参考:『世界の民話 1:ドイツ・スイス』(小沢俊夫/編 ぎょうせい 1977)収録/「トゥンダ」 pp.105-107)

アントニウス・ホーレクニッペル(ロレーヌ/ロートリンゲン)

「アントニウス・ホーレクニッペル」あらすじ

昔々、1人の若者が、お姫様を好きになってしまった。しかし、身分ちがいで結婚できないことがわかっていたので、嘆きながら森の中をうろつき回った。

そこに歳をとった魔女があらわれ、事情を尋ねてきた。

若者が説明すると魔女は「最初に生まれた子供をくれるって約束すれば、あんたが王女と結婚できるように取り計らってあげるよ」

と言った。

若者は、「その頃までに魔女は死んでしまっているだろう」「姫と結婚したら兵隊もたくさん使えるだろう」と思って、魔女と約束を交わした。

そして若者は姫と結婚した。

1年後に、2人の間には美しい女の子が生まれた。髪は黄金のよう、目は星のよう、肌はミルクと血のようだった。

今や王となった若者はすっかり悲しくなって、魔女が死んでいることに期待しつつ森へ行った。すると魔女が現れて、約束を果たすよう要求してきた。

王は「なんでもするから、どうか娘の事は諦めてくれ」と懇願した。

すると魔女は「三日間だけ時間をあげよう。3日の間に私の名前がわかったら、子供を寄こさなくてもいい。」と言った。

それから若者は夜も昼も森の中をかけずり回って魔女の名前を探った。しかし誰も教えてくれなかった。

夜、真っ暗になると、地面から火と煙が立ち上っているのが見えた。

覗いてみると、魔女が釜の前に座って

「シュックシュック、寒い。
 私の名前を王に知られたら、
 子供がもらえなくなる。
 私の名前はアントニウス・ホーレクニッペル」

魔女は3度そう言って「ヒヒヒ」と笑った。

王は名前を書き取って喜んで家に帰った。

次の日、魔女がやってくると、王はひどく悲しそうな顔をして「もしアンネマリーでは」「もしやブックスベルウェルでは」とわざと違う名前を言った。
魔女が笑った瞬間「もしやアントニウス・ホーレクニッペルでは?」と言った。

魔女は立ち去ったが、ひどく無作法な振る舞いをしていたので、国じゅうが臭くなった。 

参考:『世界の民話 14:ロートリンゲン』(小沢俊夫/編 ぎょうせい 1979)収録

所感

以下、当コラムライターによる雑語りの所感を書いていきます。「教訓」の段落まで飛びたかったらボタンをタップ!

「教訓」まで飛ぶ

※雑語り注意※「異類の名前、響きが複雑すぎて言えなかった」…って類話はないんだ

当方、このおはなしたちを「ルンペルシュツルツキン/ルンペルシュティルツヒェン」から知ったものですから、

異類が「一度聞いただけでは覚えられない名前・響きを自分で再現できない名前の持主で、それゆえに〈名前が判明しても再現できなくて詰む〉」という結末になりかねない話では?

と思ったこともありました。しかし、類話を読んでいるとそういう気配がほぼないので、この説話群のテーマはそういうところにはないのだと現時点では認識しています。

暫定で一番好きなヤツ…ハンガリーの「パンツィマンツィ」

今のところ一番素敵だなと思ったのが、ハンガリーの「パンツィ マンツィ」です。主人公の娘も、怠惰にみせかけていたのはその実最小限のエネルギーしか使いたくなかっただけでは?と思わせてくれる、後半での賢さ。この賢さを持ちながら怠惰だったんなら、母親が小突く理由も納得できそうですし(笑)、

王も王で、「金に紡いでしまうという稀有な能力を持ってるのに、それを活用できない家族のもとにいるから暴力を振るわれている」という状況から娘を保護したと読める話運びで、他の説話にみられる横暴さも少なく、読みやすいなと思いました。このおはなしで誰も悪くないかんじに仕上がることあるんだ!という感動が味わえました。

娘が「ダメだったら小人と一緒に出ていけばいいのである」という心境なのも、この系統の他のお話にはない描写で興味深かったです。

個人的には糸紬モチーフにも執着があるので、それがあるのもよかったです。

「六つのルンペルシュティルツヒェン物語」ーリカベル・リカボン物語の矛盾に対する一つのアンサー

リカベル・リカボンのお話は、あらすじを作る段階で

・藁を「紡いでしまうんです」っていう話だったのに、いつの間にか『金に紡いでしまう』になってるの大丈夫そ??
・小人、最初に名乗ってしまうんかい!難易度下がりすぎやろ!!
・ほんで娘、名前忘れてまうんかい!!!アホの子なん!?アホの子なんやな!?!?!

と思いながらも、このあたりを当方の感覚で埋めるのはまだ別の作業だと思ったのでとりあえずそのまま紹介しました。

そして、ヨーロッパの「ルンペルシュティルツヒェン」系物語を色んな角度から描いた物語、「六つのルンペルシュティルツヒェン物語」という小説があるのですが、

個人的に一番興味深かったのがこの「リカベル・リカボン(リカ―ベル・リカーボン)」説話をモデルにしたおはなしで、『なるほどね!そういう設定にしたらこの矛盾のつじつまを合わせることができるんだ!』と思いました。

※この児童文学は、色んなルンペルシュティルツヒェン説話を肉付けしたオムニバスみたいな形式です。

日本語の慣用句で韻踏めるのはスイス版だけ?

日本語において「隠し事をしようとしても、どこでだれが見たり聞いたりしているかわからない」ということを表現するのに

壁に耳あり
障子に目あり

という言い回しがありますが、これと韻踏めるのは小人の名前が「リ」で終わるスイスの説話しか今のところないのだな…とか考えてます。

壁に耳あり
障子に目あり
小人の名前はハンス・エフェリケッケリー

このおはなしたちの教訓

基本的には

民間伝承に現代人にとっての「教訓」が潜んでいるなんていうナイーヴな考え方は捨てろ

と、心に飼っているラーメンハゲが小言を言いだしてしまうタイプの人生を送っているのですが、この説話群をさらってみて思わないことがないでもないので、ちょっと書いてみます。

ぼくのかんがえたさいきょうの「ルンペルシュティルツヒェン系説話群の教訓」

おのおのの地元にある、桃の節句とか、菖蒲湯の由来とか、それを大事に営んでいく

コレ。私が考える「ルンペルシュティルツヒェン系説話たちの教訓」はコレです。

どういうことか説明しますと。

これらの類話を読んでいると、小人が人間を要求してくる理由というのがいまいちハッキリしない説話もたくさんありますが、わりと明確に「人間に横恋慕している(妻として要求してくる)」と描かれている説話もあって、

「異類が対価に人間に求婚してくるが、それを退ける」という構造で考えると、日本の異類婚姻譚:異類婿(猿婿入/蛇婿入り:水乞型など)と共鳴しているのだな…と思いました。

また、「針に糸をつけてたどって、秘密を立ち聞きする」という要素で言えば「蛇婿入り:苧環型(針糸型)」とも共鳴しています。

「猿婿入」や「蛇婿入り:水乞型」は、教訓と呼びうる要素があるのかないのかもド素人にはわからないので、

ここはとりあえず、「蛇婿入り:苧環型(針糸型)」に着目して…

要するに、日本における「ルンペルシュティルツヒェン説話」の類話を「蛇婿入り:苧環型(針糸型)」であると考えて、

「蛇婿入り:苧環型(針糸型)」の『教訓』をルンペルシュティルツヒェン説話の教訓だと考えればよいのでは?というのがというのが限界民話漁り日本人基督教徒の意見です。

「蛇婿入り:苧環型(針糸型)」は、だいたい「桃の節句に菖蒲湯に浸かる理由の由来譚」「桃の節句に桃の酒を飲む由来譚」「浜下りをする由来譚(沖縄)」に着地します。

ですので『自分たちのアイデンティティだと感じられる共同体における、蛇聟入り:苧環型(針糸型)が語る由来あるいは教訓』に着地すればいいんじゃないの????とか思っています。

※とはいえ、何の由来を語っているかについては地域差があるのがじっさいかと思います。そんなこと言って、肝心の蛇聟入り:苧環型(針糸型)じたい、何かの由来に結びつかない民話然とした伝承も多いんですけれども。私の地元もそういう感じです。

キリスト教徒としてちょっと添えておくと…「ルカによる福音書」8章との共鳴

…隠されているもので
あらわにならないものはなく、
秘密にされているもので、
ついには知られ、
明るみに出されないものはない。…
(ルカによる福音書8章17節)

まずもって、ルンペルシュティルツヒェン系のお話というのは、いずれも小人が森やら丘やらで自分の名前を口にしなければ小人の勝ちだったワケなので、

・軽口は身を亡ぼす

という観念を読み取ることはできちゃうお話なんじゃないかと思います。

日本の説話でしたらたとえば「千年蛇」系の伝承は、『口外しないと約束したことを口にしてしまったがゆえに、男が富を失う』という要素がある説話が記録されていたり、

「犬婿入り」なんかも、『犬を殺したのが自分であることをうっかり明かした故に、妻に殺された』という要素があるお話で、これこそ『軽口は身を亡ぼすので口を謹んで生きましょう』みたいな教訓ごと記録されていたりします。

そういった話のことも考えると、逆説的にこの世界に生きる存在の「隠し事を隠し続けることの困難さ」を表現しているともとれるかもしれません。

逆に、「隠されていることで明るみにでないことはない」という世界の摂理みたいなものを表現しているという見方もできるかもしれません。

その場合は、もしかしたら↑に引いた、ルカ福音書に書かれてることなんか的を射ているでしょ?という話にもできるのかもしれません。知らんけど。

「名前を当てると退治できるのか」アメリカのエクソシストの現場

「人ならざるものは、名前を当てれば掌握できる(支配下における)」という観念を持っているひとたちがおり、なんと、今日のエクソシストたちのなかにもそういう考えを持っている人がけっこういるみたいです。

(まず「現代においてエクソシストなんておるんかーい!」という疑問を全力でおいてけぼりにしながら話しますので、気になる方は以下紹介する書籍を読んでみてください。)

ほとんどのエクソシストが、特定の名前の解除ことが解放のための不可欠の部分とみなしている。

(「精神科医の悪魔祓い」p.271)

そうですが、この本の著者であるギャラガー医師は

このような大言壮語や頻繁な嘘にはほとんど関心を払わない。

(同上)

そうで、ギャラガー医師は「悪魔は、名前を当てれば祓えるほど単純なものではない」と思っているご様子ですね。

エクソシストたちが「悪魔」と呼ぶ存在と、世界各地の民話で語られた「援助者」の違いは判断しかねています。また、「憑依」と「援助者による対価の要求」を同列に語ってよいものかどうかも判断しかねます。

「援助者の名前(AT500)」は、そもそも「小人が『名前を当てればこの取引をなかったことにしてあげる』」と言い出しているわけなので、小人は「名前を当てられたから去った」というより「そういう約束だったから去った」と考えられますし…

名前を言い当てること自体の効力を問う話ではないのではないかな…と思わなくもないですね。

私の「ルンペルシュティルツキン」はここからー荻原規子『西の善き魔女』

髑髏の丘で磔刑に処された男の声が聴きたくて、こんなところまで来てしまった…(結びの句)