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丸山顕誠著「神話を読んでわかること」が『準創造』『ユーカタストロフィ』への言及から始まってたので胸アツ

丸山顕誠著「神話を読んでわかること」を読んでいたら、かなりはじめの方で見覚えのある用語の言及から始まっていて目をこすった。

現代ファンタジー文学の歴史は、J・R・R・トールキンの『指輪物語』ペーパーバック版が成功をおさめ、た1960年代にはじまると、作家・批評家のブライアン・ステーブルフォードは分析する。その理由として、『指輪物語』がトールキン自身のエッセイ「妖精物語について」の中で述べたプログラムに基づいて書かれ、そして世界的成功をおさめ、現代ファンタジーの範型となったからだと彼は論じる。
 トールキンの「妖精物語について」では、ファンタジー作家は、準創造者として第二世界を作り、物語を作る存在であり、作家の作る物語によって読者は感受性の回復、苦境からの逃避、ユーカタストロフィが与える喜びによる慰めが与えられることが議論される。

丸山 顕誠 「神話を読んでわかること」原書房2024,p.14

※黄色マーカーは筆者によるもの。丸山氏の文脈とは少々外れて、読み手である著者自身の興味を示すための施策である。

「神話」と「ファンタジー」は違うものであるが、大まかにな流れで考えるとファンタジーの源流には神話があり、現代ファンタジー文学の成立においてはJ・R・R・トールキンの『指輪物語』のヒットが契機となった…という話が展開され、そしてトールキンが用いた「準創造」「ユーカタストロフィ」への言及がなされた。317ページある書籍の14ページ目での言及である。

「準創造」そして「ユーカタストロフィ」というコトバへの思い入れ

筆者は小躍りした。

「準創造」「ユーカタストロフィ」という用語を著者が知ったのは2019年11月ごろ(J・R・R・トールキン「妖精物語について」猪熊葉子訳,2003)であるが、このとき、日本語圏においてこの用語を特段論じている人も興味を持っている人もいなかったと認識している。ゆえにこれから先、日本語の出版物で取り上られることがあったとしても、筆者のようにリサーチ力の弱い素人がそういった書籍に出会えることはないだろうと思っていた。

ちなみに「Eucatastrophe」は英語版Wikipediaにページが設けられてはいたが、日本語版はなかったので、筆者がチームに提案し、チームで翻訳作業を行って日本語版「ユーカタストロフ」のページを作った。

ここに翻訳協力者のお仕事募集リンクを貼る

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「準創造」「ユーカタストロフィ」という概念・文学技法は、筆者的にはクリエイターとしてもっと早く出会いたかったと思えたものだった。ここ数年、この単語にあらわされる感覚をどこまで現代日本人に延長できるのだろうか、どこまで抽象化できそうか、ということはいつも心の片隅にあった。(それを援用したコラムも書いてみた。筆者自身の考えが変わったところもあるが、当時の筆者はとても頑張って書いた。発狂している、あるいは極度の阿呆であるというご意見は甘んじて受け止めたいと思う。)

それが、2024年に発行されたクリエイター向け神話入門の本でこの用語が言及されるとは思っていなかった。(正確には、筆者がそれを読めるとは思っていなかった)。エモい。エモいよ。

ユーカタストロフィ

この英雄が達成するのは、幸福な大団円と訳されることもあるユーカタストロフィである。これは、キリストの贖罪・復活に範型を持つトールキンによる重要な文学技法といえる。トールキンの語るファンタジーの主人公、つまりキリストに匹敵しうる偉業を行う者はまさしく英雄である。キリスト教徒にとって、キリストの贖罪と死は現実に起こった神話的な出来事で、それを物語の中で再現するのがトールキンにとってのユーカタストロフィなのである。
 ユーカタストロフィをもたらす英雄の確立によって、トールキンはこれまでのファンタジーとはまったく違う新たな作品を作りだし、『指輪物語』は現代の商業ファンタジーの典型となったとステープルフォードは論じる。

丸山 顕誠 「神話を読んでわかること」原書房2024,p16

もちろん、現代ファンタジー文学の源流のあたりで神話創造を行ったのはトールキンだけではないとして、トールキンに近い世代のほかの作家たちの紹介もある。以下、メンデルソンのファンタジー分類の紹介を図式にしてみる。

ポータル型没入型侵入型疎外型
扉(ポータル)を通じてファンタジックな世界に入る作品。我々の住む現実世界とは無関係の第二世界で信仰する。語りてや人物が当然視されない世界となる。現実世界にファンタジックな原理が侵入してきて、その侵入に関する解決や打倒が特色とした作品。現実世界で進行し、ファンタジックな経験が恐怖や不協和音なしに信仰する形式の物語。
例)ナルニア国物語『ライオンと魔女と衣装だんす』例)『指輪物語』,十分に構成されたSF例)『ハリー・ポッター』シリーズ,ラヴクラフト作品例)『リトル、ビッグ』『この世の王国』『やし酒飲み』
参考:丸山 顕誠 「神話を読んでわかること」原書房2024,14-15

「神話」と「ファンタジー」の違いを他者に説明する自信がないキリスト教徒は買っていいのでは?

さて。

筆者は、このコラムを読んでくださる層を大きく2種類で想定している。1つめが、特にキリスト教に帰依する必要のないクリエイターの方である可能性と(書籍名などでの検索してくださること)、2つめがキリスト教徒としてのつながりからである可能性とである。

前者の方にとっては、今からしばらく実りのない話をする。もちろん読むのをやめていただいてかまわないが、一応、下のほうにこの書籍で個人的に勉強になったと思えたポイントと、丸山先生が紹介してくださった他の神話入門書の紹介リストを添えておくので、まだもうちょっとここに滞在してくださるのならば、スキップもできますよ、と言い添えておく。

「神話」と「ファンタジー」の違いが整理できると、現代日本人キリスト教徒はストレス減る説を推したい

それでは、今からキリスト教徒の方々に提案する。

全日本語話者系キリスト教徒、この本を買ってくれ。

………。

…と言ってみようかと思ったけれど、過度な物言いをすると疲れるのでやっぱり撤回する。(ここに書かれていることに匹敵する知識を持つキリスト教徒の方々も存じ上げております…)

その代わり、

もし世界の神話に興味がなくても、「神話」と「ファンタジー」の区別を他人に説明できなさそうな自分が想像できるキリスト教徒の方にはおススメしたいなぁ、と思う。

この書籍が神話とファンタジー(文学)の違いの解説から入るのも、それらを混同してしまっている人間が多いことの証左だろう。

※私自身、「神話」という用語も「ファンタジー」という用語も『フィクション』の意味で使われる場面に立ち会ったこともある。

※キリスト教徒でこの用法(↑)をする人も観測したことがある。個人的な人間的感情としてそれは一番『救えねぇ』組み合わせだと思うが、人の目に救えねぇヤツを救うのが私の信じる神であるとも私は思っているので、それってつまり救われるじゃん?と思った時、塵に還るべきは私のほうであったことに気づくのである。しかし、私が黄泉に床を設けても主は共にいてくださると信じる。以下無限ループ。キリエ・エレイソン。

もしかしたら、話の流れで他者に説明する機会があるかもしれないし、そういう機会がなかったとしても、「この人の言ってること、受け入れていいんかな?」みたいな状況での判断材料が増えるからである。

まぁ、つまり、「神話」と「ファンタジー」の違いが自分のなかで整理できると日本語圏におけるキリスト教ライフは快適になるからおススメ、という話である。

この書籍の本題部分はソコの区分の話ではないので、もったいぶらずに軽く紹介させていただくが、神話とファンタジーの違いというのは「それを真理だと信じている人がいるかいないか、それが社会的に位置づけられているかどうか」というのが丸山先生による整理だ。

現代ファンタジー文学は神話や叙事詩の末裔ではあるが、ファンタジー文学は空想の物語として、そして神話は真理を語るもの、つまり聖典として社会に位置づけられているという違いがある。聖典・祭祀・個人的な神体験はそれぞれが支え合いながら一つの共同体の中で神と人との関係を作っていた。

p.30

現代日本においてアブラハム宗教信者の肩身は狭い。「なんでいきなりそんなこと言われなアカンのん?」みたいな体験は洗礼を受けて10年そこそこの筆者ですらまぁまぁあるのだから、もっと長い人はもっとあるだろうし、今までなかった人はこれから遭遇すると思う(⇐嫌な予言でゴメン)。

もちろん、これはクリエイター向け書籍だと思われるのでそのぶん読みやすくはあるが、「もっと噛み応えのある書籍読みたい」という方は,「神話研究の最先端」(笠間書店,2022年)の、丸山顕誠「聖典と神話:現象学的研究」など、もっと深い話が書かれている。

私は半分以上意味わからんかった。難しい…。

みなさまに神さまの祝福がありますように。

個人的な面白ポイント紹介していく

ということで、以下、この書籍の個人的に勉強になった点をいくつかピックアップしていく。これは私の個人的な興味が多く反映されている点の羅列になるので偏りがある。もちろんこの書籍は網羅的な入門書なので、ここに言及しきれないトピックのほうが多いことは断っておく。

①ドラゴンと龍の起源と展開

ギリシア・ローマ→おそらく蛇起源
中国→おそらくワニ起源

という補助線がいただけたのはめちゃめちゃありがたかった。(p.163)

②聖ゲオルギウスの伝説探しとったんや!

「聖ゲオルギウス」についての伝説というのはどうやって調べたらいいのだろうか…と思案していたさなかだったので、『黄金伝説』の要約まで読めたのは非常にありがたい。(p.179~)

キリスト教圏ではイエス・キリスト、聖母マリアの次に有名な聖人であるらしい(高橋輝和『聖人と竜 図説 聖ゲオルギウスの伝説とその起源』八坂書房:201, 9)。概観を知ることができてよかった。続いて深めていきたいと思う。

③沖縄の洪水神話

「世界の洪水神話―海に浮かぶ文明」篠田知和基 (編集), 丸山顕徳 (編集)は読みたい書籍に入っていたが、筆者はつい先日篠田知和基先生の書籍に打ちひしがれたことがあるので足踏みしていた(※)。一度、入門書で触れることができてよかった。

(※)軽い気持ちで『人狼変身譚 西欧の民話と文学から』(大修館書店) 1994を手に取ったら、篠田先生の博覧強記ぶりに戦慄して絶望した。

結びに代えて…

このコラムの筆者は『研究者にとってはノイズでしかない』言説をまき散らす側の人間である(※)

(※)ある宗教研究者からこのように伝えられた経験がある。反省はしてもう少し勉強することとしたが(というか勉強する手段がそれまでなかった環境にいたのが、ありがたいことに色んな条件がそろい、ここ数年は昔の自分には戻りたくないなぁと思えるくらいには変化を感じる)それでもやっぱりノイズをまき散らすことしかできない身の上だと思う。

黙すべきところと、発信してよいところ、それらを見極める知恵と発信してよいときには行う勇気が天から与えられることを祈りながら、とりあえず最近は、トールキンの言う究極のユーカタストロフィの意味を、自分が思っているものとどれくらい同期できるのかを知りたいと思っている。

個人的なメモも含めて、丸山先生が紹介されていた「次なる参考書」を紹介する。私も、この中で読んだことがある書籍は山田氏のものだけなので、順を追って読んでいきたいと思う。

髑髏の丘で磔刑に処された男の声が聴きたくて、こんなところまで来てしまった。