【 SPY×FAMILY 】を観て(読んで)いて、この物語の妙味はどこにあるのだろうか…と考えていました。
そこで思い至ったのが、
「逆説感」
の効き具合じゃないか、という事でした。
SPY×FAMIYは逆説の効いた物語。
逆説はキリスト教のお家芸でもあるってことを覚えて帰ってくだされば本望です。
今日はその話をしていきます。
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目次
前提:オクシモロン(対義結合/撞着語法)とパラドックス(逆説)について
対義結合は、矛盾することばを強引に結びつけて新しい意味を生みだすレトリックです。とくに、反対の意味をもつことばを結びつけるのが典型です。
1 一見、真理にそむいているようにみえて、実は一面の真理を言い表している表現。「急がば回れ」など。パラドックス。
2 ある命題から正しい推論によって導き出されているようにみえながら、結論で矛盾をはらむ命題。逆理。パラドックス。
3 事実に反する結論であるにもかかわらず、それを導く論理的過程のうちに、その結論に反対する論拠を容易に示しがたい論法。ゼノンの逆説が有名。逆理。パラドックス。
オクシモロン(対義結合/撞着語法)とパラドックス(逆説)は厳密にが違うものらしいのですが、「どう違うの?」と疑問が抱かれがちなくらい、似た感じのレトリックです。

細けぇとこたぁいいんだよ、コンテンツを摂取したときに感じる感覚について話していくぜ
……と、まあ、ここではそのくらいの塩梅で話をしていくので、両者の細かい分類などはしません。
また、マンガ・アニメ特有のパラドックス感の表現としては、違う印象の記号を組み合わせた「キャラクターデザイン」によりパラドックス感を出したり、「状況に対して場違いな行為」やあるいは「場面に対して不似合いなBGM」などによりパラドックス感を出したり 、ということもあると認識しています。
ぱっと思いついたのが、「シスター×拳銃」という組み合わせでした。

これは、【SPY×FAMILY】自体に顕著な例があったので追って説明します。あらかじめ言っておくと、「ロイドとヨルのプロポーズシーン」なんかがコレに当たると思っている、という話しをします。
「新世紀エヴァンゲリオン/エヴァンゲリヲン」では、劇中BGMにクラッシック音楽、それも教会音楽として作られたもの使われることがままありますが、その選曲はあくまで『場面との不調和』を醸し出す演出になっていると認識しています。
これはMADですが、すべて劇中で実際に使用されていたクラッシックを組み合わせて作られているので、例に出しました。コメント欄に飛ぶと、多くの方が「その不調和により、制作者にどういう意図があるのか読み取ろうとしている」様子がわかります。
ちょっと調べてみたのですが、文字表現における「オクシモロンやパラドックスをソレだと認識する」ためですら、人間は相当量の情報を処理している…ようです(※)。なので、もしかしたら、次に解説していく【SPY×FAMILY】におけるオクシモロンとパラドックスの認識も、みなさまと筆者と解釈が一致しないかもしれません…。
が、一応、このウェブサイトの記事はすべて複数名に確認してもらってはいるので、そこまで了解不可能なことは話してないと思います。そのへんご了承いだたける方のみご覧ください。
SPY×FAMILYにみえるオクシモロン(対義結合/撞着語法)とパラドックス(逆説)

タイトル「 SPY×FAMILY 」にみるオクシモロン(対義結合/撞着語法)

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不穏、戦争、 「国」というデカい存在に繋がっている立場 etc…なイメージ | 安心、家庭的、最小単位の共同体 etc…なイメージ |
SPY(スパイ) | FAMILY(ファミリー) |
「スパイ」と「家族」という、一見結びつきづらい印象の単語の組み合わせによる物語であるという提示。
「アーニャを知ると世界が平和に…!?」「我が家の危機は、世界の危機」などのモノローグや台詞にみるパラドックス(逆説)

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「個人の嗜好」という ごくごくプライベートな事を知る事が | 大きな出来事を保障する |
アーニャを知る | 世界平和 |
「個人の嗜好」という、ごくごくプライベートな事についてコミュニケーションすることが、転じて世界平和という大きな出来事の保証になりうる、という価値観の提示。
フィクション作品において、描かれているものはすべて大なり小なり創作者の意図や解釈によって切り出されているものである、という前提のもと話しています。

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最小の共同体の問題が | 最大規模の共同体の問題 |
我が家の危機 | 世界の危機 |
「最小の共同体の問題が、最大規模の共同体の問題になりうるという価値観の提示。
なので、「最小の共同体の問題を解決しよう」と思い、〈ロイド/黄昏〉は家族のお出かけを計画します。
ロイドとヨルのプロポーズシーンにみるパラドックス(逆説)


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破壊、暴力、悲しみ etc…なイメージ | 創造的、未来、祝福、 etc…なイメージ |
爆撃 | プロポーズ |
手榴弾(のピン) | 結婚指輪 |
一般的に「破壊/暴力/悲しみ」のイメージを連想させる爆撃を背景に行われる、
一般的に「創造的/未来を連想させる/祝福される出来事」をイメージさせるプロポーズという行為。
テーマソング「ミックスナッツ」にみるパラドックス(逆説)
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特殊な状態、落ち着かない、ネガティブ、複雑 etc… | 日常、落ち着く、ポジティブ、素朴 etc… |
隠し事だらけ つぎはぎだらけの Home you know? かみ砕いてもなくならない 本音が歯にはさまったまま 不安だらけ 成り行きまかせLife and I know 仮初まみれの | 日常 だけど そこに僕がいて 貴方がいる その真実だけで |
↓
胃がもたれていく |
「一見ネガティブで複雑な状態」だけど、それによって調子が狂いつつも「素朴な慰めや喜び」がもたらされる。
「胃がもたれていく」に関しては、表面的にネガティブな言葉ですが、歌詞だけでなくメロディラインなど統合的に考えて、これが「逆説的」であるという解釈は優勢だと感じますので、妥当なものであると判断します。
胃がもたれていくと歌っている歌詞は逆説的で、ロイドの胃がもたれる=本来興味が無かった幸せのテンプレート(結婚)を経験し、調子が狂いながらも受け入れていく展開を思わせます。
スパイファミリーOP・髭男「ミックスナッツ」歌詞意味&オープニング映像考察、配信情報
…といいう具合に、【SPY×FAMILY】はオクシモロンやパラドックスのレトリックがあらゆるところにちりばめられていることから、これがこのコンテンツにおける妙味の1つであると認識します。
補足:マンガよりアニメの方が逆説感が強かったかも…
このコラムのテーマは、
マンガを一通り読む→(寝かせる)→アニメを観る→(寝かせる)→浮かび上がってきた
という工程で書かれたのですが、これを書くにあたって再度マンガを読んでいると、

マンガのほうはアニメよりもパラドックス感が強くなかった…かも…
という気もしました。もしかしかすると、アニメ制作陣が「SPY×FAMILYの味はココ」と思って再解釈をほどこした際にそのへんの演出を強めにしたのかもしれません。
(私が【SPY×FAMILY】 に逆説感が浸透していると感じる理由のひとつが「テーマソング」でもあるワケですし…)
となると、それはそれで

共観福音書とヨハネによる福音書みたいな関係だな…
とも思うので、【 SPY×FAMILY 】原作を取り囲む共同体の認識としては、このコラムの解釈はそれなりに理があるとも思います。
…さて、ではなんでこんなオクシモロンだとか逆説だとかの話をしたかと言う話にうつるのですが、そう、何を隠そう私は逆説が大好物なのです。

そして、キリスト教(聖書)は逆説がお家芸なのです
私が逆説が好きだからキリスト教徒になったのか、キリスト教が逆説を提示しているから私がそれを好きになったのか…など考えてもそれはもはや詮無いことですし、分からなくていい案件でもあります。
ここに僕がいて、あなたがいる。その真実だけで胃がもたれていく。
私が逆説が好きで、キリスト教は逆説が効いた世界観を提示する。その真実だけで胃がもたれていく。
ここからはちょっとだけその話をします。
お家芸レベルで「逆説」感を出す既存キリスト教~私がキリスト教に転んだ理由~

「キリスト教の提示する世界観が逆説で満ちている」というのは、すが、

その解釈はそれなりに浸透した解釈だよ、というのを見てもらいます。
ちょっとTwitterを検索したら色々と出てきたので、ざーっと埋め込んでみます。キリスト教徒じゃない人もキリスト教についてそういう印象で語られている感じなので、
12:7
そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。
12:8
このことについて、わたしは彼を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈った。
12:9
ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。
12:10
だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。
(コリント人への第二の手紙12:7~10)
…こんなかんじでしょうか。同系統とされるユダヤ教やイスラム教のドグマにはその色が少ないのではないかな、という雑な印象はあります。
(といってもまったく門外漢の戯言なので、気になる方は各自で調べてください…)
「ロイドとヨルのプロポーズシーン」が好きな人はキリスト教にまつわる思索も楽しめるかも…?
…と、いう事で、逆説好き人間による【SPY×FAMILY】の旨味成分解説でした

筆者と同じようなポイントで【SPY×FAMILY】を味わっている方は、キリスト教にまつわる思索は意外と楽しめるかもしれません。
まあ、日本ではキリスト教なんて人口の1パーセントにも満たない弱小塵ジャンルですし、2022年7月8日(金)に起こった安倍晋三元内閣総理大臣暗殺事件とそれにまつわる報道により「宗教」というシロモノへの忌避感を強く持つ方も多くいらっしゃると思いますし、

(そもそも【SPY×FAMILY】で足りてるし…)
という方のほうが多いでしょうので、まあ提案まで。
また、仏教でいうと『浄土真宗』なんかは構造的には似てるとか似てないとかの噂なので(逆説による慰め/救済という世界観の提示は確実に「ある」宗派だと認識します)、そっちの門戸をたたく方が日本としては自然かもしれません。
それで満足できなかったらキリスト教の世界観を覗いてみることも選択肢に入れやってください。みなさまの想像力が豊かに祝福されますように。
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喜劇は喜びにあふれた社会の再現で終わる。
喜劇は社会の前提を超えることはないのだ。
すでに述べたように、信念とは本質的には社会への一種の帰属感である。
換言すれば、信念が一義的に志向するのは社会であり、
キリスト教神話がロマンスというより喜劇であるのはこの理由による。
(ノースロップ・フライ「世俗の聖典 ロマンスの構造」p.193)
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▽そのほか、「逆説」とキリスト教にまつわるコンテンツ


