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ヘブライ語聖書は死について起源を語っていない?「死の神話学」収録、岩嵜大悟による原初史の読みを補助線に

あおい
あおい

創世記って「死」がどうやってできたかって言及してなくない?

…という疑問を以前からうっすら抱いていたのですが、ちょっと進展したのでその報告コラムです。

↑こちらの書籍に↓

ヘブライ語聖書ではたしかに死は人間にとって悲しいものであるが、一方で人間は当然死ぬべき存在であると考えているといえるだろう。

岩嵜大悟「聖書は死の起源についての神話を語るのか?――ヘブライ語聖書「原初史」を中心にして」p.100,晶文社,2024年

として、ヘブライ語聖書では「死の起源」については厳密には語られず、それが『当然あった』こととして記述されていることが述べられてました。

ヘブライ語聖書を通して、人間の死を人間が悲しむ箇所は多く見られる(たとえば、創世記23・2、37・34。50ほか)が、ヘブライ語聖書の物語において神ヤハウェが個人の死を嘆き悲しむ描写は見られにあ。また、天寿を全うし、手厚い葬りをされることは祝福の結果だと考えられた。
 また、ヘブライ語聖書で、超自然的に死を免れた人物は「神と共に歩み、神が取ったので、いなくなった」と語られるエノク(創世記5・24)と「嵐のなかで天に上げられた」と語られるエリヤのみであり、極めて特異な例だといえる。

岩嵜大悟「聖書は死の起源についての神話を語るのか?――ヘブライ語聖書「原初史」を中心にして」p.76,晶文社,2024年
いわゆる「創世記」を今一度確かめてみたい方は

紹介した書籍には岩嵜先生による創世記(原初史)の訳文が掲載されており、これまでの聖書学における経緯なども触れ得られておりますので、詳細知りたい方は書籍をお当たりください。

「神話」を『フィクション』の意味で理解される方はこのコラムを読む意味はないと思いますので、ブラウザバックしてくださればと思います。

キリスト教の聖書解釈を紹介(カトリック・プロテスタント)

「死の起源」がないって何言ってんの?『禁止されてた善悪の知識の木の実を食べたら原罪が入り込んだから、人が死ぬさだめが決まった』って解説、教会界隈とかでよく聞くけど?

…という声がどこからともなく寄せられてきそうなので補足です。確かに、少なくとも西方教会(カトリック・プロテスタント)の流れにおいては、その解釈は伝統的なもののようです。(東方教会についてはマジで何も知らないのでここでは言及しないこととします。御免)以下、それらの教理説明書や辞書から関連しそうな箇所を引用します。

カトリック「カテキズム」より

397 悪魔に誘惑されった人間は創造主への信頼を心の中で失い272)、自由意志を濫用して神のおきてに背きました。これが、人間の最初の罪です273)。その後のすべての罪は神への不従順、神のいつくしみへの信頼の欠如なのです。
398 この罪で、人間は自分自身を神に優先させ、まさにそのことによって、神を軽んじました。すなわち、人間は神に逆らい、被造物として要求されることに逆らい、したがって、自分自身の善に反して、自我を優先させたのです。
(略)
400 原初の義のおかげで維持されていた調和は破れ、肉体に対する霊魂の制御力は弱められました。男と女の緊密な交わりには摩擦が生じ、両者の関係は欲望と支配に左右されます。被造界との調和も断ち切られ、見える被造界は腐敗に隷属するようになります。ついに、不従順の場合はこうなると明白に告げられた結末、すなわち、人間はそこから取られたちりに返るということが、現実のものとなります。つまり、死が人類の歴史の中に入ります。

カテキズムp。116

※太字部分もカテキズムママ。

プロテスタント「新聖書辞典」より

しかし、旧約聖書において注意すべきことは、死がもともとあった自然なものであるというよりも、死は宣告されたものであるということである。それは、人類の始祖が罪を犯したためである。(創世記2:17,3:19).旧約聖書は死と生に関連する人間の本質を創2-3章で述べている.人間は神のかたちに創造され(1:27),神との交わりのうちに完全ないのちが与えられていた.しかし人間は,善悪を知る木の実を食べてはならないという戒めを破ることによって,不従順と自己に頼るという傲慢の罪を犯した.この現在が人間に死をもたらしたのである.人間が死ななければならないということは,罪に対する神の罰である(創世記2:17,3:19)

いのちのことば社,新聖書辞典1985年版「死」項目1.旧客聖書における「死」より

やはり、カトリックもプロテスタントも、創世記のこのあたりを「人類における死の起源」と解釈しているもようです。

※オーソドックスから資料を引いてない理由は、筆者の知識不足・資料力不足によるものであって、大きな意図はありません。

※一応お断りしておきますが、私自身は歴史の中で「解釈」されてきた聖書や神、イエス像、聖霊観などが大事だと思うタイプのキリスト教徒ではありますので、『ヘブライ語聖書から読み取れないから私たちの接するキリスト教が間違っている』といった考えは退けます。私自身、数年前であればこの話を知るとそれによって信念が揺るがされたような気持ちになったかもしれませんが、今は、この豊富な解釈の幅こそが、今日の私たちが福音にあずかれる理由の一つであり、慰めの根拠になると認識しています。

ということで、このコラムは素人が書いているインターネットに浮かぶ無数の塵のひとつなので、もう少し「死の起源神話」なるもにについてたとえを挙げてみたいと思います。

「死の起源神話」理解の補助になりそうな「起源神話/起源説話/由来譚」例4つ

ミャオ族の「死の起源神話」

せっかくなので、同じ書籍に収録されている斧原孝守氏の「雲南少数民族の死の起源神――月蝕・脱皮・葬礼」から、ミャオ族の神話を紹介してみます。

※ミャオ族やイ族は、一部の村が近代にキリスト教に集団改宗しているという共同体でもあるので、神話や伝承を持っているのか個人的にとても興味がありましたので、せっかくなので今回同じ書籍に収録されていましたミャオ族の死の起源神話から例をひいてみることとした。

むかし人間は死ななかった。

このため老人が多くなり、その世話が大変であった。

そこで人々は犬を天宮に派遣し、天神に相談することにした。天神は老人が皮を脱いで若返るようにしようといい、それから人間はみな脱皮して若返ることとなった。

 あるとき一人の老婆が皮を脱ごうとしたが大変痛いので、「死んだ方がましだ」と叫んだ。

これを聞いた天神は犬を下界に派遣し、「若者は死なず、老人だけが死ぬことにしよう」と人間に伝えさせた。

 ところが下界に下りた犬は、糞虫(フンコロガシ)の踊るのを見ていて天神の言葉を忘れ、「人はみな病死する」と伝えた。このため人は死ぬようになった。[16]

(※改行は筆者による)

[16]…陳建憲[選編]『人神共舞』(湖北人民出版社,1994年)254-256頁。

斧原孝守「雲南少数民族の死の起源神話――月蝕・脱皮・葬礼」p. 116

そう「起源説話/由来譚」ってこんな感じじゃないですか?(伝われ)

次は、「死の起源」ではないけれど『由来譚ってこんな感じよな…』と思った例を、お隣の韓国の民話から紹介してみます。

稲のもみがら由来譚(韓国)植物由来譚とかも紹介してみます。

昔は稲に籾殻はなく、米がそのまま実っていたからすぐに炊いて食べることができた。

しかし、あるとき、とある男性の妾になっていた女性が、自分の主人の気をひこうとして、米をついて真っ白くしてごはんを炊いた。それを見た天の神が「つく必要のないものをこんなむやみにつくのなら、その仕事をさせてやろう」と言って、米に籾殻をつけさせ、それから稲は籾殻つきで実るようになった。

(三弥井書店「世界の花と草木の民話」平成18年よりあらすじ)

お次は、同じく植物の由来譚から、がっちりキリスト教モチーフで語られているものを紹介してみます。

「アスター」由来譚

子どもだったイエスが、ナザレですごしていたころ。イエスには、天から遣わされた一人の天使がついていた。その天使をイエスと遊んだり、天にいる父のことをイエスに教える役割を持っていた。

 そして、のちに「洗礼者ヨハネ」と呼ばれる小さなヨハネスも、たびたびイエスを訪ねてきては遊んでいた。
イエスは、天使から教えてもらったことをよくヨハネスにも伝えていた。

ある日、イエスはヨハネスに、きらきら光る花の種をプレゼントした。なんでも、天で光り輝いている花だというのだ。
 ヨハネスは自分の小さな庭にその種を上て、「自分は星をひとつ庭にまいた」としあわせそうに他の子どもにも話した。

秋になると、その場所に星のような花をつけた綺麗な植物が生えた。子どもたちはその花を「星の花(アスタ)」と呼び、今でもその名前で呼ばれている。

(三弥井書店「世界の花と草木の民話」平成18年よりあらすじ)

↓アスター

日本神話の「死の起源」

最後に、日本神話の「死の起源」についても紹介してみます。

さてそこで、イザナキ命が言うには、「愛しい妻の命を、たった一人の子に代えようとは思わなかった」と言って、枕もとに這い臥し、足元に這い臥して泣き悲しんだ時に、その涙から生まれた神は、香山の麓の木の本(このもと)に鎮座している、名は泣沢女(ナキサワメ)神です。
そして、亡くなったイザナミ神は、出雲国と伯伎国(ははきのくに)の境の比婆の山(ひばのやま)に葬られました。

そこでイザナキ命は、腰につけていた十拳剣(とつかのつるぎ)を抜いて、その子カグツチ神の首を斬りました。
すると、その剣先についた血が、神聖な岩々に飛び散って生まれた神の名は、石拆(イハサク)の神、次に根拆(ネサク)の神、次に石筒の男(イハツツノヲ)の神です。

(中略)

イザナギの命は亡くなってしまったイザナミの命に会いたいと思い、あとを追って黄泉国(よみのくに)を訪れました。

そこで女神が御殿の閉じた戸から出て迎えた時、イザナキ命が語って言うには、
「愛する我が妻よ、私とあなたとで作った国は、まだ作り終えていませんよ。だから還ってらっしゃい」と言ったのです。
しかしそこでイザナミ命が答えて言うには、

「残念なことです。もっと早く来てくださっていれば・・・。私はすでに黄泉の国の食べ物を食べてしまいました。でも、あたたがわざわざおいで下さったのだから、なんとかして還ろうと思いますので黄泉の神と相談してみましょう。その間は私の姿を見ないでくださいね」と言いました。

そう言って御殿の中に戻って行きましたが、なかなか出てきません。

イザナギの命は大変待ち遠しく待ちきれなくなってしまったので、左のみづらに刺してある清らかな櫛の太い歯を一本折り取り、それに一つ火を灯して入って見てみると、愛しい妻には蛆がたかって「ころろ」と鳴り、頭には大雷が居り、胸には火雷が居り、腹には黒雷が居り、陰部には析雷が居り、左手には若雷が居り、右手には土雷が居り、左足には鳴雷が居り、右足には伏雷が居り、合わせて八種の雷神が成り出でていたのです。

そこでイザナキ命がこれを見て畏れて逃げ帰ろうとすると、イザナミ命が、「よくも私に恥をかかせたな!」と言うと、すぐに黄泉の国の魔女である黄泉津醜女(よもつしこめ)を遣わして追いかけさせました。
そこでイザナキ命は、髪に付けていた黒いかづらの輪を取って投げ捨てると、そこから山葡萄の実が生りました。これを追手が拾って食べている間に、逃げ延びました。
しかし、また追いかけてきたので、今度は右のみづらに刺してある清らかな櫛の歯を折り取って投げ捨てると、そこから筍(たけのこ)が生えました。これを追手が抜いて食べている間に、逃げ延びた。

そして次には、女神の体中に生じていた八種の雷神に千五百の黄泉の軍勢が追いかけてきた。そこで身につけていた十拳剣(とつかのつるぎ)を抜いて、後手に振り払いながら逃げました。
なお追いかけてきて、黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂の下にやってきた時、その坂の下に生っていた桃の実を三つ取って投げつけると、追手はことごとく逃げ帰ったのです。
そこでイザナキ命が、その桃の実に言うには、
「お前が私を助けたように、葦原中国(あしはらなかつくに)の人々が苦しい目に会って悩んでいる時に助けなさい」と言い、名を与えて、意富加牟豆実(オホカムヅミ)の命と名付けました。

最後にその妹のイザナミ命自らが追いかけてきたので大きな千引の石(ちびきのいわ)をその黄泉比良坂に塞ぎおました。そしてその石を挟んで二神が向き合って立ち、離別の時、イザナミ命が言うには、
「愛しい私の夫がそのようなことをするのならば、あなたの国の人々を、一日に千人絞め殺しましょう」と言いました。
そこでイザナキ命が言うには、「愛しい私の妻がそのようなことをするのならば、私は一日に千五百の産屋を建ててみせるぞ」とおっしゃいました。

このようなわけで、一日に必ず千人が死に、一日に必ず千五百人が生まれるのです。

こうしてイザナミ命を名付けて、黄泉津(ヨモツ)大神と言います。

引用元:https://www.kakunodate-shinmeisha.jp/kojiki.html

▽この解釈の例。上田賢治を召喚

上田 賢治(うえだ けんじ、1927-2003年)は、日本の神道学者。國學院大學名誉教授。宗教心理学・神道神学専攻。

それでは、「死」の起源について、(日本)神話はどのように発想しているのであろうか。これについて「(古事)記」の伝える女神の呪言はすでに引用した(※)本文の展開は。これに対して男神が

 我が那邇妹命、何時然為給わば、吾は一日に千五百産屋を立てん

と応じた言葉を伝え、「是を以って一日必ず千人死に、一日必ず千五百人生まるゝ也」と結んでいる。即ち、人間界における人の誕生と死とは、共に国産みの祖神・岐美二神(イザナミ・イザナギのこと)の神事に発しているというのが、その信仰的理解であるり、古代人の生の決断だったといいえよう。

上田賢治「日本神話に見る生と死」東洋学術研究 27 (2), pp.50-51, 1988-08

生は神から与えられたものであり、死もまた本質的にはこの世で生命をともにしえなかった神の呪いによるものであるが、その現実的な長短は、人の人生に対する想いによって神の手から離れた結果であった。

上田賢治「日本神話に見る生と死」東洋学術研究 27 (2), pp., 1988-08

神道では、いわゆる大往生を殊更讃美し、或いは願う心はない、としなければならない。死はたとえそれがどのような姿で訪れようと、神道的には、畏きもの以外の何ものでもないといって間違いないように思われる。死にゆく者の苦しみを和らげ、送るものたちの為に計ろうという、死を周る関係者相互の心遣りは、当然、人間の営みとして考慮されなければならないが、それらの問題は、死そのものに対する姿勢とは別箇な問題次元、或いは視点・角度からの課題として、考えるべきであろう。

上田賢治「日本神話に見る生と死」東洋学術研究 27 (2), pp.54, 1988-08

…ということで、これらのことから比べてみると、「創世記(ここでは『原初史』)」の記述は『死の起源に触れてるわけではない』という話も…なんとなくわかってきそうな気がしませんでしょうか。

むすびに代えて

どの神話がどう語っていようが、ほとんどの現代日本人にとって「死」というものは、イザナミの呪いによってもたらされたものでもないでしょうし(記紀に想いを寄せる人でもそのようには考えていないだろうし)

当然ミャオ族の神話にみられるような経緯でできたものだとも思わないでしょうので、

むしろ『これらの話を知って、己はここから何を考えればいいのか?』と自分自身にも問いかけることとなりましたので、そのあたりをちょっとだけ書いてこのコラムを閉じます。

個人的には、「人間が労働する理由の起源」については、聖書をはじめとした世界の神話・由来譚が、とても慰めになっています。

これは、神話を『昔の人間が編み出した戯言』ととらえることが誠実だと思っていた時代には持てなかった感覚なので、神話そのものが人生を支えるということはめちゃくちゃ実感があります。

しかし、「死の起源」については、まだ何も説明を求めていない自分である、ような気がします。

もしかしたら、「死」は、まだ自分が大切だと思える人を亡くした経験がないので、まだ必要としていないと思っているのかもしれません。

現在私はキリスト教徒で、それも保守的なキリスト教徒を自認しているので、この先誰か大切な人が死んだとき私を慰めになるのが、キリスト教の提示する世界観になるだろうなとは思っています。

それが、伝統的な西方教会の流れが提示してきたものになるのか、それとも、それを踏まえて刷新された「日本語キリスト教」的な新しさを含んだものになるのか、それはまだわかりません。

そこに、この『聖書は死の起源を語っていないのではないか』という聖書解釈の営みが、どのように影響してくるかも未知数です。

しかし、どのような未来にあっても、私の神――父なる・子なる・聖霊なる神――は、私の光であるだろうな、と思う自分がいます。

髑髏の丘で磔刑に処された男の声を求めて世界を彷徨う私の旅は、まだ続きそうです。