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【元祖なろう系?】追放系ざまぁの起源としての聖書エピソード紹介

たくみ
たくみ

(たぶん)世界最古で(たぶん)一番有名な「追放系ざまぁ」構造を持つ、聖書の『エジプトに売られたヨセフ』のストーリーを紹介していくよ。

▼ちなみに「追放系ざまぁ」とは…

何事においても流行り廃りってあるけれども、昨今のなろうでのブームの一つに「追放系ざまぁ」ってあるよね。

一応説明しておくと。特定のグループから主人公が追い出される「追放系」と、かつて見下したり虐めてきた相手を見返す、もしくは復讐する「ざまぁ」の合わせ技やね。

 どちらか一つの要素だけでもストーリーを成立させられるだろうに掛け合わせるということ……ジョグレス進化ですね! 弱いはずがない!!

(引用:「追放系ざまぁについての所感」雑魚王)
あおい
あおい

後半では、「見方によっては聖書そのものが『追放系ざまぁ』構造をしているかもしれない」ハナシもしていきます。

聖書に見る「追放ざまぁ」系

…と、なんだか聖書に詳しそうな方々が、「タナッハに描かれるユダヤ民族の様子そのものが追放系では?」と口々に言っている様子が散見されますね。

確かにそうかもしれませんが、現状のユダヤ民族を見ると「ざまぁ」しているとは言い難いので、ここではその辺は深堀りせずに、聖書中で一番古い「追放系ざまぁ」な1エピソードを紹介してみたいと思います。

ユダヤ民族のなんやかんやついて詳しく知りたい方は、こちらでおススメ入門書を紹介しておりますので、ご参考までに。

イシュヴァールはユダヤ民族が元ネタ?まぁ「わかるユダヤ学」手島勲矢著 でも読むのはどうや【鋼の錬金術師】

聖書における「追放系ざまぁ」一番わかりやすいエピソード…エジプトに売られたヨセフ物語

画像
https://twitter.com/14iw4444/status/1352264764043395074

ヨセフのエピソードは「創世記」37-50 で語られています。

ヤコブの子ヨセフの特徴

【長所と功績】
・奴隷からエジプトの支配者へと権力の位を上った
・一個人としては誠実な人として知られていた
・霊的な感性を備えた人だった
【短所と過ち】
・若輩のころの高慢が兄たちとの摩擦を生んだ
【基本データ】
場所…カナン、エジプト
職業、身分…羊飼い、奴隷、囚人、支配者。
親族…両親:ヤコブとラケル。11人の兄弟と一人の姉妹がいた。妻:アセナテ。息子:マナセとエフライム。

「そもそも『創世記』がわからん…」という方はこちらをどうぞ

5:36~がヨセフのストーリーの解説ですが、全部見ても8分くらいの動画でアニメーションのクオリティも高いのでよければ全部ご覧ください。「創世記そのものがどういう事が書かれているのか」という概観がつかめます。

日本神話の「追放系」

調べていると、「追放系ざまぁ」の文脈に「古事記」の天照大御神(アマテラスオオミカミ)や須佐之男命(スサノオノミコト)あたりも並べて考えているような方もいらっしゃる感じでしたが、

このへんは構造で物語を読み解くのが好きな私としてはもうちょっと真面目に取り組みたいかもしれません。

物語から受ける印象としては、やっぱりエジプトに売られたヨセフのエピソードのほうがシンクロ率は高い…気はします。

追放系ざまぁ構造、「聖書全体に同期している」説

これらの物語は「イエス・キリスト」の予型として読む事ができる…つまり…

あおい
あおい

聖書は、「小さな物語が聖書全体の物語に組み込まれてる」と読むキリスト教徒が多いんだけど…このヨセフの物語はとくに『後にやってくるイエス・キリストの予型として表現されている』と考える解釈があって(たぶん人気)

たくみ
たくみ

つまり…キリスト教徒にとっては旧約・新約聖書は「イエス・キリスト」を指示してるっていうから、イエスと同期しているヨセフの物語は聖書全体にも同期してるって言いたい感じ?

こちらの動画 ↑でも言及されていますが、聖書は「下降と上昇の小さなストーリーが大きなストーリーに連動している」と読むことができる構造を有しています。

旧約新約聖書の言う「大きなストーリー」とは、キリスト教徒的にものすごく端折って書くならヨハネ3:16に集約されると福音派ではよく言われているのですが、

聖書

神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信じる人がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

(ヨハネによる福音書3章16節/口語訳)

その「ひとり子/御子」であるイエスと、ヤコブの子ヨセフの物語はとくに緊密に連動しているという読み方があります。

▼ヨセフとイエスの共通点

(※)ヨセフ…創世記のヨセフ

ヨセフ類似点イエス
37:3父から深く愛されたマタイ3:17
37:2父の羊の羊飼いヨハネ10:11、27
37:13,14父により兄弟たちのもとに送られたへブル2:11
37:4兄弟たちに憎まれたヨハネ7:5
37:20他者も彼を傷つけようと計画したヨハネ11:53
39:7誘惑されたマタイ4;1
37:25エジプトに連れていかれたマタイ2:14、15
37:23上着をとられたヨハネ19:23
37:28奴隷の値で売られたマタイ26:15
39:20鎖につながれたマタイ27:2
39:16-18偽りの告発をされたマタイ26:59、60
40:2,3他の投獄者二人とともに置かれ、一人は救われ、もう一人は失われたルカ23:32
41:46共に社会的に認められ始めたのは30歳のときだったルカ3:23
41:41苦しみの後に高められたピりピ2:9-11
45:1-15自分を苦しめた者たちを赦したルカ23:34
45:7自分の民を救ったマタイ1:21
50:20人々が彼を傷つけるために行ったことを神はよいことに変えたⅠコリント2:7、8
(参考「BibleNavi適用付き」p.89)

多くの神々や英雄たちの誕生と同様に、イエスの誕生は殺害の脅迫のもとでの誕生である。ヘロデはベツレヘムの幼子の殺戮を命じるが、難をのがれたのはイエスだけである。モーセも同様に、ユダヤの子を殺害しようとする試みから逃れる。彼らはのちに、エジプト人の初生児の虐殺者から逃げることになる。幼子イエスはヨセフとマリアによってエジプトに連れて行かれる。彼のそこからの帰還は、「マタイによる福音書」(2:15)によれば、「ホセア書」(11:1)の「エジプトから彼を呼び出し、わが子とした」という預言を成就する。イスラエルのことを指しているのはきわめて歴然としている。マリアとヨセフという名あは、モーセの妹ミリアムと、イスラエルの一族をエジプトへ導いたヨセフを思い起こさせる。コーランの三番目の「スラ」[章]はミリアムとマリアを同一の人物として扱っているように思われる。キリスト教徒のコーラン注釈者は、当然のことながら、このような事は滑稽であると言っているが、この場合、コーランが基づいている純粋に予表的視点に立てば、この同一視には十分に意味がある。

(ノースロップ・フライ著「大いなる体系」p.247~248)

ユダヤ教とキリスト教がともに歴史的に主たる関心を抱いていたことは、悪魔学ではなく、未来における大逆転(culbute générale)への期待である。正しい信仰を持っている、あるいは正しい心構えでいる自分たちが、今大きな力を持っている敵が無力になることによりトップに立つ時の、いわば再認の場面のことである。この逆転のもっとも単純なものは「エステル記」にある。モルデカイを吊るすために作った絞首台でハマンが絞められる。そして彼の一派が皆殺しに合う。しかし、このきわめて非妥協的な書でさえも、世俗権力と衝突するよりは妥協しようとするユダヤ教の一般的傾向を反映している。ペルシャの王は「ダニエル書」の中のネブカドネザルやダリウスのように、彼の王国をそのまま所有している。すでに見たように、パウロは世俗権力への恭順を奨励した。しかし、全世界が正しい信仰で結ばれるまで何事もうまくいかないという全般的な感情は、キリスト教にもイスラム教にも、そして今日のマルクス主義にも残っている。

(大いなる体系pp.164-165)