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【更新】名探偵コナン祭り開催中(6/13更新)

赤井秀一/諸伏景光ファンに捧ぐ~「緋色(ヒイロ)」の元々ネタ『雅歌』はR30指定聖書ポエム~同人誌をアツくする聖書入門~

我らが【名探偵コナン】の主人公〈工藤新一/江戸川コナン〉が愛してやまないシャーロック・ホームズ物語の「緋色の研究(緋色の習作/緋のエチュード/Study in scarlet)」について調べていたらこんな一文に出会った。

原題「Study in Scarlet」は旧約聖書雅歌4:3「あなたの口は紅い糸のよう」から。
 聖書からタイトルを取るというのはその発想はあったぽいが、「STUDY IN なんとか」という形式はそれまでなかったらしい。なお邦訳に当たりこの「STUDY」は「研究より習作では」説があり、河出書房版とかではそう(『緋色の習作』)なっている。また元来の訳は、誤訳でもないし親しまれているという点から21世紀になった後発行のやつで「緋色の研究」のままというのもある(新潮社版、光文社版など)

(引用:緋色の研究 ピクシブ百科事典 2022/6/3 22:00時点

そして5秒後にはこのコラムを立ち上げていた。我らが【名探偵コナン】の話の中にも「緋色シリーズ」と銘打たれている物語群があるが、それは〈赤井秀一〉にまつわる物語である。

イラスト:LampMate

「緋色シリーズ」のタイトルはいくつかのオマージュが重なっていることは気づいていたが、そのうちのひとつであろう「シャーロック・ホームズ」シリーズの「緋色の研究」というタイトルが雅歌(旧約聖書)由来だなんて…しかも雅歌と言えば聖書のなかで『詩の中の詩(Song of Songs)』と呼ばれる、いわば最上級ポエム。そのアダルトさゆえに、古い正統派ユダヤ教の伝統では30歳にならないと読めなかったとか。『キリスト教は禁欲宗教ジャナイヨ』と主張したいキリスト教の後ろ盾になる書簡のひとつである。

アダルト→雅歌←ポエム
アダルト→赤井秀一←ポエム
雅歌―アダルト・ポエムー赤井秀一

点と点が線になった。

真実はいつもひとつ。

もうこうなったら赤井さんに雅歌由来の文句でポエ散らかしてほしい。

さて、こんなニッチなコラムにたどり着いてくださった貴殿には、拙いながらこの件についての詳細を捧げたいと思う。公式延長線カップルでも非公式カップリングでも夢小説でもなんでもいい、好きに煮込んで(※)同人誌をアツくして頂きたい。

(※)…ふつうに「料理してほしい」という表現でもよかったが、「赤井秀一は煮込み料理が好き」と青山剛昌先生が答えてらしたようなのでこのような表現をとった。

ちなみに「緋色の研究(緋色の習作/緋のエチュード/Studu in scarlet)」は〈ヒイロ・ユイ〉の名前元ネタでもあるらしい。ヒイロ・ユイは【名探偵コナン】で言うと〈諸伏景光(もろふしひろみつ)〉のオマージュ元のひとつともされている。

イラスト:LampMate

ということで、ぜひヒロにも同じく『雅歌』と絡んでほしいのだが、やはり「アダルト」という属性には赤井秀一に分があるような気がしたため、このコラムは赤井秀一を強くフューチャーした記事に仕立てた。とはいえ、どのように料理するかはあなたのイマジネーションにお任せしたく思う。あなたの想像力の仕事に、豊かな主の祝福がありますように。

『雅歌』とは―「あなたのキスで殺して(意訳)」みたいな恋愛詩

雅歌』(がか、ヘブライ語: שיר השירים‎ Šīr-hašŠīrīm シール・ハッ=シーリーム、独: Hohes Lied、英: Song of Songs あるいは the Song of Solomon)はヘブライ聖書の中の一編。男女の恋の歌であり、ユダヤ教では「諸書」のうちに入る。キリスト教では伝統的に預言書の前に置かれる。恋愛と男女の賛美を歌い上げる詩であるため、扱いをめぐって古くから議論が絶えなかったが、さまざまな経緯を経て正典におさめられた。キリスト教の置換神学においては比喩的に解釈して「キリストと教会の関係」を歌う歌であるという解釈がされてきた。ある意味、異色の作品である。1:1に「ソロモンの雅歌」として、ソロモン王の作であるとされる。内容は花嫁と花婿の詩、娘たちの合唱などが組み合わされている。

(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)「雅歌」項より』

「雅歌は聖書の中でもきわめてユニークな書です。8章にわたる愛のうたから成り立っていて、導入と結論があるほかは構成らしい構成はありません。というのも、これは詩集だからです。細かく分析するのではなく、全体を通して読み、ただ味わうためのものです。」

(聖書プロジェクト BibleProject – Japanese「雅歌 Song of Songs【概観】」冒頭より)

聖書の翻訳ですから、丁寧に、上品に書いています。ある女性の告白です。もの凄く簡単に意訳しますと、「一番好きなお酒や香水の匂いよりもあなたが好き、抱いて!」となりますね。非常にシンプルな話。

ある女がある男への愛を歌っている、これがソロモンの雅歌の特徴です。しかし、キリスト教会は千数百年ほど、この書物の解釈で議論してきました。学者によって登場人物の数が変わるので、解釈が難しいのです。

 聖書は、神からのラブレターであると言われます。だから、ソロモンの雅歌も、キリストから教会への愛の歌だ、と伝統的に考えられてきました。しかし、歌い手は、明らかに女性です。一方イエス・キリストは、ほぼ間違いなく筋肉ムキムキのゴリラのようなガチムチ大工おっさんだったと言われています。ちょっと違和感が残ります。

 最近の研究では、むしろ単純に男女の歌ではないか、と言われています。宗教的な意味を読み込むのではなく、古代エジプトを背景にした、婚約した男女の関係が歌われている。それが聖書に残ったのだ、という説。または、ドラマの台本や脚本だという説もあります。

 どんな説でも共通するのは、このソロモンの雅歌が、とにかく熱烈な愛だ、という点です。「あの方が私に口づけしてくださったらよいのに」、少なくとも結婚を考えるような関係でなくては、こんな恥ずかしい文章をわざわざ文字には残さない。完全に黒歴史です。ツイッターならアカウントを捨てるレベルです。

ある女がある男への愛を歌っている、これがソロモンの雅歌の特徴です。しかし、キリスト教会は千数百年ほど、この書物の解釈で議論してきました。学者によって登場人物の数が変わるので、解釈が難しいのです。

(中略)

ところで、重大なことを言い忘れておりました。実は、このソロモンの雅歌のことば、「あの方が私に口づけをしてくださったらよいのに」というのは、あまり良い翻訳ではないんです。
より適切に、赤裸々に訳しましょう。

「あなたの口付けで息もつけないようにしてください!」意訳しましょう。
「あなたのキスで殺して!」 えらい生々しいですね…。

冒頭、ハリウッド映画の話をいたしました。映画の終わりは、いつも愛する二人が熱いキスを交わして、ハッピーエンドです。実際には、映画の終わりこそ、二人の始まりですね。

(引用:「Kiss me, kill me.」 波勢邦生 Note

 

シャーロック・ホームズ「緋色の研究(緋色の習作/緋のエチュード)」が雅歌由来説の信憑性…諸説アリだった

そもそも、アーサー・コナン・ドイル「緋色の研究(緋色の習作/緋のエチュード)」タイトル「緋色」の部分が雅歌由来という説については、もう少しきちんと少し調べてみたい。 ちょっと深めにリサーチしてみたところ、あまり強力な説とは言えなさそうだ…。

いずれも聖書が培ってきた文化との関連は無視できなさそうだが、とりわけ『雅歌』に限定して語っていい話ではなさそうだ。とはいえ、このコラムの論旨はもともと個人的な欲求に従っているシロモノなので、源流がどうあれ影響はないと考えるため公開は続ける。

むしろ、「緋色の研究(緋色の習作/緋のエチュード)」では、ややもネガティブな文脈に収斂されそうな「緋色」というイメージカラーを「かっこいいモノ」というイメージに塗りなおしている意味では、上記コラムで挙げたどの「緋色」説よりも『雅歌』が一番〈赤井秀一フューチャーの物語〉という意味での「緋色シリーズ」には合うのではないだろうか…?

雅歌のここがやばい(明言は避ける)

ネットで読める『雅歌』イロイロ

雅歌(口語訳/著作権フリー)★引用におススメ

雅歌(文語訳/著作権フリー)

雅歌(新共同訳/引用する場合約束事★読むのにおススメ

→雅歌(新改訳2017/比較的新しい翻訳なのでブラウザでは全文はよめません。無料アプリ『聴くドラマ聖書』をダウンロードすれば読めます。/引用する場合はコチラ

『新共同訳』が小見出しがついていて「いまコレ誰が諳んじてる(と解釈されて)るん?」というのが把握しやすいです(諸説あるうちのひとつが採用されているという事でもありますが)

注意

ここより下の項目は、〈赤井秀一/諸星大/ライ〉〈諸伏景光/スコッチ〉〈安室透/降谷零/バーボン〉というキャラクターにまつわる二次創作文化を大いに反映した言説で構成しています。二次創作文化とは得てして、「原作の設定をどこまで拡大解釈できるか、という挑戦の記録そのものである」…と筆者は思います。筆者自身は原作設定延長線上の無理ない解釈を好みますが、【名探偵コナン】というコンテンツを愛する者として、〈赤井秀一/諸星大/ライ〉〈諸伏景光/スコッチ〉〈安室透/降谷零/バーボン〉というキャラクターのファンコンテンツにどのようなものがあるのか、ということも一応は存じており、それらを愛する方々の気持ちを自分なりに降霊して以下のコラムを仕上げました。興味のない方、嫌悪感を感じられる何かを察知した方は、ブラウザバックしていただくか、許すならば【名探偵コナン】にまつわる他コラムなどご笑覧いただけますと幸いです。また、これはあくまで筆者の感性によるピックアップです。ぜひ本文を読んでいただいて、あなた自身の感性で煮込んでくださることを願います。

該当聖書箇所

どうか、あなたの口の口づけをもって、わたしに口づけしてください。あなたの愛はぶどう酒にまさり、

あなたのにおい油はかんばしく、あなたの名は注がれたにおい油のようです。それゆえ、おとめたちはあなたを愛するのです。

(雅歌1章2~3節)

いきなりちょっと無理のある感じになってしまったが、思いついたので載せておく。しょっぱなから「ぶどう酒より好き」という告白文句、それぞれ「果実酒ではないお酒のコードネーム」を持つキャラクターたちとしては、なかなか煮込み甲斐が…ないだろうか。

【参考】→ウイスキー、バーボン、スコッチ、ブランデー、コニャックの違い

該当聖書箇所

エルサレムの娘たちよ、わたしは黒いけれども美しい。ケダルの天幕のように、ソロモンのとばりのように。

(雅歌1章5節)

〈赤井秀一/諸星大/ライ〉〈諸伏景光/スコッチ〉も、色黒の彼(〈安室透/降谷零/バーボン〉)と縁が深いキャラクターであるためピックアップした。『雅歌』本文の文脈では「畑の見張りを命じられて日に焼けてしまってはずかしい、あんまり見つけないで(当時のこの地域の文化では色白が良いとされていた)」という使われ方をしている。好きに煮込んでほしい。アレルヤ、神を讃えます。

該当聖書箇所

わが魂の愛する者よ、あなたはどこで、あなたの群れを養い、昼の時にどこで、それを休ませるのか、わたしに告げてください。どうして、わたしはさまよう者のように、あなたの仲間の群れのかたわらに、いなければならないのですか。

(雅歌1章7節)

わたしは夜、床の上で、わが魂の愛する者をたずねた。わたしは彼をたずねたが、見つからなかった。わたしは彼を呼んだが、答がなかった。

「わたしは今起きて、町をまわり歩き、街路や広場で、わが魂の愛する者をたずねよう」と、彼をたずねたが、見つからなかった。

町をまわり歩く夜回りたちに出会ったので、「あなたがたは、わが魂の愛する者を見ましたか」と尋ねた。

わたしが彼らと別れて行くとすぐ、わが魂の愛する者に出会った。わたしは彼を引き留めて行かせず、ついにわが母の家につれて行き、わたしを産んだ者のへやにはいった。

(雅歌3章1~4節)

ここには、「あなたは美しい」と言ってくれる花婿を探して、やがて見つけるという花嫁の姿があります。花婿をどこまでも探そうとするのは花嫁の大切な霊性です。「探し求めて」、そして「見つける」ということは、雅歌における重要なテーマです。

(引用:牧師の書斎)

…誰が誰を探し求めている状況と重ねるかは各人の好みに任せたい。みなさまの無事を祈る。ホーシアー・ナー、主なる神よどうか我らを救ってください。

フェミニスト神学者で有名なフィリス・トリブルはこの『雅歌』を『創世記』に描かれる破れが回復される情景の描写であると読んでいる…らしい。

創世記の創造物語と比較すると、男と女の関係も対照的です。創世記の方では、女は男の助け手として男から造られます。けれども、雅歌では、男の支配はなく、女の従属もなく、いずれの性においても固定した考え方はありません。女性は自立していて、自ら行動し、男とまったく同等です。女性の行動は大胆で、あけっぴろげです。さらに言えば、雅歌では女は妻(イッシャー)とは呼ばれず、子どもを産むことも要求されません。雅歌は結婚や生殖の問題について語っていないとトリブルは理解しています。フェミニストな解釈ではありますが、なるほどと思わされます。創世記の「つまずいたラブストーリー」は、雅歌の「取り戻された愛の抒情詩」へと確かに展開しているのです。

(引用:雅歌の解釈をめぐって(第四回) 小友 聡

「外的要因によって適応される型はなく、おのおのの心からの性質に基づいた愛が展開される情景の描写」くらいまで抽象化したうえで、上記のようなタイトルをつけてみた。念押しすることになるが、『雅歌』はプラトニックなラブだけでなく肉体的なラブの書簡である。ゆえに、かえって今日のキリスト教会からは敬遠されがちである。キリスト教なんて日本では弱小ジャンルなので、向こう80年はサブカルチャーの中のサブカルチャー文脈に批評を加える甲斐性のある奴らが出てくるとは思えない。各人、好きに煮込んで頂きたい。キリエ・エレイソン、主よ憐れみ給え。

そこで,この作品の劇の構想をどう見るかといえば,深く村の若者を愛していた美しい羊飼の乙女が,若者のあ とを追って,エルサレムの城門のあたりに来 たとき,偶 然,結 婚式をあげてエルサレムへ と帰 還するソロモン王の美々しい行列に見とれる。輿に乗っていたソロモンはうら若い乙女の魅力に心を奪われ,そこで歌をもって問いかける。ここで 王と乙女の歌の応酬があり,さらにエルサレムの宮廷の女性と乙女の歌問答が行われ る。 しかしシュネムの乙女は若者への熱烈な思慕の情を披歴し,ソロモンのい’ざないを拒絶する。やがて乙女 は愛する若者を見出し,手を携え,互いに真情をこめて歌を歌いながら荒野のシュネムの村へと帰ってゆく。こういった構想ではないかと推定することは,あながち,不自然とはいえない。

(引用:植田重雄 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jorient1962/5/3-4/5_3-4_1/_pdf/-char/ja)

誰が誰と誰の間で揺れる重ねるかは各人の好みに任せたい。インマヌエル、神は我々と共におられる。

該当聖書箇所

わたしをあなたの心に置いて印のようにし、あなたの腕に置いて印のようにしてください。愛は死のように強く、ねたみは墓のように残酷だからです。そのきらめきは火のきらめき、最もはげしい炎です。

(雅歌8章6節)

このコラムで言及しているキャラクターは全員「身近な人の死」という悲しみを抱えたキャラクターであるが、それらの悲しみに匹敵する感情の提示、というふうにも受け取れる。「妬みは墓のように残酷」をフューチャーするとヤンデレに対する強い後ろ盾となる。各人、お好きに煮込んでいただきたい。アーメン、ハレルヤ、ホサナ。

イエスは雅歌を読んでいたか?ーひいては安室透/降谷零に関する強めのマボロシー

筆者の中では、【名探偵コナン】登場キャラクターの中で救世主(メシア)としての役割を担っているのが〈安室透/降谷零/バーボン〉という説を持っている。

降谷零/安室透/バーボン

それについては詳細をいずれコラムをまとめたいと思っている。

一応軽く言っておくと、キリスト教徒において『イエス』というキリスト(メシア)は代替不可能な唯一の存在であるし、筆者にとってもそうである。ただし、そうでない人にとって、抽象化したキリスト像と〈安室透/降谷零/バーボン〉像には重なる部分があるように思う(筆者はそれを「メシアのミームを背負っている」と表現する)。あるキャラクターがメシアのミームを背負っていること、それが社会現象的沸騰を見せることについての良い面と気を付けたい面とを考えたい、そんなコラムに仕上がると思う。

じゃあまあ、それはそれとしてメシアなるキリストは雅歌(30禁アダルトポエム)の内容を知っていたのだろうか…という軽い妄想のお話である。筆者は以下の動画の結論に賛同するし、それは〈安室透/降谷零/バーボン〉についての思索になる…と言えばなるし、ならないと言えばならない。奇しくもこんなニッチなコラムを読んでしまった貴殿は、この哀れな俗物のことを祈ってやってほしい。