…主よ、あなたは神の子キリスト、永遠の命の糧、あなたを置いて、だれのところへ行きましょう…
日本の昔話(≒民話/民間説話/民間伝承)に『鬼の子小綱(おにのここづな)』というお話があります。(『片子』のお話とも呼ばれます)。
民話の書籍など読んでいると、日本のユング精神医学の第一人者とも呼ぶべき河合隼雄氏がとくにその存在を気にかけていた印象があり(私はそれで知ったクチです)、花部英雄氏などは「桃太郎」を論じる際に言及していましたし、小松和彦氏も異界を論じる際に「片側人間」に言及し、その過程で考察の材料にしていた説話…です。
※「鬼の子小綱」についてのまとまった論というと五来重先生が一番古いのかもしれませんが、私はザコなので五来先生の著書には直接当たっておりません…。小松和彦氏の2018年の著作にて五来先生の小綱論がありましてので、それは下でカンタンに紹介しています。五来先生の著作は…いつか読みたい…ぐぬぬ…
このウェブサイトは「人気マンガやアニメから聖書について語る」というコンセプトから始まったものですが、民話というのが今日の日本においては主にサブカルチャー(ポップカルチャー)の世界で取り扱われるシロモノになっていることもあるせいか(それを言うと神話もそうなんですが)、
あるタイミングから非常に民話(とりわけ「片側人間」「異常誕生譚」「異類婚姻譚」)に非常に興味が沸いてきました。その現地点の確認としてこの『鬼の子小綱』説話のコラムをつづりたいと思います。
※当方は研究者でもないし、文学・民俗学・文化人類学・説話研究などの教育を受けた者でもありません。このコラムについては孫引きもバシバシ行っています。要約という営為はどうしても思想と不可分ですし、筆者の思想で要約されたものなど参考にする義理はないと思いますので、気になる方は結局のところ文献をあたっていただくのが良いかと思います。
目次
「鬼の子小綱(片子)」あらすじ6通り&類話4つ紹介

①ある男の、娘(または妹/妻)が鬼にさらわれる
②男は娘(妻)を探して鬼の島にたどり着く/娘(妻)は鬼との間に子どもをもうけていて、その子は半鬼半人間である。
③一行は、半鬼半人間の子の援助を受けて、鬼の島を脱出する。
(④半鬼半人間の子は自ら命を絶つ)
(⑤その後、節分の由来/虻蚊の起源/めざしの厄除け起源/地名の由来などとして語られる。)
鬼に「あんこ餅が好きか」と聞かれて親父は「女房と交換してもよいくらい好きだ」と答える。鬼は親父にあんこ餅を与えて女房をさらう。
親父は十年間、女房を探し歩いて鬼が島に渡る。体の右半分が鬼、左半分が人間の片子という男の子を見つけて鬼の家に行き、女房に会う。
親父は鬼と餅食い競争・木切り競争・酒飲み競争をするが、いずれも片子が親父を助けて勝たせる。鬼は酔いつぶれ、三人は船で逃げるが鬼は海水を飲む。片子が鬼を笑わr瀬、鬼は海水を吐き出したので三人は日本について暮らす。
片子は鬼の子だと言われて居づらくなる。死体を細かく切って串刺しにし、戸口にさらせば鬼が家に入れないこと、それでもだめならば目玉に石をぶつけること、と言い遺して片子は死ぬ。串刺しにしておくと鬼は裏口をこわして入ってくる。親父と女房は石を投げ、鬼は逃げる。
それからと言うものは、節分には片子の代わりに田作りを串刺しにして豆を撒くようになる。
参考:小松和彦「鬼と日本人」pp.210-211
ある姉妹の姉が山に薪を取りに行くと、大鬼が来て妹をさらっていく。
姉は鬼の好きな煎り豆を持って島に行く。島に着くと、体の半分が鬼で、半分が人間である妹の子どもに会う。名は「片」という。
豆の代わりに石を入れたものを土産の豆だと鬼に食べさせる。鬼に酒を飲ませて寝込んたのを見すまして三人で逃げ出す。舟に乗って途中まで来た時、鬼が追いかけてきて海の水を飲み始める。片は、母とおばに尻をめくって鬼の方へ向けて両方の手で叩かせる。鬼は笑って飲んだ水を吐き出し、その力で船は陸に着く。
片は、「体半分が鬼なので日本では暮らせない」と言って、父である鬼のところに帰っていく。(了)
参考:小松和彦「鬼と日本人」pp.210-211
爺が畑打ちをした者に娘をやるというと、鬼が出て来て畑打ちをする。一番目の娘、二番目の娘は、鬼の嫁になるのを断るが、末娘は承諾する。
末娘は「タデ草」の種をまきながら鬼のところに嫁入りして行く。一年後に片角子が産まれる。片方が人間で片方が鬼であった。
爺がタデ草を頼りに山に娘を訪ねて押し入れに隠れるが、鬼に発見されてしまう。
爺と鬼は、餅、竹の子の食い合い、さらに縄綯い競争をするが、娘の機転で切り抜ける。鬼が雉打ちに行ったときに、爺と娘は逃げ出す。戻って来た鬼は、残っていた片角子から娘が爺を送って行ったことを聞き、追いかける。
娘はお札を投げて大川を作る。鬼は川の水を飲んで追う。娘は自分の尻をまくってはたく。鬼がこれを見て笑って水を吐き出す。
家に戻ると豆を炒って「福は内、鬼は外」と撒くと、鬼は節分になったと思って逃げる。
参考:小松和彦「鬼と日本人」pp.210-211
ある夫婦が山のなかに住んでいる。妻が山に行ったまま帰らないので、夫が探しに出る。
長い旅の果てに、とある山のなかで、体の片方が人間で、もう片方が鬼である子どもと出会う。妻と再会し、妻は鬼の妻にされて、その子どもを産んだと語る。鬼が山に行っている間に子どもの助けをえて、三人は日本まで逃げ帰る。
子どもは自分の体を二つに裂いて家の前に張ってほしい、という。親がさかぶちに子どもの死体を張ると、追って来た鬼も入れず、引き揚げていく。
節分につくるやきこがし(やきかがし・やかがし・やいくさし・やいかがし・やくざし・やきさし・やござし)とは、この子ども表したもので、このときから始まった。
参考:小松和彦「鬼と日本人」p.234より
あるところに、美しい一人娘を持つ老夫婦がいた。ある日、鬼が娘をさらっていく。
爺は婆に家のことを託し、娘を探しにいく。長い旅の果てに、とある山のなかの洞窟で娘と再会し、その子どもである「小綱」も紹介される。翌日、鬼が山に行っている間に小綱の助けをえて、娘・爺・小綱の三人は船に乗り込む。
娘と小綱が逃げたことに気づいた鬼は、一行を追いかける。近所の鬼たちを呼び集めて、海の水を飲み干させるが、小綱は娘(小綱にとっては母)のお尻をまくって朱塗りのヘラではたく。
鬼はこれを見て笑って水を吐き出し、一行は無事家まで帰り着く。
人間の里で小綱は成人するが「俺はどうしても人間を喰いたくなってたまらないから、いっそ俺を殺してくれ」と爺にたのむ。爺は驚き拒否するが、小綱は「それなら仕方ないから自分で死ぬ」と言って山に行って芝を集めた小屋を作り、それに火をつけて自ら死ぬ。
そしてその焼けた灰が虻蚊になって、自由に人間の生き血を吸うようになった。
(参考:佐々木喜善「老媼夜譚」pp.135-139より)
親を亡くした姉弟のもとに、ある日、鬼が立派な男に化けてやってきて、姉を無理やり連れ去る。
弟は、姉と再会できるように観音様にがんをかけて7日間断食ごもりをする。そして観音様が夢に出てきて、姉の居場所を教えてくれたので、いう通りのところへ向かう。弟は姉と再会できたが、姉のそばには姉と鬼との間にできた「ワラシ鬼」がいた。
帰宅した鬼たちにより「人を煮る窯」にほうりこまれた弟だったが、火打石を申し付けられたワラシ鬼がとぼけて違うものばかり持ってくるので、その隙に逃亡に成功することに成功した。
3人は、途中大きな川を船で渡るさい、鬼が川の水を飲みほしてしまい追いつかれそうになるが、川底のぬかるんだ泥をなげることでどうにか逃げ切ることができた。
無事帰ることができた3人だったが、ワラシ鬼は「自分は鬼の子だから、大きくなると、人を喰うようになるので、今のうちに殺して、自分の手と足を年神様の松の木に打ち付けてくれ。そうすると鬼は人間に近寄れなくなる」と言い残した。
そのようにしてできたのが「鬼打ち木」で、その働きで鬼がやってくるのを防ぐようになったのである。
(参考:川森博司「ツレが「ひと」ではなかった 異類婚姻譚案内」pp.162-163より)
民話なので細部については違いがありますが、おおむねこんな感じです。
ちなみにこのお話は「小綱(片子)」が登場しないバージョンもけっこうあるそうで、小松和彦先生はそれをもってして「小綱(片子)」に特別な意味を見出そうとした河合先生の姿勢にちょっと物申している…ようです。
女房が鬼にさらわれる。夫は白い犬を連れて捜しに行く。犬が岩の間から機を織る音を聞きつけ、女房を発見する。女房は夫を帰し、犬だけ隠しておく。鬼が帰ってき、人が来たときに咲く花が咲いているのを見て、誰か来たはずだ、と疑う。女房は「腹の中に子どもができた」といってごまかす。鬼が酔って寝込んだのをみすまして、犬と女房は逃げ出す。川を渡ろうとしていると、鬼が追いかけてきて川の水を飲み乾かそうとする。金のヘラで腹をたたくと、鬼が笑って水を吐き出したので、逃げ帰ることができた。
このバージョンは、小松和彦氏が
意外にも、話型名が“鬼の子”になっているにもかかわらず、鬼の子つまり異類婚姻の結果生まれたという子どもが登場しない話が、けっこうあるということである。
(小松和彦,2018年「鬼と日本人」pp.230-231)
として、その例として挙げている話です。
沖縄(琉球)の節分の由来として語られている「鬼餅(おにむーちー)」の伝承も、「片鬼子」が登場しないお話しですが逃竄譚であり、かつ鬼が「人間と鬼の両義性を持つ存在」だったり、「女性が下半身を露出することで鬼を退ける」というモチーフの共通点も感じます。
首里の金城というところに、父と母を早くに亡くした兄妹がいた。妹は年頃になると久高島に嫁入りしていき、一人になった兄はよその家のヤギや豚を盗んでは食べるようになる。やがて、兄に「人間の子どもをさらって食べる」という噂が立ち、妹の住む島にまで伝わって来た。
妹は噂の真偽を確かめるために自分の子どもを連れて兄のところを訪問する。兄は妹を歓待し「今薬を煎じているからお前も食べて行きなさい」と言うが、兄の煮ている鍋の蓋を開けるとそこには人間の子どもが煮られていた。
妹は自分の子どもも殺されかねないと思い、子どもを連れて便所に行くふりをする。兄は妹が逃げてはいけないと思い、妹の手に縄をかける。妹はこっそりと手にかけられた縄をはずし、豚小屋の石につないで逃げる。(兄は縄を引っ張りながら妹に呼びかけ続けるが、どこかのタイミングで気付いて妹を追いかける)
妹が船に乗ろうとするときに、兄に追いつかれたが、妹は身を隠して兄の目からは逃れる。その際、兄が妹と子どももろとも食べようと考えていたことを知る。
後日、妹は兄の好物であった餅を作り、それに瓦を入れて兄に持っていき、「金城バンタ(崖/岬)の景色でも眺めながら」一緒に食べようと誘う。兄は妹の誘いにのるが、瓦の入っている餅もかまわずバクバク食べるのをみて妹はいよいよ自分の兄が鬼になったことを実感する。妹は、兄の前で着物の裾をはだける。兄は「お前の下は何か」と聞くので、「ここは、鬼を食べるところだよ」と答え、金城バンタから突き落として殺す。
(鬼餅[ウニムーチー]は、この話に由来するもので、ウターは村の人々から、「村人全員でかかっても鬼を退治することが出来ないのに、あなたはすごい」と喜ばれ、鬼を退治した餅のこと【チカラムーチー、ホーハイムーチー、カリームーチー】と呼ぶようになり、今でもムーチーを炊いた煮汁は、「ウネーフカ フコーウチ(鬼は外、福は内)」といって屋敷の回りにまき、ムーチーを包んだカーサ(サンニンの葉)は十字に結んで、人の出入りする入口や軒先に吊るし、鬼が家の中に入ってくるのを防ぐようになったんだってさ。)
(沖縄市ウェブサイト「ムーチー(鬼餅)由来」より要約。
沖縄市文化財調査報告書第26集『むかしばなしⅠ』2002年沖縄市教育委員会
私(アイヌの民間伝承は一人称で語られる)は両親と裕福に暮らしている娘です。伝染病で両親が亡くなって私は祖⽗とアワやイナキビを作って暮らした。
ある⽇、⼭へ薪取りに⾏くと急につむじ⾵が吹いて、顔が半分⿊く、もう半分が⽩い⼤きな男が現れて「お前を嫁に欲しくなったので⾶んできたのだ」と⾔って私を誘拐した。
⾵と共に⾶んで海を越えて⾏った所で私たちは夫婦として暮らしているうちに私は妊娠した。
⽣まれた息⼦は夫と同じような顔だった。
夫は⼈間の⾁を⾷い、私は別鍋で違うものを⾷べて暮らした。
私は幼い息⼦に「いつか、お前の⽗親を殺して爺さんの村に⾈で逃げようね」と⾔い聞かせた。
成⻑した息⼦は夫に隠れて⾈を作った。ある⽇、私と息⼦は眠っていた夫の⾸を絞め殺して家と共に燃やした。
私が息⼦と⾈に乗って村に帰ると祖⽗はすっかり痩せ衰えていた。
私は祖⽗と泣きながら抱き合って再会を喜んだ。
それからは息⼦が⼭へ⾏くとシカでもクマでも獲るので安泰に暮らした。
ある⽇、息⼦が私に「⺟さん、僕はキムンアイヌ(⼭男)の息⼦だから、最近は⼈⾁を⾷べたくて我慢できない。⽣きていたら⼈間を殺して⾷ってしまいそうだ。僕は浜に檻を建てて薪を積んで⽕をつけて⾃殺する。⽣まれ変わったら⾍になって⼈間の⾎を吸う。⺟さんは嘆かないで暮らしてくれ」と⾔った。
そして息⼦はそのとおりに⾃殺した。そのキムンアイヌの燃えた灰が虻や蚊になった村が⽩⽼だ、と⼀⼈の⼥が⾔って死んだと。
(2000年採集/語り:小川シゲノ/採集者:大谷洋一)
(アイヌ民族の歴史と文化第6回 アイヌ民族の散文説話-〈ひと〉〈暮らし〉〈ことば〉からさぐる-アイヌ民族の散文説話 アイヌ民族の散文説話 大谷洋一
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同じく異類が非人間的なままのものとして「熊のジャン」があり、異類は猿や野人ではないが、先述のように、熊女房型を中間に据えると、話型自体はゴリラ婿型にかなり近い。ヨーロッパの異類婚姻譚では、異類が実際にはヒトであることが多いと言われる。だが、相手が妖精であるメリジューヌ伝説はよく知られているし、「熊のジャン」も「記録されたなかではもっともヨーロッパじゅうに幅広く拡散している」(Frank2023:121)と言われるぐらい広まっていることは念頭に置いておくべきだろう。
廣田龍平「〈怪奇的で不思議なもの〉の人類学: 妖怪研究の存在論的転回 」pp.202
フランス民話の熊のジャンは、熊と人間の母親との間に生まれた毛深い[注 1]男児で、乱暴により退学処分をうけ、鍛冶師の弟子となり、鉄杖を自作する[注 2]。旅の途中、特技を持つ者たち仲間にくわわり[注 3]、その三・四人組は、不思議な城に居座る[注 4]が、出現した敵(小人や悪魔)に仲間たちは敗北し、主人公は勝利する[注 5]。次いで[注 6]地底の世界に降ることとなり、主人公のみ到着する[注 7]。主人公は地底の老婆(妖精)に知恵を授かり[注 8]、杖などで戦い、悪魔、巨人などを倒し、地下城で三人の王女を救出する[注 9]。裏切る仲間に置き去りにされた主人公は、脱出し[注 10]、王女らとの再会を果たすが、職人のふりをして現れ、王の試練を突破して王女のひとりと結婚する[注 11]、などが典型的な要素である[14][15]。(ウィキペディア「熊のジャン」項目より引用。2024.3.18時点)
ビジュアライズ「鬼の子小綱(片子)」(作:高川ヨ志ノリ)
先行研究ざっくり紹介
ということで、ここからは「鬼の子小綱(片子)」説話についての先行研究をざっくり紹介していきます。鬼の子小綱説話そのものの解釈もあれば、「鬼の子小綱(片子)」説話を材料にその他のことを考察するという営みも紹介しています。
五来重による「鬼の子小綱(片子)」説話の読み方
①何のために鬼は人間の女に子を産ますのか
→ある家系の超人的能力を説明する
②鬼の子はどうして父を捨てて人間世界まで逃竄しなければならないのか
→他界にいる鬼の子を人間がこの世に取り戻して英雄として迎える
③鬼の子はどんな理由で『小綱』という名を持つのか
→“小綱”の名は東大寺の堂童子階級の「小綱(しょうこう)」と関係がある
④鬼はなぜ海河の水を飲み涸らすのか
→黄泉国からのイザナキの逃走のさいの放尿=巨川のモティーフやスサノオの「河海を悉く泣き涸らす」モティーフの変形である
⑤どうしてヘラで「尻」をたたくのか
→厄除けになる杓子と糞かきベラの置換によるもの
(⑥)なぜ鬼の子は自死するか
→「鬼の子ももとは死んで神とまつられ、子孫を守り衆生を利益した」という、もとの鬼の子小綱の変化形であると推察
(参考:小松和彦「鬼と日本人」pp.234-235)
(元の資料:五来茂「鬼むかし」角川書店)
河合隼雄による「鬼の子小綱(片子)」説話の読み方
「片子」の話で、日本人の父は、半人半鬼の息子が自殺しようとする時に「黙ってそれに耐える強さ」を持っていた。しかし、世間に対して「片子」のために戦う強さを全く持っていない。父は、片子が自分と妻を救い出してくれたことを知っている。それでも世間を向こうに回すことができないのだ。ここに日本人の父親像がある。
(引用:大塚信一著,2010年「河合隼雄 物語を生きる」p.136)
つまり、片子という異分子の存在を許さない一様性を尊ぶ社会の在り方、世間の力には抗い難しとして、わが子の自殺を黙って見ている両親の態度、それらを日本人における母性の優位性と結びつけて考えられないだろうか。鬼の非難は、一個の女性に向けられているのではなく、男性も女性も含めて、日本人共通にはたらいている強い母性に対して向けられているように感じられる」
(引用:大塚信一著,2010年「河合隼雄 物語を生きる」pp.133~134)
河合隼雄氏の『小綱(片子)≒片側人間(マージナル・マン)』へのまなざしというのはこういう感じ、です。こういった姿勢を、小松和彦氏は「自らを「片子」と同一視し、日系の二世やそれに類似した立場いなるその他の人々のメタファーを見出し、片子に特権的地位を与えようとしているかに見える」評しています。(小松和彦自身は小綱の説話を別の興味で見ていることを述べつつ)
(参考:小松和彦「鬼と日本人」pp.235‐236)
(元の資料:河合隼雄「昔話と日本人の心」岩波書店)
小松和彦による「鬼の子小綱(片子)」説話の読み方(2018年時点の総括含む)
五来は片子を無視し、河合は片子に特権的地位を与えようとしているかにみえる。しかしながら、私は、この両者とは異なって、これまで考察してきたように、この“片子”かつまり「片側人間」を異類界(他界)と人間界(この世)の二つの世界の結合と分離を確認するための形象であるということを、異類婚姻譚の多様なヴァリエーションのうちのほんの一角に姿を現すモティーフでしかないということを明らかにしてきた。
(小松和彦,2018年「鬼と日本人」p.236)
小松和彦氏は、小綱の説話は「その実、片鬼子が生まれない説話も多く、あくまで一部地域の伝承」と考えているようで、日本人が異類婚姻譚をはじめとする異形の存在や動植物のお話をもってして「異類排除のコスモスを語ろうとした」という点は既存の学者たちの意見を追認しつつ(同書pp.238‐239)、河合先生のようにそれ自体で日本人の心意を語ることには若干慎重なのかな…という感じです。そのうえで、「鬼の子」や片側人間と呼ぶべき存在を、日本人が両義的に扱ってきたであろうことを述べていきます。
「鬼子」「怪物の子」「魔物の子」として捨てられ殺されていった子どもが、実社会にあったことはすでに指摘した。しかし、その一方では、「鬼子」の姿かたちとどこまで重なるかは定かではないが、障害をもった子どもが捨てられることなく、「福の神」として大切に育てられる習俗も存在していたのである。その子どもをおろそかに扱うと不幸になる、これまでその子の力で獲得した「富」を一挙に失う、ということが民族社会で語られていたのである。(中略)
(小松和彦「鬼と日本人」pp.263-264)
日本人は、どうやら、障害児に対しても、異類に対してと動揺、両義的な態度で臨み、しかも「福子」と「鬼子」という二極分解したとらえ方・価値づけをしたらしい。
花部英雄による「小綱が人間社会に適応できなかった理由」「鬼ケ島は死の世界」
小綱の人間社会の不適応症は、鬼の世界で生まれた子は人間世界では生きられないという見えない原理に支配されているからであろう。それに対して小綱の母は、一時期鬼の社会にはいたが、意志とは別に拉致されて鬼の世界にいるのであり、本省は人間であるということで帰還して元の生活に戻ることができる。この論理は、異類婚姻譚を考えれば明らかになる。異類が人間社会の男女と結婚しても、本性が異類であると発覚した時点で、異類の世界に戻ってしまうのに対応している。
花部英雄「桃太郎の発生」p.43
また、小綱の物語に現れてくるような「鬼の住処」と、近世にイメージされる桃太郎説話や一寸法師的に表れてくる「鬼ケ島」イメージを比較して、こんなことも触れています。
昔話などの物語世界に見える「鬼ヶ島」の実体は「死の世界」であり、人間世界とは反対概念から構成され、富の宝庫の存在であると捉えることができよう。
花部英雄「桃太郎の発生」p.44
今日、現代日本人がイメージする桃太郎説話なんかの「鬼ケ島」と、鬼の子小綱に現れてくるような「鬼の住処」の描かれ方には変遷があると読んで良いようですが、花部氏はこれを(桃太郎的な「鬼ケ島」を指して)近代の明治政府が指針とする資本主義および海外主義政策の基本が影響していると述べています。(p.46)
ライターの感想
ライター的には河合隼雄先生の「鬼の子小綱」の話が魅力的に思えたので色んな書籍を読んでここまで来てしまいまいたし、無謀にもそれで「日本人の心」的なものを語ろうとしてしまったこともありました。けれど小松和彦先生の言うようにこのお話が民話のなかであくまで一部なのであれば、それをもってして日本人の心意を語ることはやっぱり無理があったのかなぁ…と思います。
(そもそも「民話」というシロモノをもってしてどこまで市民の心なるものがが語れるのか…というのは非常に難しい話なのだなと感じました)
ただし、河合先生の小綱論に慎重な姿勢を見せる小松氏も、日本の説話が「異類排除のコスモスを語っている」という点には賛成しているのであって、
ではその延長線上で「神であり人である」とされならがらイエス・キリストの伝承を読むとどうなるかなぁ…というのが現在のライターの個人的な興味です。(片側人間/あるいは両側人間であり、人間の社会から排除されたことが語り継がれる存在として…)
また、日本の民話の多くが「異類(主に動物)」を人間とそう違わない存在と考えながらも(小沢俊夫「世界の民話 ひとと動物の婚姻譚」)、あくまで異類を人間社会から排除する結末を多く紡いだ…にも関わらず、現代日本人は「日本人は動植物と自らを同種と考えていた(ゆえに民話においても異類婚姻譚は成立していた)」と考える人が後を絶たないのはどういう背景によるものなのだろうか…など、こういったことに触れるとイロイロと考えてしまうので、ゆっくり学んで整理していきたいなと思います。
私の行く先は見えませんが、そうこうしているうちにわれわれのコスモスは宇宙を見据えなくてはならないところまで来ているのであり、今日において私たち人間がそもそも「異類」であるということを常に念頭に置かなくてはならないところまで来ているのが正直なところだと思います。
今、人間自体が〈異類〉となってきてる。(中略)
植月恵一郎/山内淳監修「西洋文学にみる異類婚姻譚」p.210
つまり、かつて人間と他の動物は不連続で会ったが、進化論によって連続となった。同様に、これまで人間と〈異類〉との境界が明確であったが、今は曖昧になってきた。
(中略)
人間自体も異類に容易に成り得る。単に素朴は昔話にすぎなかった異類婚姻譚もの領域と接続し、新たなアレゴリーとして今読み直す意義は大きい。
今日において私たちがフィクションの世界でどう異類や片側人間を扱うのが適当なのか、それは現実にどのように反映すべきで反映すべきではないのか、私自身の興味で言うと、そのコスモスの中で「キリスト・イエス」の存在がどう受容されていくのか(※)。
できる範囲で見届けていきたいと願っています。
…髑髏の丘で磔刑に処された男の声が聴きたくて、こんなところまで来てしまった。…
