「キリシタン伝説百話」を読んでいると、気になる伝説を見つけた。
天草下島の五和町(いつわまち)の田代に、キリシタンの美しい娘がいた。彼女はりりしい四郎の姿を一目見てから、熱い恋心を抱くまでになった。——
いや、見染めたのは四郎のほうであったともいう。
とにかく二人互いを恋い慕うようになったが、乱がはじまると四郎は島を離れて、島原に渡り、原城に立てこもってしまった。四郎に思いこがれる娘は、毎日近くの高神尾(こうじんお)山の頂きに登って、四郎のいる原城をみつめていたが、やがて城に火がかけられて煙が昇ると、娘は十字をきって天に祈り、山頂から原城めざして飛んでいったという。
その後、だれいうとなく高神尾山の山頂を「嫁立ち」というようになったという話である。(谷真介「キリシタン伝説百」p.106,昭和62年,新潮社)
(かっこ内よみがなは当コラムライターによる)
天草四郎に恋人がいるという伝説があるのか…。
それも、この伝説の語り口では恋人のほうもキリスト信仰を持っていると解釈できる。
それにしても、原城目指して飛んで行ったというのは一体どういことなのか?四郎に一目会いたかったのか?加勢しようとしたのか?その姿は人間だったのだろうか?そのあとはどうなったと語られているのか?
同書には、天草四郎が龍になったという伝説についても収められている(p.98-99)。
天草四郎の、異類への転生伝説。
キリスト教徒の、異類への転生というコスモロジー。
場合によっては、四郎も四郎の恋人も共に異類に転生した…という伝説にもなる可能性があるのではないか。
異類婚姻譚・転生婚姻型の匂いをかぎとった私は、初手でこの「嫁立ち」について調べてみることにした。
するとどうだろう。
ブラウザ検索ではほぼ手がかりが得られなかった。
なので、少しだけ深堀してみた。その経緯を記していく。
…主よ あなたは神の子キリスト 永遠の命の糧 あなたを置いて誰のところへ行きましょう…
目次
「嫁立ち」高神尾山isどこ?熊本県田代五和町城河原…というのはわかった
城河原の田代高神尾にふうずきくぼと「嫁立ち」がある。島原・天草の乱の時一気群と唐津藩富岡番代の三宅藤兵衛の軍が本渡の町山口川をはさんで激突し、三宅軍は総大将の三宅藤兵衛が討死にし、残った軍勢は田代高神尾付近を通って富岡城へ敗走した。追っ手のキリシタン一気群は、高神尾で休憩し、付近の農家の子どもにふうずきを与えて喜ばせて一揆の味方になるよう農民たちに働きかけたという。このあたりには、今でも赤いふうずきが実を結ぶ。
ふうずきの付近に嫁立ちというところがある。嫁立ちからながめると北東に遠く雲仙岳がそびえている。ここに天草四郎から見染められた娘がいた。島原の原城に籠った四郎に思いこがれて島原の方をながめてはため息をついていたが、耳をすますと突撃の喚声が聞こえるようで矢もたてもたまらず原城に向かって飛び立っていったという。それからこのあたりを、嫁立ちとよぶようになった。
五和町城河原・田代、高神尾の山頂にある。島原・天草の乱で幕府軍の最後の総攻撃によって原城が陥落したのは、寛永十五年(1638)2月28日である。城には火がかけられ、その黒煙は遠く天草島からも望まれた。天草四郎は、唐津勢を追って城河原を通って二江に陣を敷いたと言われる。
手野には天草四郎が休んだ「座り岩」という岩もあるほどで、このあたりで、付近の農民にもその若い勇姿を見せて、村の人に、一気軍に参加するよう説得したであろう。田代付近に一人の美しい娘がいて四郎の美少年姿を見て恋心を燃やし、四郎が島原に渡ってからは、矢も楯もたまらず毎日高神尾の山に登って原城のあたりをみていた。それが、ある日、城に火がかけられて、黒煙が天に柱し、炎にと燃えるのが見えた。娘は十字をきって天に祈ると、その山の頂上から、原城へ飛んでいったという。それで、その山の上を「嫁立ち」と、いわれるようになった。
インターネットで検索してもヒントがつかめなかったので、東京は日本橋にある「日本橋 長崎館」を訪れた際に観光案内ブースにいらしたスタッフの方にも尋ねてみたものの、知られた山ではないことがわかり、では国会図書館デジタルコレクションで検索でもしてみようかね…と思ってヒットしたのが上記の2件の資料だった(ほかにも見落としている可能性がないわけではないが…)。
※このとき当コラムライターは天草の五和町が熊本県になることをわかっていなかった。ただ「天草四郎といえば長崎じゃん?」みたいなド素人感覚でアホ面下げて長崎館までやってきてしまったのだ(四郎が没した「原城」や、キリシタン迫害で有名な「雲仙」が長崎なので…てっきり長崎なのだと思っていた……)。もう少し足を延ばして銀座熊本館まで来たらもう少し情報が得られたのでは?とも思った。それについては、まあ、次に行ったAIへの質問からすると、そういう話でもなさそうな気がしているので慰められてはいる…。
※後日あらためて銀座熊本館の2階観光ブースを訪れ、再度質問を試みてみた。が、やはり知られていない呼び名のようだった。
このように、地名の由来伝説じたいは複数の文献に同じような内容で記されているのだから、「嫁立ち」という呼称とその由来じたいはそれなりに知られているのではないかとは思う。しかし、肝心の「高神尾(こうじんお)」がどの山なのか、土地勘のない人間には知るすべはなさそうである。
ためしにAIにも質問してみたが…
提供された検索結果からは、熊本県五和町の「嫁立ち」と呼ばれている山頂がある山の名前を特定することはできません。五和町には天神山という山があり、山頂からは早崎海峡や対岸の長崎県が一望できる美しいパノラマが広がることは分かります1が、これが「嫁立ち」と呼ばれているという情報は含まれていません。より正確な情報を得るためには、追加の情報源や地域の歴史資料を確認する必要があります。
やはり現在のインターネットで得られる情報からでは限界がありそうだ。
AIも「天神山ではないか」としているが…
(念のため国土地理院地図でも調べてみたが、「高神尾」という山を見つけることはできなかった…)
現在五和町城河原・田代とされている場所とは若干遠い…( 天神山の住所は熊本県天草市五和町鬼池だそうです)
しかし、五和町城河原・田代あたりから原城が見えるのか?というと、どっちかというと天神山のほうがまだ辻褄が合う気はする……
ということで、御存知の方で、もし教えていただけます場合は、コメント欄にて教えていただけませんでしょうか………(涙)。
五和町とキリシタン一揆の関係
「異教徒」への攻撃とともにキリシタンの一揆は住民たちに信仰を強制した。だから第1章でみたように、熊本領へと天草の真宗門徒が逃亡・避難するという事態になった(四七~四八ページ参照)のである。天草御領村(現・天草市五和町)の住民たちはキリシタンではなかったため、村は一揆により放火された。住民は村から逃げ出し船で海上に避難したところ、一揆は「キリシタンになるならば仲間に入れてやろう。しかしキリシタンにならないなのなら皆殺しにする」と迫ったので、住民たちは否応なくキリシタンになった、とは熊本藩士井口少左衛門が十一月十七日に提出した報告書にみえる、御領村の内蔵丞という住民の証言である(『御書奉書写言上扣』)
(引用:神田千里 著「島原の乱 キリシタン信仰と武装蜂起」p.54,講談社,2018年/2005年出版の文庫化版)
天草四郎の恋人は「路香」?妻がいたという史料も絶賛検討されているらしいが…
「天草四郎 恋人」について調べていたら、このような絵本の存在を知った。
この本の情報をもとに色々調べてみると、天草の工芸品である「南蛮てまり」の発祥には、天草四郎の恋人である「路香」が大きくかかわっているという伝承がある、ということを知った。
南蛮てまりは寛永十五年島原天草の乱の総師天草四郎が原城に悲運の死を遂げた後その愛人路香が四郎をしのびつゝ手まりを作つたのが始めといわれている
路香を始め手まりづくりを伝えられた多くの人々に感謝し冥福を祈つてこゝに手まり塚を建立す
四郎の恋人(あるいは妻?)がいたということじたいは、こういった土産ものの名前(↓)になっていることからも、現地の人たちからするとそれなりに浸透した話なのだろう。
伝承の語り口は、「天草四郎が没したのちの路香の活躍により南蛮てまりが生まれた」といったものである。
そして、この「路香」であるが、読み方を『みちか』だと認識していたが、よく見ると石碑に読みがながあるわけでなく、「四郎の初恋」の後ろ書きにも読み仮名はふられていない……ならば『ろか(るか)』と呼んでいい可能性はないのだろうか?
(『ろか(るか)』は、聖書ならば福音記者として4福音書のひとつの名前にもなっていることで有名なクリスチャンネームである。男性名であるが、今日の日本だと男女どちらとも名づけられているイメージがある。聖路加国際病院などはキリスト教精神で経営されている病院として有名だが…)
また、こちらの動画(↓)では郷土史家・鶴田倉造氏が「天草四郎には妻がいたと読める史料が見つかり、検討に値する」と述べている(3:00あたり~)
「有江監物貞次」という人物が『四郎の舅である』と記載されている史料が見つかったことから
四郎に恋人か妻がいたとして、今日伝わっている『路香』というのが後世の人の命名である可能性はおおいにあると思う。であればキリスト教的な文脈から命名されている可能性も…あるのではないか………知らんけど………。
また、いろいろ調べていたら「天草四郎は救いたい」(りさ湊)という連載中のマンガも見つけた。絵が好みなのでけっこう気に入っている。
(ヤンジャンで試し読みはコチラから)
妻や恋人キャラは今後登場するだろうか?
なんで知りたいの?目的に立ち返ったら
「高神尾の嫁立ち」がどのへんの山なのか、現地に詳しくない人間が知ることはかなり難しそうなシロモノであることがわかった。
なのでいったんはあきらめて、改めて自分がなんでこの地名を探ろうとしたのか考えなおしてみる。
発端は「天草四郎の恋人が、原城まで飛んで行った」という伝説について、もっとほかの伝説はないのかが気になる、だった。
・四郎の恋人はどんな姿で原城まで飛んでいったのか?
・その後どうなったという伝説があるのか?
目下このあたりが気になっている。なので地名を探ることはあきらめて、熊本~長崎 天草地方の伝説をしらみつぶしに探るアプローチのほうをとってみたい。
その過程でこの疑問に対する答えも何か得られるかもしれない。とりあえず祈って取り組んでみる。こういう祈りは何年かごしでも全部叶えられるタイプの人生が与えられているので、たぶんどうにかなると思っている。
現世で叶えられなかったら天国で天草四郎氏およびその恋人氏に聞いて、また現世に電波を送るね!(発狂)
参考資料
→日本橋 長崎館の観光案内ブースにいらしたスタッフさん、本当にありがとうございました…。
→銀座熊本館の観光案内ブースにいらしたスタッフさんも、ありがとうございました…。
▽参考じゃなくて言及
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