
突然ですが、お嬢さまはどのような夢小説がお好きですか?
夢小説と言えば二次創作のジャンルの一つですが、昨今では
夢小説=黒歴史
というような風潮も出てきて、リアルタイムで夢小説を楽しんでいる層は生きにくい時代になってしまいました…。
【補足】
夢小説とは二次創作で使われる言葉。オリジナルキャラクターと架空のキャラクターの交流を描く、創作小説の一種。(出典:pixiv百科事典)
しかしご安心ください。
というのも

として読むことが推奨されており、

でいることを公的に激推しされているのです。
【※ 補足】
ここでは「自己投影型夢主」を想定しています。
また、当コラムでは「聖書は創作である」といった旨が主題なのではなく、
「聖書は”自分と神”の交流ストーリーとして読める」
というのが主題です。聖書がフィクションかノンフィクションなのかというのは「そもそも現実とはなにか」といったすり合わせから行わなくてはなりません。なので、当コラムでは取り扱いません。
人間は多様ですので、「理解できない」というキリスト者もいます。また、ディスペンセーション主義/神学で聖書を考えている方はこの限りではありません。
世界一読まれているベストセラー本が夢小説なのに
現代の夢小説愛好家が追いやられる道理はありません。
このコラムでは「聖書は夢小説である」という論を証明し
引き続き推しの夢小説を楽しむ方にエールを送り
また「聖書の夢主になる」ことも視野に
このジャンルのメリット・デメリットをお伝えしたいと思います。
【補足】
当コラム内で「お嬢さま」という言葉を使用することがございますが、これは生物学的な女性のみを指している言葉ではなく「高貴で愛らしい尊ぶべき、今からみなさまをご案内する『じい』がお仕えしている存在」という意味でございます。
目次
「聖書」は夢小説論、ガチで解説していく

聖書というのは「人間による神のファンブック」だと思われがちですが、
実は「神→人間」のほうがメインなのでございます。
- 「聖書は神から人間へのラブレター」という表現は一般的
- 聖書は神と人間を「花婿」「花嫁」/「夫」「妻」で例えている
- キリスト教信仰を持ったばかりの人間はちまたのラブソングが「神×自分」の歌に聞こえる現象がある
- 名前変換文化がある
\くわしく解説/
「聖書は神から人間へのラブレター」説

「聖書は神から人間へのラブレター」とたとえ表現されるのは、キリスト教会では一般的です。
※「そんな表現全然聞いたことない」という派もいると思いますが、言っているところは言っている、ということでスルーしてくだされば幸いです。

聖書は神様からのラブレター!って言葉聞いたことある?すごいよね。
これが本当にラブレターだとしたら、どんだけ気持ちつまってるの!?って。
でも、それだけ気持ちがつまってるんだ。神様はあなたの髪の毛の数を全て数えているって言っているんだ。(マタイ10:30)
聖書の一貫した大きいなテーマは「神様はあなたのことを愛している」ということなんだ。
(引用:Hi-b.a.「神様からの手紙」より)
▼タップすると詳細が読めます▼
ユダヤ教の時代から「聖書をラブレターとして読む」という文化があったから

キリスト教の前身であるユダヤ教のトーラーも、ラブレターとして読まれてたらしいよ
ラビたちは、トーラーを旅に立った恋人からの手紙にたとえる。今は目の前にいない恋人を慕いつつ、何度もその手紙を読み返す。またどこまでも深く意味を読みとろうとする。そして、読むごとにひとつひとつの言葉から、どのくらい多くの解釈が心に浮かぶか知れない。
(ラビ・ピンハス・ペリー/手島勲矢・上野正訳「トーラーの知恵 現代を生きるためのユダヤ人の聖書観」p.27~28/ミルトス)
トーラーは、私たちの恋人(神様)が遠くへ旅立つ前に残していった手紙である。その恋人と共にある唯一の方法は、何度もその手紙を読み返すことだ。ユダヤ人は、安息日ごとにトーラーの朗読箇所を読むことで、それを行っている。もし好運なら、何度の何度もその恋人を感じ、その声に耳を傾けることができる。いつも新たに恋人と出会うことができるのである。
聖書では、人間が創られた世界を「はなはだ良かった」としているから。

聖書には、神は世界の色んなものを創って「よし」としたって書いてあるんだ。
そして、人間を「自分の似姿」に創って、そのあと見渡した世界を見て神は「はなはだ良い」としたって書いてるんだ。
七日目、最終日に神は安息を取られますから、天地創造は六日間でなされます。その中で繰り返し、繰り返し「神は、見て良しとされた」と述べられています。
六日間で六回、神はこの世界が「良い」ことを確認されたのです。
(引用:【連載その3】 すべてのものは、はなはだ良い 【完】奥田知志)
そして、創造の終わりに「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった」とされているわけです。これが、聖書が描く世界の真の姿でした。
聖書は「今を生きる私たちへの言葉」だと考えられるから。

聖書は確かに昔のことが書かれてるし、旧約聖書はイスラエルの民向けに見えるけど『今を生きる僕たちに向けて書かれている』と考えることもできるんだ。
むしろ聖書がその全体として語っていることは、(中略)、私たち人間の人生においてもっとも根本的な問い、存在の根本に関わる、「始めと終わり」の問題に答えること。それが、聖書が初めから終わりまで一貫して扱おうとしていることだと言えるのです。
実際、聖書の冒頭には、天地創造のストーリーが記されていますし、聖書の最後には、新しくされた天と新しくされた地の姿が印象的に描かれて終わっています。明らかに聖書は「初めから終わりに至るまで」、その全体像を語ろうとしているのです。(中略)
聖書はしばしば「イスラエルの国史」と受けとられていますが、決してそれだけではないのです。聖書に書かれていることは、イスラエル人だけに当てはまることではなく、「人類の普遍的な体験」なのです。
(引用:「聖書とはどんな書物なのですか?」古川福音自由教会HPより)
実際、皆さんがもし聖書を手にとって読んで行かれるならば、不思議な感覚を持たれる時があるでしょう。「ああ、これは私とおんなじだ」という体験です。そうです。聖書に書かれている内容は、まさに「私たちのライフストーリー」でもある、ということなのです。私たちは聖書を読んでいくとき、イスラエルの姿の中に、自分自身の姿を見ることができるのです。
ウェストミンスター大聖堂の教師だったトーマス・マントン(1620-1677)は、次のような質問をしました。「聖書の著者は誰ですか。神…。聖書の終わりは何ですか。神。私たちが祝福の神を永遠に楽しむこと以外に、聖書が書かれた理由はあるでしょうか。」
知れば知るほど尊敬できなくなる、と言われるような人もいないわけではありませんが、真実の神に関しては、その反対です。神のみことば、いやむしろ、みことばの神と交わって親しくなるなら、愛を育みます。そして、その愛は、神ともっと親しくなることを慕い求めます。
聖書を開くときには思い出してください。そこには、あなたを誰よりも愛しておられるお方からのメッセージがあります。あなたに向けたメッセージです。
(引用:「ラブレター」デイリーブレッドより)
書き起こした著者が違うにもかかわらず「神の愛」が一貫しているから。

『神の普遍的救済意志』というのでしょうか、聖書からは「神さまは人間を愛している」ということが読み取れます。
聖書が一貫して語るのは、神は愛であるということです。愛の神が語られるのは、新約聖書だけではありません。聖書が語るのは初めから終わりまで、一貫してイエス・キリストを遣わした唯一の神です。イエス・キリストをひたすら待ち望む人々の言葉によって紡ぎだされた旧約聖書にも、神の愛は溢れています。旧約聖書のイザヤ書の内容を語る預言者(神の言葉を語る者)イザヤは、キリストの誕生の700年以上前から活動した預言者ですが、救い主であるキリストについての預言を特に多く残しています。イザヤ43章4節は、キリスト教の中核、また聖書の中核を成す言葉です。この一言が、私が生涯を通して皆に伝えたい言葉であり、その価値があると思った言葉です。この言葉が、キリスト教の全てを、聖書の全てを表していると言っても過言ではありません。この言葉が、聖書が示す神の全てです。神が人に伝えようとしているメッセージの全てです。
(引用:第1回「聖書の核心 イザヤ書43章4節」WEBマガジンAMOR)
聖書は、実に長きにわたってコミュニケーションがとれないはずの人たちが書いているにもかかわらず「神が人を愛している」というメッセージが一貫しています。
「神がどんなかんじで人間を愛しているか」の詳細は、後半のあたま『聖書の神は俺様系?束縛系?いえ、それだけではありません』項で紹介しています。スクロールしてお読みください。
いかがでしょう、信ぴょう性がましてきたような気がしませんか。
聖書で教会(信じる者たちの共同体)は「キリストの花嫁」と表現される

「神」と「従う者」の関係は
旧約時代では夫と妻
新約時代では花婿と花嫁
と表されてるんだって。
わたしは神の熱情をもって、あなたがたを熱愛している。あなたがたを、きよいおとめとして、ただひとりの男子キリストにささげるために、婚約させたのである。
(コリント人への第二の手紙11章2節)
わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。
(ヨハネの黙示録19章7節)
おっと、核心にせまりはじめましたね…。
ラブソングが「神×自分」で聞こえる

キリスト教を知ったばっかりの人には、フツーのラブソングが「神×自分」の歌に聞こえる現象がある。
(※)…恋愛の対象となる二人のキャラクターを「キャラクターA×キャラクターB」などと表記する。(Wikipedia「カップリング」項)
…ということで、Twitterのアンケートではありますが53票中「わかる」勢が優勢…。
これは……来てますね。
名前変換文化がある

なんと、名前変換が推奨されているんです。
(※)…「夢小説の主人公 に自分の名前や好きな名前を付けることにより、より感情移入して楽しむことが出来る。」(ウィキペディア「ドリーム小説」項)
門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞く。そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す。
(ヨハネによる福音書10章3節)
はい。確定ですね。
夢小説です。
…ということで「世界一のベストセラー聖書は夢小説」論の証明でした。

世界一読まれている本が夢小説なのに、
現在の夢小説が黒歴史扱いされるゆえんはありません。
どうか引き続き、あなたの推し事が祝福されますように…。
【補足】
「神×自分、そう思いたいけど思えないっていう人が多いのも事実だし、聖書はそういう”信じられない人たち”を描いてもいるじゃん?」というご意見もいただきました。確かにそうです…。こんなに堂々と宣言しておきながらなんですが、その実キリスト教というのは「神を愛することができるのも神のおかげ」レベルに神力救済宗教なので、キリスト教徒が皆夢主かというとそうでもないのかもしれません。しかし、そういう側面もあるんだよということを知っていただけると嬉しいです。
ということで、ここからは

いっそ「聖書夢ジャンル」(※)っていうのも、もしかしたらアリかも…。
【補足】
(※)「聖書夢ジャンル」とは、『クリスチャンになる・キリスト教徒になる』ことの暗喩ですが、それはキリスト教の特色として「聖書の神に愛され、自分も愛しているという世界観で生きる」くらいのニュアンスで受け止めてくださればと思います。
と、ちらっとでも思ってくださった方にむけて、「聖書夢ジャンルのメリットとデメリット(よくある不安)」を少しだけ説明していきたいと思います。
聖書ジャンルで活動するメリットとよくある不安
その前に、これを書いているライターの夢小説遍歴をお伝えしてみたいと思います。
というのも実はわたくしは自己投影型夢小説よりも創作キャラクター型を好んでおり、もっと言うと二次創作は「公式カップリングに近いものをたしなむ」ことが多いのです…。
ということで、ライターのぬる同人ジャンルとの付き合い方に興味をいだいていただける方は「+」をタップしてください。
蔵馬とか飛影(「幽遊白書」冨樫義博)と夢エピソードを妄想したらすごく人生が捗った、が、うまくカタチにはできなかった。
(ストリートファイターのリュウがなんとなく好きだったが、この気持ちをうまくカタチにできなかった。また、のちの戸愚呂弟が好きになるが、これも気持ちをうまくカタチにできなかった)
クロロ=ルシルフル(「ハンター×ハンター」冨樫義博)、四乃森蒼紫(「るろうに剣心」和月伸弘)、殺生丸(「犬夜叉」高橋留美子)あたりに目覚めるが、これも夢主妄想はできず、マチとか操とかりんとか『作中に存在する、比較的公式カップリングに近い組み合わせ』を愛でるようになる。このあたりで阿高(「薄紅天女」荻原規子/児童文学)にドハマりして、人生初めての同人誌購入をする。のちに「ゼルダの伝説」アンソロジーも購入。また、「ファイアーエムブレム」(任天堂ゲーム)の支援システムに人生を捧げ始める。
このあたりから、父親の部屋にPCが設置されてインターネットが使えるようになるため、ネットで二次創作SSなどをたしなむようになる。また、自分もワープロで二次創作小説を自作してみたりもする。(未完)
インターネットにて、ひとつだけ「これはうまいぞ…!」と感じる戦国BASARAの夢小説に出会い、御礼のメールを送る。
(※創作キャラクター型でした…。更新が途絶えてざんねんです)
このあたりから「逆転裁判」を楽しむ。推しキャラ(御剣とロウ検事あたりがドツボでしたね…でもけっこうみんな好き)のことを想うと生活が少し華やかになることに気づく。
「推しのことを想うとお肌の手入れとかも楽しくなるんよ…。あ、こないだ『飲む香水』っていうんを買ったんやけどな、」と友人にもらした際に、哀れっぽい目で見られる。
以降は聖書夢ジャンルをぼちぼち。(しかし、社会人になってからしばらく忙しさに殺されて感情を失ってしまい、「なにかを愛でる」という精神活動が一切できなくなった暗黒期もある)

この者が何を申しておるかと言いますと、
「このようなぬる夢小説愛好家でも『神×自分』のキリスト教を楽しむことができている、ましてや、もっと真摯に夢小説に向き合っていらっしゃるお嬢さまは、もっとキリスト教に向いているのでは…」
…ということのようです。
では「聖書夢ジャンルのメリット」に入ります!
聖書の神は俺様系?束縛系?いえ、それだけではありません

神のキャラクターってどんな?
私けっこう好みが偏ってるから、推せないかも…。
そう、まず気になるのが「神のキャラ」ですよね。
ですがご安心ください。
聖書夢のメリットのひとつで、聖書の神というのは「わたしはある。わたしはあるという者だ」(出エジプト記3章14節/新共同訳)なんだそうです。
英語で言うと”I am that I am”。もしくは”I wii be that Iwill be”
「いますよ!」が、神さまの名、それが神さまの本質です。
(引用:「『わたしはある』という方が」中部学院大学HPより)
それだけあって神のキャラクターは実に幅広いのです。
今からほんの一例をお伝えしますが、同じセリフでも人によって感じ方が違ったりするものもあると思います。「私だけが知ってる神さまの一面」を見つけるのもステキですね。
【補足】
いまからお伝えすることは『神さまがたくさんいる』ということではなく、あくまで「ひとりの神だが、さまざまな性質を持っている」ということです。
ただわたしのみ主である。わたしのほかに救う者はいない。
(旧約聖書「イザヤ書」43章11節/口語訳)
わたしは神である、わたしのほかに神はない。わたしは神である、わたしと等しい者はない。
(旧約聖書「イザヤ書」46章9節/口語訳)
わたしはあなたがたの年老いるまで変わらず、白髪となるまで、あなたたがを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。
(旧約聖書「イザヤ書」46章4節/口語訳)
「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。
(旧約聖書「イザヤ書」43章1節/口語訳)
そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。
(新約聖書「ルカによる福音書」23章34節)
わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない。
(旧約聖書「ヨシュア記」1章9節/口語訳)
わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。
(新約聖書「ヨハネによる福音書」6章55~56節)
町の門に近づかれると、ちょうど、あるやもめにとってひとりむすこであった者が死んだので、葬りに出すところであった。大ぜいの町の人たちが、その母につきそっていた。
主はこの婦人を見て深い同情を寄せられ、「泣かないでいなさい」と言われた。
そして近寄って棺に手をかけられると、かついでいる者たちが立ち止まったので、「若者よ、さあ、起きなさい」と言われた。
すると、死人が起き上がって物を言い出した。イエスは彼をその母にお渡しになった。
「深い同情を寄せられ」…ここで使われている原語の動詞は「スプランクニゾマイ」σπλαγχνίζομαιです。これは同情という感情を表わす最も強いギリシャ語です。普通の同情やあわれみではなく、人間の存在の深みにまで動かす感情を意味します。
7章13節の「スブランクニゾマイ」の原義は「内臓がゆすぶられる」という意味ですが、以下のように訳されています。(中略)
口語訳「深い同情を寄せられ」
岩波訳「腸がちぎれる想いに駆られ」
ここに表わされたイエスの「深いあわれみ」の事例は類ないものです。
大勢の者たちがこの母親に同情して「つき添って」いましたが、なにもできませんでした。しかし、神のあわれみは、単なる同情でなく、「同情+行動」がなされるのです。事実、この「スブランクニゾマイ」σπλαγχνίζομαιという動詞が登場するところでは、必ず、そのあとになんらかの恩寵的出来事が起こっています。このことは注目すべき事実です。
マタイ9:36/14:14/15:32/18:27/20:34、マルコ1:41/6:34/8:2/9:22、ルカ7:13/10:33/15:20を参照。
(引用:「24. 類なきイエスのあわれみ」牧師の書斎より)
主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」。
(旧約聖書「創世記」3章9節/口語訳)
そのとき、イエスに手をおいて祈っていただくために、人々が幼な子らをみもとに連れてきた。ところが、弟子たちは彼らをたしなめた。するとイエスは言われた、「幼な子らをそのままにしておきなさい。わたしのところに来るのをとめてはならない。天国はこのような者の国である」。そして手を彼らの上においてから、そこを去って行かれた。
(新約聖書「マタイによる福音書」19章13~14節)
「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」
(新約聖書「ローマ人への手紙12章19節/口語訳)
あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるもの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものいは、恵みを施して、千代に至るであろう。
(旧約聖書「出エジプト記」20章4~6節/口語訳)
男女の恋の歌であり、ユダヤ教では「諸書」のうちに入る。恋愛と男女の賛美を歌い上げる詩であるため、扱いをめぐって古くから議論が絶えなかったが、さまざまな経緯を経て正典におさめられた。
(参考: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
「イスラエル民族と神の関係」として解釈するのがユダヤ教元来の解釈であるが、キリスト教の置換神学などに多く見られるのは、比喩的に解釈して「キリストと教会の関係」を歌う歌であるとするものである。
ホセアが不忠実な妻を追いかけて連れ戻したのと同様に、主も愛をもって私たちを追いかける。(中略)何が起ころうと、神は私たちを愛している。
(引用:いのちのことば社「BibleNavi」p.1377)

聖書において「神は愛」だとされております。
愛は寛容であり、愛は情深い。
また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。(第一コリント13章1~4節)
神は、われわれ人間ひとりひとりの性癖にも対応してくださっているのですな。
聖書夢ジャンルのメリット

「聖書夢ジャンル」のメリットをだだだだっと並べてみたよ。くわしいことは「+」をタップすると読めるよ。
世界では3人に一人がキリスト教信仰を持っており、

一方で日本では人口の1%未満だと言われています。(約100万人程度)
つまり、世界を視野に超特大ジャンルとして活動することもでき、日本に力点を弱小ジャンルとして活動することもでき、選ぶことができるのです。
実はキリスト教は「メリーバッドエンド」(※)にも「ハッピーエンド」にも対応する構成をしています。
(※)メリバとは…「メリーバッドエンド」の略。いわゆる「Open-ended」(開かれた終わり・結末)。受け手の解釈によって幸福と不幸が入れ替わる結末。「Open ending」とも言う。(参考:Pixiv百科事典)
というのも、キリスト教では『イエス・キリスト』(神のペルソナのひとつであり『父なる神』と人間の仲介役でもある)が
『十字架刑により処刑された』
が
『3日目に肉体ごと復活した』
ということを信じるからです。つまり
「十字架刑により死ぬよりつらい痛みで生涯を閉じたイエス」に注目してクソデカ感情を高めてもOK
「でも復活」というディスニーばりのハピエンに注目してテンション爆上げしてもOK
選べるのです。
聖書を読んだりキリスト教文化に触れると「知識がつく」とかふんわりしたメリットだけない恩恵にあずかることができる…。
詳しくは以下の記事まとめました。


「聖書の神×自分」とする以上
他宗教=横恋慕してくるライバル
という構図になるので、リアルでの「新興宗教勧誘」も妄想の糧になる可能性があります。
※「エホバの証人(ものみの塔)」「統一教会(現:全国家庭連合)」「末日聖徒イエス・キリスト(モルモン教)」などは、聖書を使用し自分たちを『クリスチャンです』と表現することもありますが、一般にキリスト教ではない別宗教と言われていますので、そのあたりご理解くださると助かります。
聖書の著者は神と考えてもいいですし、モーセ、ダビデ、使徒、パウロなどと考えてもいいですが、創作の扱い方によって著作権侵害だと天国から責められることはありません。
ただしそれは原典の場合で、翻訳の場合は少し話が違ってきます。
ですので、僕たちは新共同訳や新改訳の聖書を自由に無制限には引用したり配布したり改変したり翻訳したりしてはいけないのです。例えば今、誰かが「よし俺が新しい聖書の翻訳を書こう!」と原典から直接、新しい翻訳を執筆するのは何の問題もありません。が、例えば「新改聖書を〇〇語に翻訳してやろう!」というのは日本聖書協会や新改訳聖書刊行会などに許可を得なければいけないというわけです。
(引用:「【コラム】聖書の著作権」上馬キリスト教会WEBミニストリーズ)
とはいえ
それほどガチガチな制限をかけられているわけではないの で、常識の範囲内の引用であれば問題ないかと思います。
(引用:「【コラム】聖書の著作権」上馬キリスト教会WEBミニストリーズ)
また、文語訳聖書や口語訳聖書はパブリックドメインになので、そのへんを利用することでもトラブルが防げるでしょう。
また、自分が夢主として生きるに聖書の直接引用しなくてすむ方法はいくらでもあるかと思います。権利関係については、現在旬なジャンルの二次創作よりもはるかに問題ないでしょう。
言うて「古典」なので、このジャンルでの経験は多方面にオリジナリティの付与にもなるし、深み厚みも出るし、とにかく創作物の糧になること請け合いだと思われます。
なんならそのまま「聖書ジャンルの水先案内人」になるだけで独自性を発揮できるかも…?
→聖書や神話を知らんと理解できんアートが多いのでエピソード別にまとめてみる(さとなおNote)
→キリスト新聞社 聖書ラノベ新人賞(現在は募集終了しています)
→第1回 聖書 × トークメーカー『ライトノベル新人賞』結果発表
→キリスト新聞社が「聖書ラノベ新人賞」開催 「キリスト教を批判してもいいの?」「大丈夫だ、問題ない」(現在は募集を終了しています)

教派や企業、学校の枠にとらわれない自由な立場の有志実行委員会によって、東日本大震災の起きた2011年の秋に初めて開催された教会・団体・企業・学校・サークル・個人のためのフリーマーケット「いのり☆フェスティバル」の略称。
(引用:「いのフェス」いのり☆フェスティバル公式HP)
…と、世間では「ライブって礼拝だよね」と言われている以上、「礼拝はライブ」です。
お近くにカトリック教会がある方はカトリック教会がいいかもしれません。(横つながりが薄いのと、礼拝堂が華やかなため)
お?ついに狂ったか?と思われた方…は、今さらいませんね。ここまでお付き合いくださったのですから、もし興味があればこちら(↓)もご覧ください。

直接会って「私のこと、どう思ってますか…?」って聞いちゃえる推し、それが『聖書の神』です。
デメリットと、解消法の提案

「聖書夢ジャンル」によせられるであろうデメリットや心配事と、それについての解決方法の提案だよ。
自分の特性と照らしあわせて考えてみてね。

ここからは、この「じい」めがお嬢さまのギモンにお答えさせていただきとう存じます。

ジャンル内でも解釈違いですごいモメそうだし、外側からも荒らされそう。

さすがはお嬢さま、実に繊細で鋭い感性をお持ちでいらっしゃる…。
キリスト教は「良い人間になること」が救いの条件ではないため、聖書ジャンルでも争いは起こります。(『原罪』について知りたい方はこちら)
とはいえ、争いが起きるのは他ジャンルでも同じ…。そう考えると
・日本では母数が少ないため、クラスタのマナーも比較的良い。「この人とは無理」というものも避けやすい。
・「聖書」が基準なので、聖書をもってすれば対処できる。
というのは聖書ジャンルの特徴のひとつかと思います。(当記事ライターは教会に通い始めて約10年ほどになりますが、いまのところリアルでの解釈違いで揉めたことはありません。)
また、外側からの荒らし(「宗教」につっかってくるクラスタ)は、他ジャンルよりも多めかも。
これは「他宗教からの勧誘」と同様に、ネタ化するのもありですが、向き不向きもあります。ご自分の特性と合わせてお考えください。

っていうか、神とイエスどっちを推したらいい?

なんと鋭い質問…!このじいは感激の極みでございます!
キリスト教は『三位一体』(父なる神・子なる神・聖霊なる神)と考えていますので、神を推すことはイエスを推すことになります。
『また、聖霊によらなくてはだれも「イエスは主である」と言うことができない』(コリント人への第一の手紙12章3節)
そのため
神を推すことはイエスを推すことになり、
イエスを推すことは聖霊を推すことにもなります。
あんまり難しいこと考えなくて大丈夫です。

解釈違いでモメやすい教派ってあるの?

素晴らしい、目の付けどころがシャープでございますな。
僭越ながら、この「じい」めの見解では…
①ディスぺンセーション主義のキリスト教徒には、そもそも「聖書夢小説論」が通用しない場合もあります。旧約聖書の神のことばなどを現代を生きるわれわれではなくイスラエルに向けての言葉である、と厳密に分けて考えるためです。
②改革派は「神の主権」の強調するケースが多いので、こちらもそもそも「キリスト者みな夢主説」に賛同いただけないかもしれません。
③自由主義神学(「リベラル」と呼ばれる派)は『イエスがどんな人間だったか考察ガチ勢』なので、解釈違い論争が起きやすい可能性もあります。とはいえ、自由主義神学は理性的な方が多い印象なので、あくまでアタリとしてお考え下さい。

イエス×マグダラのマリア勢が憎い。

わかりみふかみの極みでございます。
そもそも日本においてキリスト教に興味がある層は母数が少ないので、邂逅することがあってもそっと距離をとれば大事に至らないかと思われます。
逆に「イエス×マグダラのマリア」カップリングを推したい、という方も日本では活動しやすいかもしれませんね。

ダ・ヴィンチ・コード(吹替版)

イスカリオテのユダ夢派なんだけど。

さすがお嬢さま、造詣が広い…。
この「じい」、少々気合を入れてご説明させていただきます。
『イスカリオテのユダ夢』で有名なのは 太宰治・遠藤周作先輩ですね。まだ摂取したことがない方はこれを機にいかがでしょうか。
ユダの役割をどう考えるかということは、教理には属していません。今は消えてしまいましたが、「天使論」「悪魔論」という科目が昔のカトリック神学課程にはあったそうです。これらの議論は、キリスト教の宇宙観・世界観に関わります。しかし、「ユダ論」という科目はもともとありません。ユダに関する考察は、神学と言うより、思考の自由な活動と考えてください。
(引用:来住英俊著「『ふしぎなキリスト教』と対話する」pp.281~282)
▼お召し上がりくださいませ
Kindleで今すぐ読む
あ、あと「後世から見つかった偽典」に『ユダによる福音書』というのがありますが、現在の研究では『ユダの名前を利用して別の人間が書いたもの』なので、つまり「ユダ×イエスの二次創作」。ご利用は計画的に…。
▼お召し上がりくださいませ

解読ユダの福音書

悪魔夢で活動したい。

大変好奇心旺盛にお育ちになられて、じいは感慨深うございます。
キリスト教では、悪魔は聖書に精通していると認識されているので、悪魔をしっかり理解したい場合にも聖書に精通するのがいちばん近道です!
また、C.S.ルイス先輩の『悪魔の手紙』などは参考になるかもしれません。ご利用はご計画的に。

悪魔の手紙 (平凡社ライブラリー)
聖書夢ジャンルで活躍した人たちの声

アウグスティヌス
(354年~ 430年)ローマ帝国(西ローマ帝国)時代のキリスト教の神学者、哲学者、説教者。ラテン教父。代表作「神の国」「告白」
「あなたは私たちを、ご自身に向けてお造りになられました。ですから私たちの心は、あなたのうちに憩うまで、安らぎを得ることができないのです。
(出典:アウグスティヌス/山田晶訳「告白Ⅰ」第1章)

アッシジのフランチェスコ
(1182年 – 1226年)は、フランシスコ会(フランチェスコ会)の創設者として知られるカトリック修道士。
いと高い、全能の、善い主よ、 賛美と栄光と誉れと、
(出典:太陽の賛歌<アシジの聖フランシスコの祈り>ーLaudate)
すべての祝福はあなたのものです。
いと高いお方よ、このすべては、あなただけのものです。
だれも、あなたの御名を呼ぶにふさわしくありません。
私の主よ、あなたは称えられますように。
すべての、あなたの造られたものと共に
太陽は昼であり、あなたは太陽で私たちを照らされます。

ジョン・ニュートン
(1725年 – 1807年)は、元イギリスの海軍兵士/元奴隷商人/牧師となった人
代表作「アメイジング・グレイス」歌詞
Amazing grace how sweet the sound
(アメイジンググレイス私訳)
That saved awertch like me.
I once was lost but now am found,
Was blind but now I see.
なんと美しい響きか、私のような者までも救ってくださるとは。
迷い子だった私を神は見つけてくださった。
これまで見えなかったものが、今、私には見える。

ブレーズ・パスカル
フランスの哲学者、自然哲学者、物理学者、思想家、数学者、キリスト教神学者、発明家、実業家。
代表作:「パスカルの定理」「パスカルの三角形」「確率論」の創始 サイクロイドの求積問題
「パスカルの原理」など
キリスト者の神は、神が魂の唯一の善であること、魂の十全な平安は神のうちにあると、魂の唯一の喜びは神を愛するにあることを、魂に感じさせる神である。
またこの神は、それと同時に、魂を引きとめる障害、魂が全力をつくして神を愛することを妨げる障害を、恐れさせる神である。魂をはばむ自愛と邪欲は、神にとって堪えがたいものである。
この神は、魂が自分を滅ぼす自愛の根を持っていること、神のみが魂を癒しうることを、魂に感じさせてくださる。
(出典:パスカル「パンセⅠ」五四四/ラ460/前田陽一・由木康訳/中央公論新社p.375)
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…ということで「聖書夢ジャンルのメリット・デメリット」でした。
気になった方はぜひ、このジャンルをのぞいてみてください。

もっとくわしくこの世界を知りたいお嬢さまは、この「じい」めがガイドいたします。
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